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インナーチャイルドの癒し方まとめ③完結版
これまで2回にわたり、
インナーチャイルドの癒し方のまとめを書いてきました。
⏬️
今回の③は、インナーチャイルドの癒し方のまとめシリーズ締めくくりです。
完結編となります。
今回もボリュームたっぷりです。
🌱そもそもインナーチャイルドケアは必要ない?
実は言うとインナーチャイルドケアは、必ずしも必要ではない。
ということが言えるんですね。
これまで2回にわたり、散々長々とインナーチャイルドケアついて書いてきたにも関わらず、
なんだそれ?
って感じですが;
実は、どんな癒しにも必ず言えることは、
最終目的は、
「今この瞬間に生きられるようになること」
なんです。
今ある苦しみは、そのほとんどが過去から起因しているものです。
その苦しみに呑まれ、
本来の自分を忘れてしまい、
今この瞬間を生きられなくなってしまっているんですね。
その過去の苦しみ(インナーチャイルド)は、
「思考」の中で起こっていることでもあるのです。
思考の脳内ストーリーにより、苦しい感情が生まれているとも言えます。
私たちは、この思考の世界にのめり込む度合ほど、感覚が鈍感になっていきます。
常に思考が働き考え事をしていると、
今ここで食事していても、
その食事の味や食感は一体どんなものなのか?
実感として感じられていなかったり、
今着ている服の着心地や感触も、
本当は不快を感じていたり、
窮屈だったり、
とっても心地よい感触を感じていたりするのに、
全く実感として感じられていなかったり。
頭の世界の考え事に生きているがために、
今ここを実感すること・今ここにある幸福や今ここにあるものと共に過ごすことを、すっかりと忘れてしまうんですね。
今この瞬間を生きることと、
思考の物語の世界に夢中になって生きることは、
同時にはできないものです。
思考の脳内ストーリーは、苦しみがある世界ですが、
今この瞬間は、苦しみがない世界でもあります。
これらのことをまとめると、
今この瞬間に生きられるなら、
思考(過去や未来・インナーチャイルド)の世界から抜け出せるため、
インナーチャイルドケアは必ずしも必要ではない。
というわけです。
🌱それでもやっぱりインナーチャイルドケアは必要?
しかし、、
果たして、
「今この瞬間生きよう!」として、
その日から完全に今この瞬間に生きられる人はいるのだろうか?
という疑惑があるわけです。
思考の世界に生きることは、習慣としてすでに身についています。
なので、
今この瞬間に生きようとしても、
次の瞬間にすぐに思考の世界に引き戻され、
気づけば再び思考の物語の中にどっぷりと浸かっている。
私たちは、これが当たり前のように起こるわけです。
それでも、
「今この瞬間を生きる練習をする」
⏬️
「思考の世界に引き戻される」
⏬️
「引き戻されたと気づく」
⏬️
「再び今この瞬間を生きる練習をする」
これを繰り返していくと、
次第に「今この瞬間に生きること」が習慣化していくのは確かです。
しかし、
初めからいきなり、
このようにスムーズに切り替えが中々できない問題も、私たちは抱えたりもします。
習慣的な事情もありますが、
その他にも、
・未解決の感情問題・潜在的な感情問題
・反芻思考(ぐるぐる思考)
・今この瞬間に生きられない環境
この3つの要因も関係しているかと思います。
🌟未解決の感情エネルギーの勢いにより、
過去に意識が引き戻されたり、未来への不安に意識がとぶのが収まらない。
過去を完全にスルーして今この瞬間に生きようとすると、逆に感情が暴れ出したり、心が取り残された感じで納得いかなかったりもする。
🌟反芻思考(ぐるぐる思考)が自分の意思とは無関係に自動的に回転し続けていることで、今この瞬間に集中することが難しい。
🌟周りの人や社会も、
思考の世界に生きている人たちばかりなので、
人と会話をしたり、ニュースを見たり、情報収集をしているうちに、思考の世界にすぐに引き戻されてしまう。
このような事情があることから、
私たちは、今この瞬間に生きることの難しさを感じてしまうわけなんです。
こうした場合は、
やはり、
過去のケア(インナーチャイルドケア)をしたり、
現状の自分に合った療法やケアを取り入れるほうが得策になるわけです。
また、
過去や未来に囚われてしまいがちな環境や人間関係からも、できる限り少しずつ距離を置くことも必要になってきます。
🌱どんな状態でも今この瞬間は生きられる
とはいえ、
・未解決の感情問題・潜在的な感情問題
・反芻思考(ぐるぐる思考)
・今この瞬間に生きられない環境
これらの3つがあるがために、
今この瞬間を生きることが全く出来ないのか?というと、
実際はそうでもないんですね。
この3つがあっても、他のどんな事情があっても、今この瞬間に生きることは可能なのです。
その鍵となるものは、
「意識的」と「客観性」です。
これを1つにまとめると「気づき」という言い方にもなります。
この「気づき」の意識があるときは、
どんなときも今この瞬間に生きられるわけです。
例え脳内ストーリーに没頭していても、
反芻思考や苦しい感情があっても、
他人や社会の思考の世界に巻き込まれても、
「これが脳内ストーリーかぁ。」
「今思考がぐるぐるしてる」
「今、苦しい感情が暴れてる」
「今、劣等チャイルドが暴れてる。あ、今度はプライドチャイルドが暴れ出したな」
「今このニュースを見て、過去の苦い感情が引き起こされて嫌な気分になってる」
などと、淡々と気づいていると、
今ここにあるものと共にいることができている。
今この瞬間に生きられているわけです。
思考の脳内ストーリーの世界に呑まれて生きてる状態とは、
思考に呑まれてることにも気づけずに、
ひたすらぐるぐる思考の「内容」に翻弄されてる状態です。
「なんなんだあいつは!
そういえば以前にもこんなことが!
