ことばのこえ
その言葉を読んだときに、声が聴こえるなら、それはきっといい文章だと思う。
ひとの文章でも、自分の文章でも、
声が聴こえるのは、きっとわたしだけではないはずだ、と信じたい。
誰の声だろう。
自分の声は、こんなに澄んでいない、もうすこしがらがらしている。
こうして文章を書くほうが、しゃべったりするよりも好きなのは、わたしはそんなに自分の声がすきではないから、かもしれない。
もう少し、自分の声が好きだったら、
きっと、うた歌いになっていたとおもう。(もちろん、冗談です)
ひとの書いた文章から聴こえることばも、
その人の声とは違う音色を、それぞれが持っているように思う。
ぼくの何人かの友人も、noteを書いていて、
どれもたのしみに読んでいるのだけれど、皆、現実と声が違う。
声が低かったり、やわらかかったり、やたら早口だったり、する気がする。
作家の山下澄人さんに会ったとき、
しっていた声とぜんぜん違う声だったから、ちょっとワクワクしちゃった。
ピアノ弾きの声とピアノの音が、ちょうど違うようなものなのかもしれない。
たぶん、わたしたちはそういうふうにして、ことばを眺めている。
なんとなく、聴こえませんか、声。
(写真:月の砂漠、千葉県の御宿)
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