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ポテトサラダであるとはどのようなことか
はじめに
これは私がごく幼い、まだ年齢ヒトケタ代の頃の、母方の祖父母の家での経験である。
夏休みのその日、私とその父母、そして親戚が集まった食卓には、砂色のこんもりとした物体が、ほかの幾つものおかずと共に並べられていた。「わぁいポテトサラダだぁ♡」幼い私は、そう思ったに違いない。私はそれを思いっきり掻き込んだ。自分でそれを取り分けたかどうかは覚えていないが。そして、口一杯に頬張って、すぐにオエーと全て皿の上に吐き出した。
怒る母。大声で笑う祖父。そして、静かに苦笑する祖母。今から考えると、この行為が祖父母の寿命を1ヶ月くらいは縮めてしまったのではないか。そう考えると、大変申し訳ない気持ちになる。しかし私が嘔吐した理由は、そのおかずがゲロマズだったからではない。そのビジュアルから連想したポテトサラダの味と食感との間のギャップが、ただただそうさせたのだ。
今から考えると、あれはおからだったのではないかと思う。
ポテトサラダの必要十分条件
「ポテトサラダであるとはどのようなことか」それはポテトサラダがどのような主観的体験を持っているのかということではない。別にポテトサラダになりたい訳ではないのだ。ただ「私の思い描くポテトサラダに100%合致するポテトサラダはいかなるものか」という固執概念である。
ポテトサラダを定義しうるのは何か。じゃがいもを使っていればそれはポテトサラダなのか。私は晩秋差し迫った南関東ターミナル前の繁華街をふらつきながら考えていた。目の前には、あかあかと灯る居酒屋・立ち飲みの提灯。
私は立ち飲みが好きだ。財政的にそこしか行けないというのもあるが。普段から、一杯目はホッピーの黒と決めている。一方つまみは安定しないが、必ずあったら頼んでしまうものはある。
それがポテトサラダだ。
ポテトサラダを知るにはポテトサラダになる以外に、ポテトサラダがある立ち飲み屋に入って(必ずあるとは限らない)隣の客や店主や店員、のべつまくなし、あなたにとってポテトサラダはどのようなことですか、と聞いていくのが近道に違いない。だがたいてい、変な顔をされ、頭おかしいと思われるのがオチだろう。こちらは哲学的な問答をしているのに。
そんな事を考え、立ち飲みに入り浸るのは諦めた。私は嘆息し、そしてあまりのポテサラ恋しやほうやれほにコンビニで「ポテサラハムカツ」と言うものを買い、144円のレモンサワーで流し込んだ。これも思い描くポテサラとは程遠かった。そこにはマヨネーズ味の、マッシュポテトしか無かった。
大丈夫だ。まだ策はある。シーザーを理解するためにシーザーである必要はなければ、波の気持ちになるためには波になる必要もない。
次善の策、それは当然自分で思い描くポテトサラダを作る事だ。家に帰ろう。今最もしなければならないことは自分の生活態度を正すことであって、最もするべきではないのはポテトサラダを夢見ることであった。
ポテトサラダを夢見て
実はその数日前、私はポテトサラダを作ることに失敗していた。
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そのポテトサラダは、潰すのではなく角切りにした茹でたじゃがいもにみじん切りの生タマネギ、茹でたカリフラワー、グリルしたズッキーニとカニカマ、そしてたくあんを入れた少し変わり種のやつだった。で、奇を衒い過ぎた。当然の帰結ではある。ポテトサラダを超えたより具沢山なサラダを作ろうとしたら、結果としてポテトサラダにすらなれなかった。何か、個性的であろうとこじらせて結果しくじり、何も成し遂げられなかった人生に似ている。
だが、悲しみが海ではないように、ポテトサラダも人生ではない。我慢して食べるか、何かにリメイクするか(コロッケ辺りがいいだろう)、あるいはそれすら無理なら捨ててしまえばまたやり直すことができる。それならさあ、包丁を握り締めて泣くのをやめよう。そしてポテトサラダを完成させ、自分の人生を始めよう。そうしよう。
ポテトサラダというシニフィアン
シニフィアンは「記号表現」、つまり文字や音声。シニフィエはシニフィアンによって表されるイメージや概念である。
これによって、私たちは料理の名前とその概念を結びつけている。例えば「さしみ」というシニフィアンと「生で食べる一口大の魚の肉(たまに獣肉)」というシニフィエ、「ハンバーグ」というシニフィアンと「火を通した細かく切って円形に丸めた獣肉」というシニフィエが成り立つのだ。まあ、前者に関してはフェやカルパッチョはどうなんだ、とか後者に関してはつくねやケバブはどうなんだ、とかなりそうだけれど。
ところで、ポテトサラダのシニフィアンはなんなのだろうか。
今回のポテトサラダは大前提としておつまみレシピなので、町食堂のとんかつ定食にちょこんと乗っかっているポテトサラダ、そして大藪春彦の小説で1キロのステーキの付け合せに出てくるポテトサラダのことは、完全に無視する。ここにいい種本があるので、紹介しよう。「立ち飲みご令嬢」だ。
『ポテトサラダ』
ザ・居酒屋メニュー
味も好みも千差万別な料理の代表と言えよう
ほくほく系
ねっとり系
創作系
はい。その通りでございますお嬢様。そして千差万別だから困っているのです。
同書でも触れられている通り、ポテトサラダの発祥は露のサラート・オリヴィエである。この雑なレシピはこの動画見とけばなんとかなる って言ってるんだよブリャット。中国には上海サラダという、ポテトサラダによく似たものもあるがほかにも生じゃがいもの千切りを和えた涼拌土豆絲なんてのがあるので、これも広義にはポテト「の」サラダにはならないだろうか。だが、そのどれも、私の望む「おつまみにちょうどいいポテトサラダ」というシニフィアン未満の何かを満たすには至っていない。
あの夏の日おからを吐き出す直前に夢想していたポテトサラダとは、いったいどのようなことだったんだ?