やっぱり自分がダメなんだ。
どーせ自分は。
もう一生治らなかったらどうしよう!」
などと、ぐるぐる回る思考と一体化してる状態なんですね。
これが、今この瞬間を生きる「気づき」となると、
「今思考と同一化しているなぁ」
と、
思考に呑まれながらも思考と同一化してる自分を客観できてる意識も同時に存在していたり、
単純に、
「あ、また、ぐるぐる君が暴れてるなぁ」
としたり、
「あ、怒ってる。
あ、次は過去のことを思い出してる。
今度は自己否定しだした。
今度は未来に不安になってる。」
という具合になります。
例え思考の脳内ストーリーに呑み込まれていても、
今の自分のその状態に気づくことで、
今この瞬間の思考や感情と共にありながら、今この瞬間を生きることができる。
というわけです。
🌱今この瞬間のパワー
今湧き出ている感情や思考や自分の状態への「気づき」があると、
「これ、いつもこのパターンじゃないか?」
「なんか、いつも同じ頭脳が繰り返されてるだけじゃないのか?」
と、何度もワンパターンを繰り返していることに自然に気づいていったりもします。
すると、
良い意味で「なんか、くだらないなぁ」と思えて、それを「やめよう」と、自然に思えてくることも起こるんですね。
自動的に修正がなされていくわけです。
早く回転していて実態がつかめない反芻思考も、
「気づき」を続けていると、
回転がゆっくりになってきたり、
その思考の中身にも気づけるようになってきます。
すると、
「反芻思考って、なんだかすべてを極度にネガティブに考えてるんだなぁ」
「次に出る思考も、またその次に出る思考も、ずっと極度なネガティブ思考だ」
「じゃあ、この思考で何を考えても、全てを極度にネガティブに捉えたり考えてしまうから、この思考では考えないほうがいいな」
と、気づいていけたりもするんですね。
そして、
同じ状況や状態でも、
「無意識状態でいる」ことと、
「気づきがある状態でいる」のとでは、
結果も全く違うものになります。
例えば、
無意識に良い子チャイルドがただ漏れ状態であること。
と、
意識的に
「あ、今自分は、良い子チャイルドとして話してるなぁ」と、
良い子チャイルドがただ漏れしている状態に気づいていること。
両者は外から見たら、
どちらとも
「良い子チャイルドがただ漏れしている状態」
であることには、変わりはないかもしれません。
しかし、両者の「在り方」は全くの別物なので、結果も異なるんですね。
「気づき」があると、
その状態を途中でやめる選択もできます。
例えその状態をその場で止められなくとも、気づきを続けていると、やがて変容が起きてきます。
この「気づき」は、
学習能力とも言えます。
無意識には学習能力がないので、
生涯が終わるまで同じ苦しい癖を続けてしまうものでもあります。
しかし、
そこに「気づき」が加わると学習能力が加わり、
「いつも同じパターンだなぁ」
「なんか飽きてきたなぁ」
「なんか、もういいかな」
などの思いが生まれ、
遅かれ早かれ、それをやめていくことができてくるんですね。
あるいは、自然に消滅していくこともあるわけです。
これが、今この瞬間に気づいていることで起きる、
今この瞬間のパワーでもあります。
チャイルドがただ漏れしてしまうのは、仕方のないことです。
誰もが子供の頃はただ漏れ状態で生きていますし、(大人でもそうですね、、)
人は、ほぼ無意識で生きることから人生がスタートします。
これは、
「意識的に生きること」を体験するには、「無意識で生きること」が、必須でもあるからなんですね。
でも、
「気づき」の必要性に気づいたなら、
少しずつ気づける機会を増やして「意識的」になっていくといいですよ。
ということなんですね。
そもそも、
無意識で気づいていなかっただけで、
これまでにも「気づき」が働いていた瞬間は誰にでもたくさんありますし、
いつでも常に、今ここに存在しているものでもあったりします。
🌱インナーチャイルドケアも気づきパワーが働く
インナーチャイルドケアとして過去の感情や問題に関わっている時でも、
そこには「気づき」があるため、
今この瞬間のパワーは働きます。
癒しの手段としては、
チャイルドを淡々とひたすら客観視して、気づきのみを続けていくのも1つの手法です。
しかし、チャイルドは、
感情を表現したがったり発散したがったり、
理解や共感を示してほしかったり、
人の温かい対応を求めている面があったりもします。
それを得たいのに、得られないまま前に進むことに納得がいかない。
気づきのみでは不満がある。
そんなこともあるんですね。
なので、
まとめ①でお話ししたように、
苦しみの理由をわかってあげたり、
意識的に優しい言葉をかけてあげたり、
肯定的な言葉をかけてあげたり、
感情に思いを表現させてあげたりが必要になることもあるわけです。
インナーチャイルドの癒しにて過去の欲求が癒されたり、心の理解が進んでいくと、
思考や感情事情も少しずつ治まってきます。
そうすると、
「脳内ストーリーの外にでた今この瞬間」を過ごせる機会も増やしやすくなります。
「脳内ストーリーの外にでた今この瞬間」とは、
太陽の暖かさを感じたり、
寝具の心地よさを感じながら身を委ねたり、
純粋にその場を楽しめたり。
など、、。
今ここにある、あらゆるものと共にいて、
今この瞬間を、より広く深く体験できるようになることです。
🌱私のケアのスタンス例
私は、以下のようなスタンスで、ケアを行っています。
⏬️
🌞脳内ストーリー外の今この瞬間に意識を向けられるならそうする。
🌞淡々と思考や感情(チャイルド)を観察したほうがラクならそうする。
🌞淡々とできない壁があるのなら、チャイルドケアをしたり今できそうな療法や処置をする。
🌞肯定的な言葉がけや、優しい言葉がけを使って癒したい。
チャイルドの話を聞いてあげたい。
チャイルドの真相を知りたい。
過去のイメージを書き換えたい。
と思ったときは、そうする。
🌞何も考えない練習をすることもある。
こんな感じです。
私の場合は、初めて自己観察という客観視方法を知った時は、
わりと淡々とした客観視が上手くできて、「ラク」な感覚や至福もよく感じていたものでした。
しかし、そうして気づき深まっていくと、
気づきセンサーの性能がアップするようで、
見過ごされていた感情や状態をさらにキャッチできるようになるんですね。
潜在司令官からお墨付きと信頼を得て、
「あなたはここまで気づを深めたので、こんな感情も表面化させても大丈夫なレベルに達しました」といわんばかりに、
様々な古い感情が炙り出されたりもしたわけです。
・感覚が冴えてきたことから感情をよく感じられるようになる。
・感覚が冴えてきたことから、感情に気づきやすくなる。
・フタが外れて感情が浮かび上がってくる。
気づきを深めていくと、こんなことが起きたりもするわけです。
この仕組みを知らないと、まるで事態が悪化したと錯覚してしまうんですね。
「意識の発達で、感覚が敏感になった」
だけなのに、なんだかいつもより感情が強く感じるようになって不安になったり、
「意識の発達で、様々な感情に気づけるようになった」
だけなのに、ネガティブ感情が増殖したように感じてしまったり、
「溜め込んだものは出さなければならない」法則により、浄化作用が起こっているだけなのに、
次々と出てくるネガティブに翻弄されてしまったり。
私も当初は、てっきり状態が悪化したと思っていたんです。
そして、
思考や感情の客観視も難しくなり、
再びひたすら思いを紙に書きなぐったり、
心理療法などに取り組んできました。
むしろ、とことん脳内ストーリーやチャイルドに向き合うと決めてケアしてきて、
だいぶ気が済んできたところで、
チャイルドの淡々とした観察や、
脳内ストーリー外の今この瞬間への切り替えなども、
少しずつできることが増えてきた。
という感じです。
🌱本当の自分とは気づく意識
インナーチャイルドケアのまとめ②を見て下さった方がもしいらっしゃいましたら、、
自身の中のチャイルドを見つけられたり、
自覚することなどはありましたでしょうか?
