18歳の「生きる」
僕は今、18歳です。
これから大学生になり、親元を離れ、自分で生活していく時期になります。
今までは全く考えていなかったけれど、
18歳になった今、「生きる」ことを少し考えてみたいと思います。
考えるきっかけ
僕が生きることを考えるようになったのは、映画がきっかけです。
その映画が「君の膵臓を食べたい」。
小説ですが、数年前に人気になって、映画化もされ、
感動を呼ぶ定番みたいになっている気がします。
その流れに数年遅れて乗ったみたいに思われるのは癪ですが、
実際そうなのかもしれません。
映画が初めて地上波で放送された時、ただの恋愛映画だと思って、録画はしたもののあまり見る気はしていませんでした。
実際、放映されてから、どうしても暇すぎて見ようかと思うまで2ヶ月は空いていました。
でも、映画を見てみると、大切なのは恋愛ではないことがわかりました。
もっと深い意味があるなあと、幼い頃の自分もわかりました。
いつ頃死ぬのかが大体わかっていること、大切にしていた人がいきなりいなくなること、癌で死ぬまで待ってくれなかったこと。
そのことは、映画を見た後の幼い自分でも分かっていました。
この映画が最後に伝えてきたことが忘れられなくて、気が向いた時に何回も映画を見返しているうちに、この話が生きることを考えるきっかけになりました。
この話がフィクションだということも、お金をかけて購入してもらうために話を作っていることも、少しでも多くの人に手に取ってもらうために感動作を作っていることも知っています。
でも、作者の思いはお金を稼ぐことのそのまた先にあるんじゃないかと思って、この話を大切にしていかないといけないような気がして、このnoteを書いています。
18歳になっての「生きる」
生きるはよく分かりません。
死ぬのは怖いです。
今まで生きてきた中でそんなに重い病気ではないのですが何度か入院して、全身麻酔をかける機会が何回もありました。
その時に親から「もしもお花畑が見えて、好きなキャラクターとか大切な人が川の向こうに見えて手招きしていても、絶対に行っては行けない。必ず戻ってくるんだよ。死んでしまうからね。」と言われました。
いつも麻酔の時はすごく怖かったです。
お花畑が見えた時にちゃんとその言葉を覚えていられるかな。
そう思っていました。
死んだら今まで立っていた場所にもう一度立つことはできなくなる。
大切な人と会えなくなる。
自分が死んでしまった時、どうなるのかをはっきり想像することはできませんでしたが、そのことは頭にありました。
今は麻酔をかけるほどの病気にもならないし、元気だから麻酔をかけるかもと思う心配もありません。
だから、以前ほど死ぬことは身近に感じません。
でも、麻酔の時に考えていたことは常に頭にあります。
恐怖は残っています。
だからとても嫌です。
生きていることはとても楽しいです。
自分が動けば人に褒めてもらえて、友達が笑ってくれます。
どこかに行けば思い出が増えていくし、好きなことが見つかれば、集中できます。
なんでもかんでも頭の中に軌跡として残っていって、あの時あんなこともあったなと人と笑えます。
だから楽しいです。
デザインとか、写真とか、動画とか、色んなやりたいことが形にできて嬉しいし、自分の作ったものが世の中に出ていって、他のやりたいを持っている人の「やりたいこと」に整いと彩りを与えられたら幸せです。
こんな時、生きていて幸せだなと思います。
生きる意味を見つけないと死ななくてはいけないなんてことはありませんが、
僕は、こうやって生きる意味を探して、貯金のように貯めていきたいです。
その貯金は使うことができませんが、持っていることに価値があると思います。
貯金がゼロだとしても、死ぬ必要はないし、死んでしまうわけではないですが、貯めていく喜びを感じたいから、生きる意味を探していきます。
そして、自分が感じることの、その意味を探していきたいと思います。
それが僕にとっての「生きる」ことの楽しさであり、「生きる」ことだと思います。
19歳に向けてやりたいこと
僕は文章がすごく下手で、こうやってnoteを書く時間はとても苦痛です。
書くことよりも話すことの方が得意だから、極力書きたくありません。
でも、書く力があったら、もっと自分の伝えたいことが人に伝わるようになるし、書く力が無くては生きていく上で困難が多いです。
そして、生きているうちに、自分の思いをどこかに書き記して残しておきたいというのもあります。
だから、このnoteで書く力をつけようとしています。
19歳になるまでしっかりnoteを書き続けて、自分の頭の中のモヤモヤを文字にできるようにしたいと思います。
おわりに
生きることに違和感はないし、当たり前だと思っているし、もっと生きたいと思っています。
この機会に「生きる」を考えられたことで、さらに生きたいと思えるようになりました。
「君の膵臓を食べたい」のことを今は、流行りの感動恋愛映画だとは思っていません。僕の中でタイトルを忘れない映画です。