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苦しみと喜びは共存できる
2024年も、あと2ヶ月と少し。
残りの日々も…、いえ
これからずっと、かな。
美しいものに多く触れたい。
身体が解(ほぐ)れるものの
傍に居ようと思う。
今年、新しく刻み直したことを記したい。
実感を伴い、心に落ちたから。
「苦しみと喜びは共存できる」と。
良くなったら、やりたいことができる。
克服できたら、楽しめる。
そんなふうに、私は自分に
条件を課してきたのかもしれない。
自分に厳しいからではなく、
「きっとできるときがくる」
と今の自分自身から逃げてきた。
希望を信じることで、耐えられたんだ。
〜〜〜
二十歳を過ぎた頃、
もう切り離すことはできないのだと、
生きにくい諸々と 共に生きることを、受け入れた。
たくさん泣いた。
一生ひとりなのだと、泣きた。
病気や症状を認める とは、
ダメな自分と これから先も
生きていくことを意味する。
したがって、私は今後
愛されることはない(家族や親友との間に育まれるような愛を含んでいます)。
当時の私の頭の中では、
こんな方程式ができあがっていた。
かなり極端な考え方だとは思うけれど、
“救われたい”と“消えたい”で
いっぱいいっぱいな頭にしては、まともな解答かも。
「明日は目覚めませんように」
星への願いも一択だったし。
それはさておき、
その頃から、良くなるためにと、狂いそうなほどの我慢をしてでもやっていたことは、辞めた。
無理し過ぎずにできることを精一杯やる、に変えていった。
自分が生きていくことに集中した。
だれかと付き合うために良くなるのではなく、
自分が困らないだけの生活。
実家も出た。
(ずっと自転車で帰れる距離、10キロ以内に住んでいて、頻繁に帰っています。)
方向を変えて、楽になっていった。
少しずつだけれど、確実に。
でも、ずっとどこかで、
“いつか” を信じていた。
うまく生きられる自分に変われるときが来る、と。
「とりあえずは生きない」
そう思いながらも、
「今の姿は本当ではない」
と思い込もうとしてきた。
ふり返れば、
仮の姿などというものはなく、
全部が、その時々の本当だった。
〜〜
つらさがあっても、幸せになれる。
うまくできなくても、楽しめる。
ダメな私でも、
キライな私でも、
大切にされていいし、
楽しく過ごしていい。
打ち消したくない。
たくさん笑って、感動して、
素晴らしい時間が
数え切れないほどあったことを。
今だって、こんなに
すぐ傍にある。
今できるかたちでなら、
楽しめることは、たくさんある。
また私が変わったら
そのときに合うかたちを選べばいい。
合うかたちに変えればいいんだ。
これから先
できるようになることも
できなくなることもあるだろう。
できないところは、
手伝ってもらえばいい。
不格好だったとしても、
やってみないであきらめるより、
自分にやさしい。
〜〜
その都度 合うかたちを探すのは、面倒だ。
でも、
“自然”に、ずっと同じはない。
変化していく。
人は自然の一部であると同時に、そのものでもあるはず。
私は、自分が生き物であり、動物でもあるということを、分かっていなかった。
生き物は、たとえ脚を切り捨てでも生きようとし、
失われたその状態に適応していくもの。
そう、私は機械ではない。
食べないと生きていけないし、休まないと疲れてしまう。
でも、ひとつふたつ部品が
欠けても、抜けても、やっていける。
私にできることは、
知識を得て、
自分自身を知り、
今の状態(身体や気持ち)に気が付き、
対応していくこと。
それしかできないのだと、
今頃になってようやく、
身をもって感じる。
「自然は、コントロールできない。あなたも、自然だよ。」
ずっと送り続けてくれていた、メッセージ。
受け取れるまでに、こんなに時間がかかってごめんね。
〜〜〜
自分の中の許せない部分を
拒否するのではなく、
逆に好きになろうとするのでもなく、
そんな部分を持った自分全体を受けとめる。
ホクロやシミがあっても
きれいな顔。むしろチャームポイントになっていることも。
そんな感じ。
全部を好きになれなくていい。
他人(ひと)にはそう思えるのに、
自分のことになると途端に、
「努力で変えられる」
と考えてしまう。
あきらめには、
ふたつあるのかもしれない。
ひとつは、
もうできない、切り離せない、取り戻せないのだと
“喜び自体”を手放してしまう。
もうひとつは、
切り離せないという事実を受け入れ、
望んでいた姿やかたちを
“追い求めること”を、あきらめる。
新しい喜びを見つければいい。
幸せは、自分がそう感じるのなら、それが正解なのだから。
かたちは決まっていないもの。
「食べないと生きていけない」、
そのことに気が付いたのも、
10代後半だった。
一度自分の脚で立てなくなっただけでは、学べなかった。
全く私は、すべてがスローだ。
そんな不幸の自慢も、ときにはいいけれど、
幸福な瞬間を噛み締め、味わい、ゆっくり胃に落としたい。
その方がずっと、
からだにやさしいから。
2024.10.22・23
![](https://assets.st-note.com/img/1729614370-HFIaW8NQCwfYkemVgGcsE1Zh.jpg?width=1200)
写真は、駅前のショーケース。
季節ごとに変わるので、
こっそり楽しみにしています。
地域の自然保護団体の方々が、飾ってくださっているよう。
『身近な自然を大切に』
の一言が、いつも添えられています。