(まだ見ていない方は、よかったら後ほどでもぜひ見てみてください☺️
それと同時に、、
②のチャイルド一覧は、闇チャイルドの一覧がずらりと並べてあります。
自分自身と向き合うことに多大なダメージを感じてしまう場合は、無理して読まずに進めても大丈夫です。)
ここで質問したいことは、
「自分のチャイルドに気づいたり、自覚していたのは誰でしたか?」
というものです。
チャイルドに気づいている時、
自分は、そのどのチャイルドでもなかったはずなのです。
じゃあ、自分って何?誰?
といいますと、、
その全てのチャイルドに気づいているのは、
「意識」なんですね。
私たちの本質は実は人間ではなく「意識」なんです。
なんだか、怪しい世界になってきましたね(^_^;)
そのチャイルドが自分の中にあることに気づいたり自覚しているとき、
そのチャイルドに気づいているのは
「誰か?何か?」そこを意識してみることも、様々な理解の促進につながるかと思います。
🌱チャイルドを知ると観察しやすくなる
わざわざ、まとめ②のチャイルド一覧を書いたのには理由がありました。
私自身の体験から、
気づきや客観性に中々移行できない理由の1つには、
「自分の中にあるものがなんなのかよく理解ができない。実態がつかめないから気づきにくく客観視に移行しにくい。そのため思考や感情に呑まれやすくなる。」
ということが大きな要因としてあったのです。
例えば、
暗いトンネルに入る時に、
「暗いトンネルの中に、
捨てられた自転車がありますよ。」
と先に言われていれば、
「そうなのか」と思い、
初めから「自転車はどこだろう?」と、自転車にぶつからないように注意して歩くことができたり、
トンネルに入って浮かび上がってくる物体を、「あれが自転車かな」とわかったり、
自転車の輪郭も早くに暗闇の中から認識しやすかったりします。
それが何かがわかっているので、冷静に客観をしやすくなるんですね。
しかし、
暗いトンネルに自転車が捨てられてることも知らされていなく、
そもそもトンネル内に物体があることすら知らされずに暗いトンネルに入ったら??
突然何か得体のしれない物体が現れ、
それが何なのかわからず、
怖いし不安だし、どうすればいいのかわからないし、冷静になれないわけです。
実態がわからないと、客観視がしにくいんですね。
逆に、
実態がわかれば、客観視しやすくなるということです。
それに気づき、
私は、自分の中のものの実態を知ることにも時間をかけて、自分の中のもの全てにラベリングをしていったわけです。
それぞれをチャイルドとして認識し、特徴を知っていったことで、
自分の中のものに気づきやすくなり、
客観視もしやすくなっていったわけです。
なので、
まとめ②でチャイルド一覧を書いたのは、
自分の中のものに気づきやすくなり、
少しでも客観視しやすくなっていただけるための意図で書いたものでした。
それに、
チャイルドの特徴をある程度知っていると、
中々癒しが進まないとき、
どのチャイルドが要因となってるのか(何が弊害となっているのか)を、知ることができます。
それぞれのチャイルドをどう癒せばわからないときのために、
癒しの方向性についても簡潔に書かせていただきました。
チャイルドの特徴を知ることで、
「あ、これは怒りチャイルドだな」
「今度はプライドチャイルドがでてきた」
と
自分の中のものをラベリングでき、
客観の位置に立ちやすくなり、
闇にのみこまれにくくなる。
というわけです。
闇チャイルド一覧だけでは、
自分の闇にばかり目がいって落ち込む機会になってしまうかもしれないとも思ったので、
この記事の後半に、光チャイルドの一覧も用意してみました。
光チャイルドも誰の中にも必ずいるので、ぜひ後ほどご覧いただければと思います。
🌱エゴを超える旅
思考の中には、エゴの形態が組み込まれています。
そして、
思考(エゴ)こそが、苦しみの根元なんですね。
(まとめ②のチャイルドも、エゴの形態に組み込まれているチャイルドです)
これは、
思考をしなければ(エゴを働かせなければ)、苦しみは生まれないということでもあります。
もっと言うのなら、、
本当の苦しみの根元理由は、
エゴ(思考・感情)との同一化です。
自分を思考や感情だと思って生きていること。
自分をチャイルド自身だと思って生きていることこそが、苦しみの根元なんですね。
先ほど、私たちは誰か?というと「意識」だよというお話をしました。
自分ではないものを(チャイルドを)、自分と錯覚すると、
「苦しみ」というお知らせセンサーが働くんですね。
チャイルドがいても、
「客観性」をもって同一化から離れると、
本体の自分の立ち位置に戻れるわけです。
心が少しラクになるのを感じられることもあるかもしれません。
その「ラク」は、本来の自分に還れた合図でもあるんですね。
本来の立ち位置にいると、
思考や感情は自然に流れていきます。
これも癒しの一環なんですね。
全自動の洗濯機が、勝手に汚れを浮かせてくれてキレイにしていく。
そんなイメージです。
この観察者の立ち位置は、
エゴを超越している状態でもあります。
この本来の自分の立ち位置にいられる時間を、少しずつ増やしていく。
これは、今この瞬間を生きる時間を増やしていくととイコールでもあります。
最終的に、
人類が苦しみを根元から断絶するには、
自身のエゴ(思考・感情・チャイルド)を客観視し、距離をとること。
そうしてエゴを超越すること。
そして、
今この瞬間に生きること。
これらが必要になるんですね。
🌱チャイルドと関わることは人間力や人格の才能磨きに繋がる。
一見遠回りにも見えるインナーチャイルドケアにもメリットがあります。
前回にちょっと触れた伊藤美海さんの書籍に、
チャイルドケアをしていったほうが、
「人間力」がつくと記されていました。
これを見て、なるほどと思ったのです。
まとめ①で書いた、健全なインナーアダルト育てこそが、この人間力なのだと思います。
チャイルドとの関わりは人間関係そのものだったりもします。
また、
エナジーバンパイアの探究が素晴らしい、「運ラボ」さんのサイトでは、
人には「人格の才能」というものがあるというお話しをされていました。
この人格の才能は、
誰もが磨けば育つものの、
磨くのが1番難しい才能でもある。
ということです。
人格の才能のわかりやすい例を出すと、
才能ある芸能界の方が、
「実はスタッフや一般の方への態度が横暴だ」という事実があり、
その情報が世間に流れると、
突然評価が下がりファンが減り、
仕事が減り、
せっかくある芸能の才能ですら、台無しになってしまう事態になった。
という例です。
人格磨きは、確かに難しい面もありますね、、。
そんな中でも、
チャイルドケアに取り組むことで、少しでも人間力や人格の才能磨きに繋げていけたらいいですよね。
🌱思考は意識的に使うもの
思考は本来は、本体の自分の道具のようなものなんですね。
借りに、思考を電動自転車としてみます。
電動自転車(思考)自身が主導権をもつと、方向性もチグハグに走ったり、追突したり、暴走してしまったりもします。
なので、
本体の自分が主導権を取り戻す必要があるわけです。
思考を「意識的」に使っていくことなんですね。
「思考に使われる」よりも、「思考を意識的に使っている」状態にしていくわけです。
優しい言葉がけや肯定的な言葉がけ、
認知療法も瞑想もアファメーションも、本体が主体となり思考を導く手法です。
思考の全てが悪いのではなく、
主のいない思考は暴走しやすいので(エゴ化しやすいので)、
主が意識的に主導権を持って下さいね。
主が主導権を持つならば、思考は物事を創造する便利な道具になりますよ。
ということなんですね。
意識的に自分を楽しませたり、
便利な道具になるように使ってみたり、
必要な時に使い、
必要じゃないときにはしまう。
そんな練習をしてみるのはどうかな?
