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光と闇の26歳を振り返る

26歳がもう少しで終わる。
今年の誕生日は引っ越しをするので、施設クラスター感染でコロナ発症し24歳を迎えたあの日以来の、メモリアルな誕生日になりそうだ。

今日は「27歳の抱負」というよりは、運気強制ストップで正直しんどかった26歳の一年をしっかり振り返ろうと思う。

(かなり長くなりますが読んでいただけると嬉しいです!)


祖母の他界

2024年2月下旬。友人の紹介で、大阪市東成区の事業所で障がい者支援の仕事を始めることになった。

3月1日入社予定だったが、2月28日に祖母の危篤の知らせがあり急遽新潟へ帰省。
入社予定日の3月1日、祖母は永眠した。死に目に立ち会うことができ、生前お世話になった看護師さんと一緒に祖母の体を拭いた。

韓国から日本へ渡ってきた祖父母がどちらもこの世を去ったことで、在日家庭の取り残された私たち親族はかなり衝撃を受けた。

これはたまたまなのだが、働き始める大阪の事業所は今里という地域で、祖母の生まれた場所だ。

障がい者支援の仕事

入社後は、訪問介護のため、馴染みのない今里や天王寺や難波を移動した。
幼い頃祖母はこんな景色を見ていたのだろうかと想像しながら、大阪の住宅街を往復。

利用者さんの家に訪問してご飯作ったり、一緒に部屋の片付けや掃除をしたり、通院同行したり、移動支援で出かけたり。

事務所が近い(同じ法人)グループホームとも掛け持ちだったので、入居者さんの話を聞いたり事務作業したりといった業務も。身体介助はほぼなかった。

新卒時代は高齢化・過疎化が深刻な離島で高齢者介護の仕事をしていたので、利用者をケアする仕事という意味ではなんとなく業務の流れは似ていたが、事業所の地域環境、利用者の年齢層、サービス内容も全て新鮮だった。

この仕事は、利用者さんを通して私自身の生まれ育った家庭を振り返るきっかけにもなった。
事務所で利用者さんの生育歴を確認するたび、自分自身の家庭環境が脳裏をよぎり、生まれ育った家庭の異常性に気がついた。

あれ、私の家庭ってこういう感じだったのか?結構問題ありだったのか?
なんとなく変わった家庭だったなとは思っていたが、客観的な立場で振り返るとかなり強烈だ。
今までずっと閉めていた蓋が一気に開かれた、そんな感じだったと思う。


5月
大学時代お世話になった先輩夫婦の絵を描かせていただいた


半別居という案

激務と片道2時間弱の長時間通勤で出勤のたび疲労困憊で帰宅し、精神的な乱れが日に日に増していった私は、支えてくえている夫に酷いことを沢山してしまった。

私が大阪で働き始めて2ヶ月ほど経ち、神戸暮らしも1年を過ぎたところで、作曲家の夫自身はやはり海の近くで仕事がしたいと以前住んでいた小豆島に別荘を買った。

私は大阪で働き始めたからには続けるつもりでいたし、新しい職場では相談員としての経験を積ませてもらえるチャンスがあった。なので初めは引っ越す気持ちにはなれなかった。

学生の時から二拠点生活には憧れはあったが、離島の新卒時代に「家庭作りの大切さ」を客観的な視点で学んだこともあり、夫との半別居生活案にパニック状態になってしまったのだった。

健康改善

あまりのストレスに3ヶ月間生理が止まってしまった。
人生初の不眠症にも陥ってしまった。
勤務日数を減らしてようやく生理が再開したが、子供が欲しいので限界を感じ、辞めることを決意。8月だった。

生理が止まってしまったことがショックだったこともあり、婦人科の受診後、7月には神戸で初めて心療内科の通院を始めた。

「薬を飲む前に栄養をまず摂りましょうという」という方針の医師で、薬に頼りたくないという私の希望通り、血液検査から始まり、栄養指導をしてくださった。

仕事がきっかけで過去の出来事を言語化できるようになった私は、ここで初めて私は他人に、赤裸々に家庭環境からこれまでの人生の出来事を伝えた。

医師から返ってきたワードは「家庭環境が壮絶」「トラウマ」「フラッシュバック」「絶縁した方がいい」という、今まで思ったこともない言葉たちだった。

時間が経てば親子関係も変わるといった意見ももらい、初めて「感情的に踏み込んでこない客観的な見立てと助言」を医師にしてもらったと、少し感動。

というのも、10代の頃、私の心療内科の受診に母が一人で行き、とある病気だと決めつけられた時期があったのだ。

「あんたは統合失調症になるから。これ飲むまでずっと見てる」と10代〜大学の頃に色んな薬を毎晩飲まされていたのだが、それも必要なかったと改めて教えてもらい、安心できた。(病気になることをそんなに恐れなくてもいいとも言われた)

他にも13歳頃からずっと悩まされていた胃痛も和らぐなど、すぐに健康面の改善が見られた。

7月
夫と義母と北海道・美瑛旅行
不眠のため4:30に起きて宿周辺を散歩した時

仕切り直し

9月。退職し、自分自身を見つめ直し、夫の希望を聞くと、もう神戸にいる必要はないという答えが出た。消去法だ。
新卒時代に私が3年間住んでいた島に戻るという案も出て二択となったが、小豆島の方がなんか楽しそうだなという理由で小豆島に決定。