かくも長きポテトサラダの不在
自分の運命を切り拓くためにはまず自分の運命に直面せねばならず、ポテトサラダを作るためには生のじゃがいもに直面する勇気が必要だ。
だが、理性なき勇気は無謀も同じ。というわけでまず、前回のポテトサラダにも何者にもなれなかったクズサラダの反省点をまとめてみた。
水っぽい
ジャガイモが硬い
カリフラワーが合わない
下味がついていない
カニカマの主張が薄い
たくあんが多過ぎる
タマネギが馴染むまで辛い
失敗すると食べ切るのがしんどい
そして、これらの解決策も考えてみた。
具材を茹でるのをやめて蒸す
ジャガイモは潰す。火を通す時間を15分に増やす
塩揉みきゅうりとにんじんに変える
潰す前にオリーブオイルと、コンソメ、塩少々を混ぜる
コンビーフに変える
抜く
スライスして水に晒す
一度に作る量を減らす
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じゃがいも 400g(中3個程度)
きゅうり 1/2本
にんじん 小1本(大1/2本)
たまねぎ 1/4個
コンビーフ 1個
塩 小さじ1/2
コンソメ顆粒 小さじ1
オリーブオイル 大さじ1
粗挽きマスタード 小さじ1
粗挽き胡椒、乾燥バジル 小さじ1/2
マヨネーズ 適量(大さじ2は超えてないはず)
そして、気の利いた音楽。今晩はNujabesを流すことにした。プレイリストを再生し、始めていこう。
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まず、じゃがいもに熱が通りやすいように、8等分してから……
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煮る……わけではない。蒸す。私は大同電気鍋があったので、外鍋に100ml、内鍋に蒸し器スレスレくらいの水を入れてから蒸し始めたのだが、ない場合は鍋と蒸し器でも構わない。だいたい20分くらい、保温スイッチをオンにして熱を通す。途中で炊飯が止まったら、そのまま保温し続ける。
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きゅうりは輪切り、人参は扇型に切って、塩もみしてしばらく置いておく。塩は小さじ1くらいかな(分量外)。
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タマネギは、千切りにして水に5分晒したあと、まな板に広げて15分、外気に晒す。この技術は玉ねぎは水にさらすと栄養が逃げる!栄養を逃さない辛味抜きの方法 から取り入れました。こういう細々したことをしている間に、じゃがいもは蒸されていく。
まあ、それでも時間が余るだろうから、その間にnoteの記事を書くなり読書をするなりで良いんじゃないだろうか。私は部屋を音楽で満たしてたたずむ。
何かが変わってゆくような
そんな気がした あと少しで
あと少しで何ものか、ではなく、ポテトサラダというものが出来上がる。
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じゃがいもが蒸し上がる。一応串なり箸なり刺して中に火が通っていることを確認しておきましょう。そしたら、塩、コンソメ、オリーブオイルをかけて
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つぶす。蒸すとすぐに形が崩れるし、しかも余計な水気が一切ないので非常に作るのが楽になる。
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他の具材を入れると、こんな感じ。工程にはなかったが、コンビーフもほぐれやすいように30秒くらいレンジで温めておけばよかったかもしれない。あと、今回はコンビーフの分散しやすさと味の濃さに助けられた。なければボローニャソーセージやランチョンミートを細かく切って焼いたものでも代用可能。
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調味料類、何よりもマヨネーズは少しずつ入れていく。ここまでで下味がしっかりついていて、塩味についてはもう加えることもないだろうから。
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粗挽きマスタードや粗挽き胡椒、バジルなども辛味が強いので、少しずつ味の具合を確かめながら入れていく。少し粘り気があるくらいに整ったら、完成だ。
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さて、ポテトサラダであるとはどのようなことだったのだろう。マンガから記号論まで、総動員して至ったのは「ポテトサラダとは不在の概念である」という答えだ。
実は料理すべてがそうである。既知の素材とレシピで作られた既知の料理を私たちが食する時「きっとこういう味なんだろう」という不在の概念を思い描ている。今回のポテトサラダにおける成功と失敗は、その概念がどれだけ強く、ズレを生じるとどれだけ拒絶反応を引き起こすのか、教えてくれた。
それはそうと、今回のポテトサラダは大成功だった。なぜなら、食べ切ったくらいで飲むのを止められたからだ。
酒を程々に止められるおつまみが、良いおつまみの条件だと思っている。