というわけです。
🌱目一杯生きる
もし、世の中の全員が、
淡々と思考や感情を客観し、自己完結できて感情表現することもなかったら?
どんな世界でしょう。
皆が今この瞬間に生きていて、
争いごともなく平和な世界であるかもしれませんが、
でも、感情表現が全くない世界って、
わざわざ感情をもつ人間として生まれてきた意味があるのかいな?
と思ったりも。
何の問題も起こらないですし、
何も伝える必要もないですし、
もう、noteを書く必要もないですね(^_^;)
客観性の世界や今この瞬間の感覚に委ねていく旅は、
無意識の中でもこれまで目一杯生きて、
あらゆる感情にのまれたり、
苦しんできたり、
感情表現をしてきたからこそ、
意味があるものだとも思います。
もちろん、今後はあえて苦しみを選ぶ必要は全くないです。
今この瞬間「パワー・オブ・ナウ」の筆者エックハルト・トール氏も、
「もうこの自分とは生きてはいけない」と思い詰めるほど、苦しんできた過程があったんですね。
まずは、
誰かのせいにしたい思いも、
誰かに腹立ててる思いも、
落ち込む思いも被害者意識も、
苦しい思いも、
まずは目一杯意識的に表現する。
それも、人間として大切なことなんだと思います。
そして、自分の心が求めているようにチャイルドケアをしてみたり、
時にゆとりがあれば、ふと空をみあげたり、
おいしいドリンクをゆったりと味わってみたりしながら、
少しずつ、
客観性の世界や、
思考外の世界・今この瞬間にも慣れていけば良いのだと思います。
🌱魂の探究者
人類の中には、
「探究心・探究欲求」
が、魂欲求として刻まれている人もいたりします。
そんな探究者たはちは、
ストイックに探究を続けていきます。
電気の発明の探究者、エジソン。
量子力学の探究者、アインシュタイン。
悟の探究者、キリストや仏陀。
心理の世界でも、あらゆる探究者が存在してきました。
結果として、多くの人々に役立つものとなっていますが、
探究者の魂欲求自体は、
それで誰かや自分や世の中の役に立つとか、
すごい自分になりたいとか、
誰かに認めてもらいたいとか、
そういったものではなく、
単に、
知りたい。知ることに喜びがある。
とにかくその分野が好き。それをやりたい。
とにかくよくわからないが、勝手に突き動かされる。
という意味での、衝動的な情熱・自己満足的な欲求なんですね。
なぜここで、こんなお話をしたか?と、言いますと、、
私たちは、メンタルケアでも、
「早く、ラクに、簡単に」
を求めてしまうことがあります。
苦しいと、
当然、早くラクになりたいですし、
難しいことは中々大変に感じたりで、
ラクな方法があるなら、そのほうがいいとも思ったり。
私も何度もラクに逃げました;
しかし、それには落とし穴もあるよ。
ということと、
世の中には先ほどお話しした探究者タイプもいるんだよ。
そして、それはあなたかもしれないよ。
ということを、お伝えしておきたかったのです。
🪐早く、ラクに、簡単の落とし穴
わかりやすいのが、
一時期流行ったポジティブ思考です。
「とにかくポジティブに考えましょう。
とにかくポジティブ言葉を言いましょう。ネガティブはスルーしましょう。」
それさえすればいいのです。
という手法ですね。
インナーチャイルドというネガティブに向き合うよりも、ポジティブ思考でラクラクに飛び越えちゃおう。
というものでもあります。
これは、
ポジティブ思考やこのような簡単な手法が悪いというよりかは、
「どんな動機でそれを行ってるのか?」
「どの意識でそれを行っているのか?」
これが重要で、この内容によって結果は大きく違ってくるよ。
ということなんですね。
例えば、
ネガティブを毛嫌いしている動機(意識)からポジティブ思考になるのなら、
それは、
「プライドチャイルド・完璧主義チャイルド・自己心酔チャイルド・善気取りチャイルド」
などの抑圧チャイルドが主導権をもっていて、
チャイルドがポジティブ思考を取り入れている可能性がありますよ。
ということです。
これらのエゴが主導権を握ると、
ポジティブ思考を唱えることに疲れたり、
持続しなかったり、
疲労を抑圧して頑張ってしまい、本音チャイルドの歪みを強めてしまったり、
抑圧チャイルドがさらに発達するという事態にもなりかねないんですね。
また、
ポジティブ思考な人を見て、疲労感を感じてしまうこともあるかもしれません。
それは、
そのポジティブ思考を唱えていたのは、
「抑圧チャイルド」たちだったから。
あるいは、自分の中の抑圧チャイルドが、それは抑圧チャイルドだと錯覚したり反応したから。
なんですね。
🕊️🕊️🕊️🕊️
※その手法の伝授側と、それを取り入れる側とで、意識の違いが起きることがあります。
🌟その手法を伝授していた人は、
抑圧チャイルドで行っていたわけではないが、
自分は、抑圧チャイルド人格を用いて行っていた。
🌟その手法を伝授していた人は、
抑圧チャイルドで行っていたわけではないが、
自分自身に抑圧チャイルドがあることから、その人が抑圧チャイルドを用いて行っているように見えてしまった。
🌟その手法を伝授していた人は、
チャイルドを用いて行っていたが、
自分は抑圧チャイルドを用いらないで行った。
🌟伝授者も自分も、抑圧チャイルドで行っていた。
どんな方法も、手法よりは自分自身の「意識状態」が大切だということなんですね。
🕊️🕊️🕊️🕊️🕊️🕊️
抑圧チャイルドによって手法を取り入れ、抑圧チャイルドの勢力があがると、
本音チャイルドがそれに比例して苦しくなります。
特に抑圧チャイルドのストッパーである無気力チャイルドは、正直に反応してくれます。
しかし、、
元々麻痺が進んでいる人や、
パワーがある人は、
勢いで抑圧チャイルドによるポジティブ思考を突破してしまうこともあります。
本音チャイルドの叫びにも気づかずに(あるいは無視して)突っ走ってしまい、、
結果、
ネガティブを排除したポジティブシンカーが誕生してしまうんですね。
(本音チャイルドのネガティブ要素の強さは、このポジティブシンカーになる道のストッパーになってくれていたりもします。)
そうなると、
引き寄せ理論により、
ネガティブな頃よりも、ポジティブなものを引き寄せることもでてくるかと思います。
しかし、ネガティブを排除してる時点で、ネガティブに捕まったままでいることには変わりありません。
そこは、二元性のエゴの世界内(チャイルドの世界内)であります。
抑圧チャイルドたちのネガティブへの排他的な要素が残り続けてしまうんですね。
この状態になる落とし穴は、
🌟麻痺や無知の闇や、抑圧チャイルドが進行してしまうこと。
さらなる歪みが生じてしまうこと。
🌟深層心理では、ネガティブは癒されないままでいること。
何よりも、
🌟完全に排除したネガティブを、全く関係のない他者に背負わせる自体に陥ってることに気づいていないこと。
この世はワンネスの世界でバランスをとる仕組みが働いてるため、
誰かが排除した闇は、誰かに背負わせる形となり、
誰かが排除した光は、誰かに背負わせる形となっているんですね。
こうならないためには、皆が自分で自分の闇と光を引き受けることが大切となるわけです。
「簡単、早く、ラク」
その方法があることも療法に取り入れることも、何も悪いことではありません。
しかし、
・それはエゴやチャイルドによるものではないか?
