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人生をストーリー化しちゃう呪い

最近、ちょっと年下の人と話す機会が少しあって、進路のことなどの相談に乗ることが、最近ぽつぽつある。

わたしも大学三年生のときは、と書きそうになるけれど、
あんまり自分の体験談について語るのも、卑しいような気がしてしまう。
私と他の人とは、当然ながらバックグラウンドも違うし、価値観も違うのだから、「自分がうまくいったから、こうすれば君もうまくいくだろう」なんて、無責任なこと、言えやしない。

最近はあちこちで話していて、そのことでNHKのインタビューを受けたりなどもしたことがあったのだけれど、私は中学生のとき、いわゆる不登校でほとんど学校に行かず、家で好きなことをして過ごしていた。
中学三年生のとき、一年発起して勉強に精を出すようになって、無事高校にも受かって、国立大にも進めて、修士では学府で一番の成績で卒業した・・・というように言うと、アメリカンドリームみたいな、一発逆転人生!みたいな、そういうふうに書くこともできるのだろうけれど、そういうふうに、人生を簡単にストーリー化してしまうのって、私はあんまりよくないと思うのだよな。

もちろん、ある種の人たちに、自分の人生について伝えようとするときに、ストーリー化したほうが分かりやすいし、うまく語ることができれば感動させることなんかもできるのかもしれないけれど、自分の人生を、そんなに易々と感動ポルノに仕立て上げてしまって、本当によいのか、という。

私が自己啓発本に対して、かなり慎重な距離を取っているのもそのためで、(「夢をかなえるゾウ」とかは割と好きなんだけれど、)確かにストーリー化された一発逆転人生には勇気づけられるものもあるのだけれど、そんなに、自分の人生に価値を認めてもらう必要もないよな、と思ってしまう私がいる。
ましてや、「俺がうまくいったから君も・・・」なんて、なかなか言えるものじゃない。同じような経過を辿れたとしても、俺の幸せと、ほかの人の幸せが重なり合うとは限らないのだし。

「いいね!」や「スキ」がたくさんつくような、ちょっと感動する人生についての話や、自分の夢の話は巷に溢れていて、そういうことについて語ることは、もちろん生きていくために必要なときはあるのだけれど、そういうストーリーをでっちあげなくても、毎日楽しく生きていくことはできるはずなのにな、と思う。


・・・だから、人から相談されたときは、なるべくストーリーを語ることのないように、気をつける様にしています。

それでも、ついつい、ストーリーを語ってしまうのは、わたしたちに課せられた呪いなのかもしれません。
なんのこっちゃ。



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みなと
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