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切り捨てはごめん
1月21日に書いた文章です。
今は出さないでおこうと思っていました。
「ねぇさん、ものごとはね、タイミングだよ」
とまっすぐ目を見て言われました。
そのとおりだと納得してしまい、公開します。
時事的な内容を含むことを、ご了承ください。
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月うさぎのルーナ
「なんですと?」
ラジオに突っ込む私。
ペタンとねていたルーナの耳が、ピンと立つ。
鼻息とため息しか出ない朝。
どうしたらあれほど
破壊的で暴力的で過激な言動に
なってしまうのか。
人間は、ひとつではだめなの?
出身国、性別…
それでその人の何が分かる?
主語が複数になったとき、
よくも悪くも、人は強くなる。
―――
生物学的には、ヒトはホモ・サピエンスただひとつ。
犬もひとつ。
大きさも毛並みもバリエーションに富んでいるが、
遺伝子上ではイヌという1種。
ルーナ「うさぎもだよ」
そう。人と暮らすウサギは、みんなアナウサギ。
道徳と理科の授業は大切だと実感。
人間は2つには分けられない。
何重にも間違っている上に、
傷つく人が明らかにいる内容を
世界に向けて出すのって…。
私がうさぎだったら、とっくに“うさパンチ”をお見舞いしている。
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(プハッ)
補足:うさぎには“うさパンチ”という、鼻息と高速パンチを同時にとばす隠れ技があります。
ケガはさせず、目を覚まさせる技です。
(注:うさぎにも個体差はあります。)
―――
不都合な真実は、切り捨ててよいの?
ないことにも、なかったことにもできない。
真実なのだから。
そのときの“自分たち”にとって、
都合のよくないものを破壊してきた。
目に見える結果のひとつが、今の地球環境。
ここでいう“自分たち”には、どれくらいの人が含まれていただろうか。
都合のよくないものは、必ずある。
自分の中にだって。私は持っている。
心に手を当てて、きいてみよう。
それは望んだものか。
捨てられるものか、捨ててよいものか。
自分にとって都合のよくないものでも、
誰かにとっては必要不可欠だったりする。
共に生きることを恐れていては
かなしく、さびしいだけだ。
真の強さとは、何?
私たちに問われている。
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21日は、ブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)の「青空」を、心の中で何度も歌いました。
2025.1.21(1.27)
今日(21日)は、
食べて食べて食べまくっていた。
ルーナ「ねぇさん!!!」
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雪のアルジャントゥイユ Snow in Argenteuil
ルイ・アームストロングの歌う
「星に願いを」も素敵です。
「What A Wanderful World」
と思える日常を、いま一度考えたいですね。