・自分は、チャイルドの主導で行っていないか?
ここが大切なポイントになるよと、いうことなのです。
どんな手法を用いるときにも、この意識状態はポイントになります。
「もう散々ネガティブに関わってきたから、ネガティブに関わるのはもういいかな、、」
「ポジティブ思考にも取り入れてみたいな」
「自分にそろそろ、優しい言葉もかけてあげたいな」
「肯定的な言葉をかけると気分がよくなるから、練習してみようかな」
「このチャイルドちゃん、永遠にウダウダしてるから、このチャイルドに合わせてたら一生変われないな。そろそろ別の道へ行くのが得策だと感じる」
これらの思いは、
ネガティブとたくさん関わったり、
受け入れたりしてきたからこそ芽生えてる、前向きな思いでもあります。
なので、そんな思いを発見したら、
抑圧チャイルドで無理して頑張らなくても、
少しずつ自分に優しく・あるいは楽しく、
時にはちょっぴり怖くてドキドキしたり、勇気をだしたりしながら、
肯定的要素に取り組んんでいくことも、できてくるものと感じます。
次は、
🪐あなたも、もしかしたら探究者かもしれない
ということについて触れてみます。
「早く、ラクに、簡単に」
も、時には癒しに有意義に働くこともあります。
しかし、
「探究者」というタイプも世の中には存在し、
「知る」ことや「探究や追求」に喜びを感じる方々もいらっしゃるんですね。
いつの時代も、時代に合わせた探究者が現れるようになっていたりもします。
スマホが登場すれば、スマホ依存の心問題を探究する方がいたり、
AIの研究に熱心に取り組む探究者もいたり、
毒親や不登校問題を熱心に追求し、改善策を見つける探究者がいたり。
これまで心理探究者たちが成し遂げてきた探究を、自分の中で再現して自分の知で知り、新たな発見や見方に繋げていく。
そんな探究者もいます。
探究には、時間と努力と労力かかるものだったりします。
大変さもありますが、本人の欲求で喜びとなるものでもあります。
外から見ると、
どうしてそんな複雑性を、あえて通るのか?
と、思ってしまうこともあるかもしれません。
でも当人は、決してムダな苦労をしているわけではないんですね。
自分の中の深く知りたい探求心に、突き動かされているのです。
心の世界や心のケア法についても、
「知りたい」欲求がある探求者もいます。
メンタル構造が複雑な場合、
かつ、心理の世界に関心がある場合、
心や真理の世界の探求者である可能性は高いかと思います。
中々癒されない。
中々うまくできない。
多くと同じようにできない。
そんな思いも抱えやすかったり、
そんな自分に焦ってしまうこともあるかもしれません。
もしそんな状況ならば、、
もしかしたら自分は探求者なのかも?
と、思い当たる面がないかチェックしてみてください。
例えすぐには癒されなくても遠回りしても、
ご自身のペースで納得いくように進めてみるのも正解なんだよ。
ということも伝えておきたいのです。
探求者は、ある意味周りや多くと同じようにいかなくて当然な面があります。
なぜなら、新たな発見やライトワーカーなどという、指導的な役割があったりもするからなんですね。
探求者がすることは、
周りの言うことを鵜呑みにしたり従うことよりかは、
自分自身の感覚で探求しながら、自分自身で新たな手段や道を切り開くことなんですね。
それはとても勇気が必要だったり、
孤独に感じてしまうこともあるかもしれませんが、
少しずつ、探求の成果がでてくるにつれて、道も開かれていくものと思います。
例え遠回りに見えても、
周りがどんどん良くなる中、なんだか自分は置いてけぼりのような気がしても、
比較にならない自分だけの道があることと、その探求心を大切にしてみてくださいね。
🌱光と闇
内観の世界は、あらゆる角度からの見方があるため、
どの角度から見るかによって、説明の仕方も変わります。
ここでは、
光と闇について、
2つの見方を取り入れて説明してみたいと思います。
闇チャイルドと光チャイルドは、
・表裏側一体のコインのようなもの。
また、
・闇チャイルドが洗顔フォームでエゴの汚れを落としたら、元の姿の光チャイルドになる。
とも言えます。
共通するのは、
「闇チャイルドと光チャイルドは、別人ではなく同一人物」だということです。
今、
どちらの顔が、表になってるか?🤢/😀
今、
お顔に汚れがついてるか?🤢
それともお顔の汚れがとれてるか?😀
ということなんですね。
そして、
闇が表になってるなら、今度はコインをひっくり返して光を表にしてみてね。
闇になっているなら、その汚れを落として光にしてみてね。
ということです。
光を表側にしたり光のお顔にするには、どうすればいいの?
