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おいのり選挙

「みなさまの清らかな一票を!」


・・・選挙ってば、不思議なところがある。


自分の一票が、その選挙のゆくえを左右させることなんて、
たぶんないのだろうけれど、
だれに入れるか、なかなか真剣に考えてしまう。


せいぜい、1万分の1くらいの価値しか、ないのに。


票に、価値なんか、あるのかしら。



価値。


価値は、むずかしい。


いくら価値があるように思えても、
おかねは、紙きれにすぎないのだし、
大好きなあの子は、タンパク質のかたまりだ。

そんなタンパク質たちは、
紙切れをもらうためにはたらくし、
タンパク質のかたまりを喜ばせるため、誕生日プレゼントをあげたりする。

誕生日プレゼントがもらえなかったら、がっかりも、する。


「今日ぼく誕生日なんだけど」
「あ、そうなんですか?」
「今日ぼく誕生日なんだけど」
「へえー」
「今日ぼく誕生日なんだけど」
「そうなんですね」
「今日ぼく誕生日なんだけど」

(来年につづく)




そもそも誕生日じたい、あやしい。
その証拠に、わたしは生まれた日のこと、ぜんぜん覚えていない。

みんなで、わたしのことをだまして、
うその日を誕生日ということにしていることさえ、ありえる。


「あなた、聞いて。ゆかいなことがあるの」
「なんだい、ハニー」
「この子、1日ずらして、19日生まれにしちゃいましょう」
「それは、とてもゆかいだね」

(両親、一晩中わらいころげる)



そんなあやしげな誕生日を、にんげんたちは、今日もお祝いしている。
お祝いされなかったら、いじけたりもする。

自分の誕生日かどうかなんて、わかるわけ、ないのに。



それでも、あやしい誕生日は、めでたい。

それは、清き一票を投票することと、似ている。


それは、祈りのことでは、ないかしら。




「価値の名に値する価値があるとすれば、それは、生起するものたち、かくあるものたちすべての外になければならない」(Wittgenstein)


タンパク質たちは、ほんとうはいつも、このことを知っている。
いつでも、忘れているだけだ。

それは、自分がタンパク質でしかないことを忘れることと、同じなのかもしれない。



かくある世界に、価値はないのだけれど、
わたしの世界に価値がないというわけでも、ない。

よろこびもかなしみも、この世界には、ないのだし、
ないというわけでも、ないのだし。


だから、投票に価値がないのは、たかだか、世界のなかでのはなしだ。


せわしない世界のなかから、
ただ、そこにあるだけだということを、もう一度おもいだすなら、
わたしたちの一票は、たしかに、清らかで、祈りだろう。


今日は、期日前投票に、行きました。








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みなと
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