アコガレのブタイ【短編小説】扉⑫
となりの扉⑫
素直に自分の意見をいえなくなったのは、
いつからだろう。
思い出せない、クセみたいなもの。
小学生の頃に、両親が離婚した。
母は何も言わない強い人であった。
けど、言葉にならない不穏な空気が、いつも部屋の片隅にあるような気がした。
両親は仲が良く、おだやかな性格だった。
けど、それは突然私の目の前に現れて
決断をせまった。
両親は2人。
父が1人、母が1人。
あなたはどちらがいいのか、意見を聞かせてくれと言われた。
3日悩んだ末に、母についていくことにした。
父はおおらかで、ゆったりとした人であったが、私が必要だとは思えなかったからだ。
だが、大学生になった今思うのは、
父を選ばなければいけないと私が思えるほどに、
父は私の中で存在感がなかったということなのかもしれない。
部屋の片隅のソファみたいな存在だった。
何がいいかというのは、とても難しい問題だと思う。
いつの頃か、私は舞台の上で過ごす時間を愛するようになった。
最初は小学生の頃、何の役だったかもう忘れてしまったが、よく表現できてるみたいなことを言われた。
それっきりそんなことを忘れてしまっていたが、高校で知り合いの先輩に誘われて演劇部に入った。
押し込めていた感情と才能が開花した、と自画自賛した。
そのまま大学生になっても、演劇を続けている。学生主体の劇団に所属し、オーディションを受けてみたりしている。
楽しいから続けていくのか、
生活のためにバランスを考えるべきなのか、
まだまだ大学に入りたてとはいえ
何よりも育ててくれた母の気持ちを思うと、
現状を語ることも
何だか後ろめたい気持ちになる。
何となくぼやかしながら、
話題を変えてみたりする。
「オズの魔法使い、懐かしいわね」
母が食卓の上に置いていた台本を持ち上げる。
「知ってるの?」
私は驚いて、声を上げる。
母が私の台本に目を止めるのは、久しぶりな気がする。
特に朝は、バタバタカリカリしていることが多い。
「バカにしてるの?知ってるわよ。
まぁ見たことあるのかって言われると、ちゃんとしたのはないけど、
昔、友達が舞台でやっててね、小さな役だった気がして記憶にもないけど、
そういう選択をする人なんだってのが、意外だったわ」
母の学生時代の話を聞いたのは、初めてな気がした。
そうか、舞台をやっていた友達がいたのか。
続けて母はこう言った。
「夢は見れるうちに見なきゃいけないし、叶えようと思う時に叶えなきゃいけないんでしょうね」
母の答えが意外すぎて、うまい返事が思いつかなかった。
ちょっと遠くまで出てきた買い物ついでに、川縁を歩いてみる。
季節柄やはり虫が多いのが気になるが、
それでも風や音、そして空気や色彩が気持ちいい。
日が落ち始めても、むっとした空気は変わらず、太陽と湿気の存在感を感じる。
「最近、本を読み始めたのよ」
出かけに母と話した会話。
母にしてはめずらしく栞を買ってきて欲しいと買い物を頼まれた。
「この間、仕事場の若い子に恋愛相談されたの。何とも思ってなかったんだけど、そのあとなんだか楽しそうだなって思ったの」
母はうれしそうに語った。
母は、若い頃は何が楽しかったんだろうって思い返す時間をもらえた気がして、
本を読もうと思ったのだそうだ。
私には何を言っているのか、ちょっとわからなかった。
本なら読みたければ読めばいいのに。
恋愛話と本を結びつけるものが、さっぱりわからなかった。
日が落ちて、家の明かりがドラマのワンシーンのように明るく輝きはじめる。
もう9割を夜に侵食されたこの光景が、私はすごく好きだった。
大好きな時間だ。
🔚
sub title 純香の解決しない謎
前作↓
純香の母の話↓
人の気持ちはわからないものです。
そして、人の大切にしている気持ちは、もっともっとわからないものです。
だいたいはわかった気になって、納得したりしなかったりしているんだと思います。
親子であれば、さらにわからなくなります。
親は親であって、子は子であって、超えることも変わることもなく、ですが確実に立ち位置だけが、じわりじわりと変わっていくわけです。
変わらなければならず、変わるから美しくもあるわけです。
そんな母の、そんな子供の些細な大切なものと、些細な思い合う気持ちを感じてもらえたら、幸いです。
続き↓