というと、
🌞光に意識を向けると光側が表になります。
🌞闇を癒したり手放していくと光側が表面化してきます。
闇を切り捨てるのではなく、
闇を受け入れてから光に意識を向けること。
闇のお顔の汚れを受け入れてから、汚れを落として手放していくこと。
なんですね。
闇くんと光くんは同一人物。
なので、
闇を排除したまま光だけを受け入れるのは、
「あなたの半分だけ愛しますね。」
「あなたの存在の半分だけ認めますよ。」
「あなたの右目は認めますが、左目は認めることができません。」
と言ってるようなもので、
自分の中に置いてけぼり感や空虚や罪悪感が残り続けたりもするのです。
光にひっくり返すには、
まずは、闇を受け入れる。
闇があってもいいんだ。
闇があっても自分は大切なんだ。
受容やケアをする中で、
少しでもそう思えてくる部分が生まれると、
自然と
光側を受け入れていく思いも育っていったり、
闇を手放していこうと思える心も育っていくんですね。
または、
先に光を受け入れてから、闇も受け入れていく。
そんなスタンスがあってもいいわけです。
ケアをしていく中では、
🌟闇を受け入れてから、光を受け入れていく
(闇を受け入れてから、光に意識を向けていく。闇を手放していく)
🌟光を受け入れてから、闇を受け入れていく
(光でエネルギーを補充して、闇を受け入れやすくしていく)
この両者の相互効果により、癒しが促進する面もあります。
🌱地球では、経験していない闇の光側は経験できないしくみになっている。
「人は幸せになるために生まれてきた」と、
よく言われますが、
それは「光を体験するために生まれてきた」とも言えるんですね。
しかし、、
この光を体験するためには、
「闇」を体験しなければならない仕組みになっているのです。
もちろん、あえて闇を経験する必要はありません。
その闇はすでに、生まれ持った環境や日常に呆然とあったりするものです。
充足を体験するには、先に不足がなければならない。
先に充足や光では、充足や光を体験できない。
こんな法則が働いているわけです。
例えば、
お金持ちの家庭の子は、
お金も物もなんでも不自由なく与えてもらえる中、
1000円を誰かからもらっても、その有り難みや喜ばしさは、さほど感じないはずです。
しかし、
お小遣いを1円も貰えなかった子供なら、そのありがたみや喜びも、大きく感じられるはずなんですね。
自信がない自分を体験すると、
自信がもてる自分を感じたときに、
「これが自信があるという感覚なんだ」と知ることができ、喜びも感じられるはずです。
でも、初めから自信のある人は、
それがなんなのかもわからなかったり、
当たり前のものとしてるため、
喜びを感じることもさほどありません。
自信のある人が、
何らかのきっかけで自信をなくしたとき、
過去を振り返って「あれが自信だったんだ」
と気づいたり。
また自信を取り戻した時に、ようやく喜びを感じられるものだったりもします。
これが、
「体験したことのない闇の光側は、体験できない」ことのしくみです。
そして、
これは、まとめ②でもお話した、
闇が多く深い人ほど、感情面や感覚面でも、良いものをたくさん感じられる。
という、
闇深い人の特権にも繋がるわけです。
良い感情を感じられるほど、
良いものを引き寄せられる。
という引き寄せの法則にも、
これを当てはめると、、
闇が多く深い人ほど、
闇をひっくり返したら、
多く深くに光側の感情や感覚をたくさん体験でき、
良いものを引き寄せられる機会も多く深くなる。
ということですね。
さらに、
闇の経験のない光や、闇を排除した光は、
無知になりやすいが、
闇の経験を通過した光や、闇を受け入れる過程を通った光は、無知になりにくい。
ということも付け加えておきます。
例えば、
周りは普通(幸せ)な家庭ばかりの中、
Aくんは不幸な環境に生まれた。
服も洗濯してもらえなかった。
新しい服も買ってもらえずにボロボロの服だった。
普通(幸せ)な家庭の子たちからは、
「汚い」とからかわれたり、
「なんで服ボロいの?親に言って買ってもらえばいいでしょ〜」
と、簡単に言われてしまうわけです。
これが、普通(幸せ)な家庭の子どもたちの
「光の無知さ」「光の中の闇」です。
今自分が「ある」ものに感謝があれば、
このような頭脳も抑えられたかもしれませんし、
生理的な快・不快はあったとしても、
どう対応するかは、それぞれ違うわけでもあります。
そして、、
Aくんが闇を受け入れて光に変容したとき、
ボロボロの服の子供を見ても、
「あの子供、汚いな」とからかったり、
「親に言って、服買ってもらったら?」とも言わない可能性が大なのです。
「何か事情があるのかもしれない」
「自分の家庭と同じ事情でもあるのかな?」
などと、捉えたり、
「どうしたら貧困や機能不全家族を減らしていけるのだろうか?」
「自分にできることは、どんな活動だろうか?」
などと、改善策に関心を向けるかもしれません。
今闇を抱えている方も、
このAくんのような存在になるはずなのです。
光の中の無知に傷ついた体験があると、
光を求めながらも光を毛嫌いしてしまうことがあります。
でも、
いつしか自分を傷つけた光と、
これから自分がなる光は、別物なんだよ。
だから、安心して光も体験しよう。
ということなんですね。
また、闇深い人には、
真理の世界にたどり着ける特権もあるかと思います。
真理の世界は飛び込むのが怖い面もありますし、エゴの世界でワチャワチャしてたほうがラクだし、楽しそうに見えてしまうこともあるものです。
(本当はエゴの世界のほうが大変で怖い)
真理の世界に飛び込むのは怖い面がある。
だからこそ多くは、わざわざ飛び込むことをせずに、エゴ界で自分に都合の良い嘘を塗りたくり、無難にやり過ごすほうを選ぶわけです。
しかし、闇深いとそうもいきません。
なぜなら、エゴの世界でワチャワチャしてやり過ごす対処すら、もう無理で限界だからです。
ここまで切羽がつまらないと、
人は中々真理の世界へは飛び込もうとしません。
エゴ界で切羽が詰まる。
それは、
エゴの超越への招待状でもあるんですね。
真理の世界は、エゴの世界よりは、はるかに安全です。
闇深いと、
苦しみの連続や大変なこともありますが、、
希望や良い面もあるんだよ。
ということです。
最終的には、
闇深くとも闇深くなくとも、どちらが優劣・上下もありません。
それぞれがそれぞれの役割や人生を幸せに生きられることが全てなんですね。
そういう意味で対等性があるわけです。
しかし、
闇深い人が、エゴ界では人一倍苦しい目に合ってしまうことも事実かと思います。
そんな中、
まるでその苦しみをスルーされるかのように、
人は皆同じだと、
平等性だけで全てを片付けてしまうのは、あまりにも酷で、それもまた違うと思うのです。
闇深い人の特権やメリットがあるのも、また事実です。
苦しみの数や深さやメリットの事実も踏まえたうえで、
最終的には、それぞれがそれぞれの人生に、満足していけたらいいのではと思います。
🌱光チャイルドとは
光チャイルドは、
闇チャイルドの反対側のチャイルド。
あるいは、