というわけで小豆島に引っ越すことは決めた。
なんやかんやで夫が購入希望の別荘を契約できたのは秋ごろ。修繕工事が始まるのは1月。

別荘でも住めないことはないけれど、仕事場を持つことが夫の希望のため、二人で住む家も見つけよう。
そんな流れで小豆島町の空き家バンクを毎日チェックし、半年以上探した結果、無事ちょうどいい広さのの賃貸の平屋を契約(2025年1月)。

引っ越すのは決めたけど具体的にはすぐに決まらない状態が謎に私の不安感を増強したが、一つずつクリアしていくにつれて不安感は薄まっていった。

フラダンスを始める

退職後のニート生活の中、私はフラ教室に行き始めた。
それと同時にすぐ辞めやすそうなアルバイトも始めた。

高校生の頃からフラに興味があり、一度体験に行ったこともあったのだが、当時はアルバイトもしていなかったので月謝を払うのは難しく、人と話すのが苦手だったため断念した。

始めるなら今!のような気がして、私は複数の教室を比較することもなく一発で一番近い教室に決めた。
なんといっても月謝が安い。3,400円という破格の月謝に、初めは一回あたりのレッスン料かと勘違いした。

習っている方は親や祖母世代の方だったが、とても暖かく受け入れてもらい、リラックスして始めることができた。

私は3歳〜12歳にクラシックバレエを習っていたのだが、どうも女性ばかりのダンス教室は空気がピリピリしていて苦手だった。
しかし通い始めたフラ教室の先生は、優しく柔らかい雰囲気の方で、通っている生徒さんも皆さん優しかった。

ここ1年ほどでカサカサになってしまった私の心をフラは一気に潤してくれた。

ホテル清掃アルバイト

フラダンスと同時に始めたのがホテル清掃のバイトだ。
学生時代のDTPアルバイトを除けば、初めてのnot対人の仕事だった。
高校生のバイトデビュー時からそれまで、飲食、販売、介護などサービス業しか経験がなかったため、対人じゃない清掃はストレスなく正直めっちゃ楽だった。

また、規模が大きい会社に勤めたのも社会人以降初めてで、研修制度があり、2週間ごとのシフト調整も99%希望通り(アルバイト同士の調整なし)、従業員数は充足していて、人手不足によるストレスが全くなかった。

給与明細やシフト希望提出も全て自社アプリで済むという、今まで経験できなかった働き方ができたのは良かった。

介護福祉士を受験

介護の仕事は今後するかわからないけど、せっかく受験資格は満たせたのだから資格は取っておかなければ。
ということで2025年1月の国試を受験した。

介護福祉士取得後に実務5年を満たせばケアマネの受験資格が得られるらしいので、一つのキャリアルート確保ということで、一安心。(合否出るは3月末だけどw)


次の新天地へ

大学卒業以降、移住、結婚、引越し引越し引越し、転職転職転職!!と、猛スピードで進んでいく人生の変化の中、26歳になった途端、強制ストップがかかったようだった。常に不安感に苛まれた一年だった。

人と会うのも億劫で、ずっと家に引きこもっていたかった。「穏やかな日々が送れるうちに死んでいいかもしれない」という希死念慮も時々あった。

大阪の仕事を辞めた後は「半年以上先に引っ越す可能性があるから仕事しないわけにはいかないけど、またすぐ辞めなきゃいけない・・・」という、突進タイプの私にはフラストレーションがかなり溜まった。

ただ振り返ってみて思うのは、私の変化にとって非常に重要な年だったんかないか、ということだ。
次のスタートに向けて26年間の膿をほぼ全て出し切ったように感じる。
そもそも、思えば2021年に鬱と言われてからほとんど休養せずに前進だけしてきた。よくここまで頑張ったよなとすら思う。

26歳は1年間たっぷり立ち止まり、心身の不調の改善に取り組み、思い出したくなかった過去の出来事と正面から向き合い、自分にとって大切なものを洗い出したことで、かなり心と体は軽くなった。

重要な一年だった。



1月
韓国・済州島の名物の椿を見に

今後

とにかく健康と笑顔が大事と学んだ26歳の一年。
こんなヤバヤバな私を幸せにしてくれる夫に心から感謝している。

今後は、自分に絶対に嘘をつかずに、人に流されずに、自分が好きなことに全力で取り組みたい。

運動不足解消目的で始めたフラは、やり始めたら楽しくてびっくり。
韓国語の勉強も続けたいし、仕事にできるくらいに伸ばしたい。
絵や工作の創作活動にもたっぷり時間を使いたい。
将来やってみたい起業の構想も少しずつ立てたい。
おうち時間をもっと素敵にしたいので、料理のレパートリーを増やしたいし、インテリアも工夫したい。

そんなわけで今年はやりたいことが多い。どれに注力するかは引越しが終わってから決めたいと思う。
どんな27歳は一年になるのか。全く想像できないワクワクがある。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
27歳、駆け抜けます!



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