お顔に汚れ(エゴ)がついていないチャイルド。
なので、
光チャイルドはストレートな人格表現ともいえるわけです。
そのため、
歪のある闇チャイルドの刺激の強い感情感覚とは違い、
刺激の薄い感覚、透明性などとして感じられるチャイルドでもあります。
なので、
闇チャイルドよりも
「気づきにくい」わけです。
だから、つい見過ごされてしまったりもするんですね。
光チャイルドは、自分の長所としてあることもあります。
後ほど光チャイルドの一覧を見ながら、
光チャイルドがでてきたときの感覚を、
ちょっと思い出したり、
捉えてみたりしていただけたらなと思います。
きっと、
「あ、このチャイルドでてきたことがある」
と気づいたり、
そのチャイルドがでてきていたときの、闇チャイルドとは違う刺激の薄い「何かがある」感覚など、色々と思い起こされることもあるかもしれません。
光チャイルドが現れてる時には、
そこに、
静かに「こうしよう」という意図が存在していることもあります。
エゴ界の闇チャイルドの意図とは別に、
光チャイルドの意図がいつの間にか日常で働いていることもあるんですね。
(ただ、闇チャイルドの声が大きくて聞こえなくなってるいるだけだったりも)
私たちはエゴ界を中心に生きているようでも、
実際のエゴ界は、本質世界に比べたらちっぽけなものです。
エゴ界もしょせん、本質の世界を土台にして存在してるステージなんですね。
本質世界がなければ、エゴ界も存在できません。
だからエゴ界だけで生きると怖いし危険なのです。
エゴは本質の世界に気づいていません。
エゴ界が全てだと思っています。
本質の世界を認めれば、そこには足場があります。
でも、本質の世界を知らない・認めないエゴ界は、足場がないように見えるんですね。
なので、あらゆるものを怖がるわけです。
エゴちゃんには、本質の自分の存在や本質の世界を、アピールしてあげることも大切です。
そして、
エゴちゃんをなだめて大切にして、ある程度欲求を満たしてあげる。
そうすることで、エゴちゃんから本質世界の信頼を得ていくことが大切になります。
光チャイルドは、本質の意思にそぐった、ストレートなチャイルドでもあります。
なので、
分裂してる闇チャイルドのようには、
ハッキリと分けて感じられないこともあるかもしれません。
まずはざっくりと気軽な気持ちで、
後ほどの光チャイルドの一覧を見て、
自分の中にもこのチャイルドはいるんだと、自覚したりしてみていただければと思います。
光面として、すでに自分の中に「ある」ものなので、
そのチャイルドを意識することで、自分の中から引き出せることもあるんですね。
また、
チャイルド一覧では人格面にスポットを当てていますが、
それと分けて、
光側の感情についても少し書いてみましたので、後ほど合わせてご覧下さい。
光感情も、すでに自分の中に「ある」ものなので、
光感情の文字を見ることで、感覚を引き出せることもあるかもしれません。
まずは、
自身の中の光部分にも、ぜひ気づいてみてください。
ということと、
光部分に気づくことで、
闇チャイルドも受け入れやすくなったり、
光と闇もどちらも自分(の一部)として、
両者をありのままに受け入れられるようになっていきやすい面もあるよ。
ということです。
また、
光面を感じることで、闇面が感じられなくなることもあるかもしれません。
それはそれで、
・ストレートにわだかまりなくひっくり返せる部分であった。
・これまでのケアが実り、ストレートにひっくり返せる段階になっていた。
ということでもあるので、
それはそれでオッケーです。
また後から闇を感じたとしても、
受け入れたり、話しかけたり、言葉がけをしたり、淡々と観察したり、
その時にやりたい方法で対処していけばいいんですね。
🌱光と闇のグラデーション
私たはちは、
例え闇チャイルドがあっても、
一向に全面的に闇側だけが出ているとも限らないんですね。
例えば、
良い子チャイルドの闇面は、
人の顔色を伺ったり、良い子になって人のために頑張ってしまう面があります。
しかし、その中には、
「本当にこの人のことを助けてあげたい」という、ストレートな愛である光面が混ざっていることもあるということです。
闇と光が、
8:2の割合で出ていたり、
5:5で出ていたり
10:0のときもあったり。
これは、
その時の体調や事情や状況や、相手によっても変わりますし、
人それぞれの個性や特徴の表れとしての部分もあります。
闇チャイルドがでてるからって、
全てが闇でダメ。なんてことでもないんですよ。
ということです。
それでは、光チャイルド一覧に移ります。
人格の一覧と、
感情面とに分けて書いてます。
※自身が変容段階にあるため、変更があれば後ほど追加したり編集をしていきたいと思ってます。
ご了承下さい。
🌱光チャイルド人格一覧
🪐自己肯定チャイルド
自分の良いところをみつけたり、自分を肯定的に捉えるチャイルド。
自然と「私は素晴らしい存在だ」という思いが奥から溢れることも。
🪐自愛チャイルド
自分を大切にしたり労ったりし、無条件に自分を受け入れて、自分に優しい愛情を向けるチャイルド。
慈悲の思いがあふれたり、自分をなだめたくなることも。
🪐誇り・自信チャイルド
自分に対して謙虚に誇りや自信を持っているチャイルド。
🪐主体・自立チャイルド
自分の感情や思考を、自分で面倒みる。
自分で自分の人生を創造していこうとするチャイルド。
🪐助け合い(協調性)チャイルド
困った時は素直に人を頼ったり、
困った人には手を貸したり、
打算のない助け合い精神があるチャイルド。
🪐情熱・チャレンジチャイルド
何か意図や目的があったり、
物事や新しいことに挑戦していき、まっすぐに突き進んでいく逞しくストイックなチャイルド。
🪐静寂・落着きチャイルド
落着いてゆったり行動したり、
くつろいだりリラックスしたり、
ゆとりを大切にするチャイルド。
🪐励まし応援団長チャイルド
自分の1番の味方で、
落ち込んでる自分を勇気づけたりし、
いつも応援して励ましてくれるチャイルド。
🪐導きチャイルド
方向性を示したり、次へ進むことを促し、導いていくチャイルド。
🪐実感チャイルド
キレイなものや自然に喜ぶなど、
五感で良いものを感じ取るチャイルド。
🪐インスピレーション・創造性チャイルド
この世に花を植えてくように、
より良いアイディアや様々な世界を自分なりに表現したり、創造していくチャイルド。
🪐美意識・清潔チャイルド
自分なりの価値観や心地よさや丁度良さを主体にした、美や清潔感を大切にするチャイルド。
🪐社交的チャイルド
他者と社交的に振る舞うチャイルド。
(不登校・社会不信チャイルドでも、気が許せる仲間やオンラインゲームや趣味の世界などで、このチャイルドがでたりもする。
社交性がないのではなく、
不特定多数と社交的になりたいのか、
本当に心許せる人とだけ関わりたいのか、
性質や価値観の違いで現れ方がそれぞれ違うだけ。)
🪐公平性チャイルド
人や自分を、肩書や社会地位や知名度や職種や実績や容姿で判断せずに、
その人自身に耳を傾けて相手を知ったり、
人間性や個性や意識の現れ方で、その人自身を知ろうとするチャイルド。
🪐識別チャイルド
物事の本質や、あらゆる見極めができる。
自分にとって関わってはいけない人や、行ってはいけない場所、
関わるとよい人や心地の良い場所を識別できるチャイルド。
🪐お守りボディーガードチャイルド
自分を危険な目に合わせないために、妥協なく守る行動をとるチャイルド。
「ダメなものはダメ」と、愛情もって阻止することもある。
🪐素直チャイルド
素直に自分の気持ちや欲求を素直に表現するチャイルド。
🪐好奇心ワクワクチャイルド
趣味や好きなことや楽しいことに取り組んだり、新しい物事や場所へ冒険したり、
楽しいことが大好きなチャイルド。
🪐無邪気チャイルド
良い意味で何も考えていなく、今この瞬間を生きているチャイルド。
今この瞬間パワーで、その場その場をユーモアやインスピレーションでより良いものに変えてくれる。
🪐正直・誠実チャイルド
自分に対して嘘をつかない。
嘘をついていても、ちゃんとそれに気づき修正していこうとする、正直さと誠実さがあるチャイルド。
🪐許し・寛大チャイルド
許す心や、失敗や間違いや不完全さへの寛容さをもつ、器の大きい貫禄のあるチャイルド。
🪐ワンネスチャイルド
他者も自分と同じように大切にするチャイルド。
地球環境や世界平和にも目を向けている。
🪐真理・悟りチャイルド
宇宙や真理の世界を知っているチャイルド。
エゴよりも真理や本質を主体に生きるチャイルド。
🌱光感情
光側の感情は、
穏やかさや静寂かまあったり、自然と溢れるように湧き出る感じのもの。
闇チャイルドの放つ刺激の強い感情や、
闇チャイルドの不快を抑圧して起こる、刺激の強い快楽や喜びや楽しさなどではなく、
もっとサイレントで柔らかかったり、
愛がある強さや奥から湧き出るパッションなど、
そんな感覚のものが光感情です。
愛、自愛、愛おしい、慈しみ、
至福、喜び、楽しさ、ワクワク、
安心感、安らぎ
情熱、勇敢、
愛が伴う厳しさ、愛が伴う強さ、
誇り、自尊、自信、共感、理解、
ゆとり、穏やか、信頼、静寂、
など。
🌱再び私は誰か?
そして再び、
光チャイルドや光感情に気づき、
それを観察できるということは?
自分は、
その光チャイルドや光感情そのものでもない。
ということが、言えるわけです。
自分とは、
光も闇も観察できる意識。
ただ「在る」存在。
なんですね。
光と闇のどちらも観察できる時、
この「在る」の感覚が掴みやすくなるかと思います。
光か闇かでもなく、
ネガティブかポジティブか、
だけでもない。
その真ん中にある意識。
あるいはすべてを包む意識。
その意識から、
ポジティブでもネガティブでもない、
「ちょうどよい思考」という存在や、
「ニュートラル」という状態にも、
気づけていきやすくなります。
思考の歪みを治療する認知行動療法でも、
ポジティブやネガティブのどちらも天秤にかけて、
最終的には、ちょうどよい思考を見つけていく。
というやり方をするものもあります。
「きっとダメだ」ネガティブ
「きっとうまくいく」ポジティブ
「結果はわからないけど、あまり考えずに今できることをして過ごそう」
ちょうどよいニュートラル思考。
ポジティブ思考に抵抗があったりキツく感じるときは、
ニュートラルなちょうどよい思考を見つけていくことも、癒しの手助けになったりします。
🌱本来のスピリチュアルは現実に根付いているもの
ここでもスピリチュアル用語を使うことがあるため、
スピリチュアルについても少し触れてみたいと思います。
魂、本質、エネルギー、闇、光、、
波動、宇宙の法則、引き寄せの法則、天使、神、輪廻転生、カルマ、見えない力、
ハイヤーセルフ、インナーチャイルド、、、
時々、このような表現に、アレルギー反応を起こす方がいらっしゃいます。
はい、私です(^_^;)
いわば、スピリチュアルアレルギーですね。
これはなぜ起こるのか?
というと、
私が自分を観察する中でわかったのは、
時々、
自己心酔チャイルド、妄想チャイルド、
善気取りチャイルド、プライドチャイルド
などの、抑圧チャイルドが主導権を握っているスピリチュアラーがいたり、
自分の中の抑圧チャイルドのフィルターを通して、スピリチュアルやスピリチュアラーを歪めて見てしまっているから。
なんですね。
実際に怪しいスピリチュアル商売もたくさんあるわけです。
そんなんで、
スピリチュアルと聞いたりスピリチュアル用語のようなものを見たり聞いたりすると、
それらを連想してしまい、
アレルギー反応が起こるんですね。
このアレルギー反応には、
実際の怪しいスピリチュアルを警戒するには、プラス面ともなりますが、、
マイナス面もあるんですね。
このアレルギー反応のフィルターを持ったままで物事を見ると、
地に足がついたスピリチュアル・大切な物事にすら、そのフィルターを通して見てしまい、怪しいものに変換してしまう。
そして、避けてしまう。
ということが起きるんです。
本来のスピリチュアルとは、
とても現実的なものです。
誰もが目には見えない「感情」があります。
そして、様々な感情を感じていくと、
それぞれの感情感覚には違いがあるのがわかります。
怒りと悲しみでは、感じる感覚も違いますよね。
そうなると、それを
「エネルギーが違う」と表現することは、何も怪しいことではなく、
非常にマッチした表現だと感じるはずです。
また、
運動をしたり、肯定的なアファメーションをすると、
何か自分の中から湧き上がってくるような、上昇する感覚を得ることがあります。
この感じを意識的に感じてみると、
「エネルギーが上がる」
「波動が上がる」
という表現は、非常にマッチした表現だとわかるわけです。
闇チャイルドや光チャイルドを観察してるとき、
自分は誰か?
と、その立ち位置の感覚を感じてみると、
なんやらうまく言葉にできないものがあったり、、
そんな中、それは「意識」と聞くと、
ピンときたり、マッチする感覚があったりもするわけです。
他のどんなスピリチュアル用語も同じです。
自分の感覚・実体験を元に捉えてみると、
なにも怪しくもない普通のものとして感じられたりもするんですね。
なので、
まずは自分で体験してみることなのです。
そうして地に足をつけながら取り入れていく。
自分の感覚や実感と共に、体験していく。
そして、現実の自分の変化にも気づく。
すると、
スピリチュアルや見えないものは、とても現実的なものとわかってくるんですね。
こうしていくと、
スピリチュアル用語もさほど気にならなくなったり、
むしろ、
怪しい商用スピリチュアルにも、もっと気づけるようになってきます。
現実で「絶対・本物・現実的」とされているものが、実は非現実的で怪しいものだった。
ということもにも、気づいていける機会となるかと思います。
🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱
これにて、
インナーチャイルドの癒し方まとめシリーズを、締めくくりたいと思います。
これまでアウトプットをしていなかったぶん、大変長くなってしまいました;
お付き合いありがとうございました_(._.)_