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週末歌仙*葉ノ拾肆

歌を詠むということ

短歌とは、感動したこと、悔しいこと、悲しいことや嬉しいこと、すべてを言葉にのせて表現するものです。
歌を詠むこと、それは、長い人生において心の薬となるでしょう。
私も人生の山坂を短歌に支えられ、 81歳 まで 生きてこられました。
だからまず難しいことはおいといて、あなたの心が感じたままに、歌をつくってみてください。
きっと作歌の楽しさが、だんだんわかってきますよ。(楓美生)

歌人・楓(かつら)美生(みお)
昭和17年10月28日 杉並区荻窪生まれ

玉川上水の桜橋を散歩中、その後歌の師と仰ぐことになる人物と
偶然出会ったことがきっかけで、短歌を始める。
多摩歌話会(歌人集団)に15年ほど所属。
NHK、地方の短歌大会入賞。
現在は近所の歌好きを集めて、短歌の指導をしている。

<好きな歌人>
栗木京子、寺山修司、尾崎左永子
<好きな歌>
ここに咲きここに散りゆく秋萩のごとき一生(ひとよ)を悔いざれよゆめ

第一首

(想像してみてください…)

紅葉の季節も過ぎ、空気が乾燥してきたある日。
街路樹の下を歩いていたら、一陣の風が吹いた。
ざわざわと梢が揺れて、どうにか枝へしがみついていた枯れ葉が飛ばされ、道の上を転がっていく。
いったいどこまで行くんだろうな?

ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)

からからと
風に落ち葉の 転(まろ)びゆく 
右に左に行方さだめず

<2021年 晩秋に詠む>

はがき絵・ともこ作

<解説>
冬の季語でもある「落葉」は、俳句では昔から度々詠まれてきました。でも実は、和歌ではあまり使われていないんです。
『万葉集』や『古今和歌集』などに「木の葉落つ」「紅葉散る」という表現はありますが、「落葉」という言葉は見当たりません。そもそも「葉が落ちる」現象にあまり機微を感じていなかったきらいがあります。

十月(かむなづき)
しぐれの常か 我が背子が
やどのもみち葉散りぬべく見ゆ 
(万葉集:大伴家持)

これは「美しく色づいた紅葉が、雨で今にも散りそうですね」という歌。あくまで主眼は「(美しく色づいた)もみち葉」にあり、それが散ることが問題なだけで、落ちた「葉」の存在など一顧だにしていません。
その後、和歌よりも少ない文字数で表現しなければならない俳句の成立に従い、「木の葉落つ」を端的に表せる「落葉」という言葉が定着したのではないかということですが、そこから「落ちた葉」そのものへと視点が移っていったのかもしれませんね。いずれにせよ「落葉」がもの寂しさや無常観などを内包するようになるのは、そこに日本人の文化的成熟があったからだと考えられます。
さて、そんな「落葉」ですが、室町時代あたりには「枯葉」と表現されたりもして、やはりどうしても「老い」や「終焉」などマイナスイメージを抱かれがちです。でも、本当にそうでしょうか?
今回の歌のキーワードはもちろん「落葉」ですが、重要な役割を果たしているのは「風」のほうです。東西南北あらゆる方向から吹きつけ、吹き抜けていく風は、「自由」の象徴。だから、役目を果たして枝から離れる「落葉」もまた、その風に乗る、とても自由な存在なのです。誰にも邪魔されず、当て所すらない。でもこの上なく自由な旅へ、落ち葉は出発するのです。
若い頃は「なにがしたい」「あれが欲しい」「こんな人物になりたい」……いろいろ目標がありますよね。でもこの歳になると、目標を立てても体と頭がついてこない。だったらいっそ、風に身を任せるのもいいじゃありませんか。あっちへカラカラ、こっちへカラカラ……もしかしたら思いも寄らないステキな出来事と出会えるかもしれません。
人生は計画どおりにいかないもの。必死にしがみついているのがつらくなったら、枝から手を離してみるといい。そうすれば、なにか違うものが見えてくるかもしれませんよ? だって、風はいつでも吹いているのですから。

歌を詠んでみましょう!

テーマは……
落ち葉

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第二首

(想像してみてください…)

長く勤めた職場を今日で退職。
最後の最後まで容赦なく忙しかったけれど、みんなに見送られて事務所を後にすれば、ほっとしたような少し寂しいような複雑な気分になる。
通い慣れた道を歩きだし、ふと見上げると、黄色く色づいたケヤキの葉。
今までちっとも気づかなかったけれど、いつの間にかそんな季節になっていたのか。

ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)

いつしらに*
欅の梢 色付くを
今し*目に入る職退きし日に
 
<2013年、秋に詠む>

注)
「いつしらに」は「何時知らに」で、「何時知らず」を万葉風に表現したもの。この場合、「知らに」の「に」は打消しを意味する。「いつしら=いつの間にか」としても使用される。
「今し」の「し」は強調表現。

<解説>
みなさんはこの歌を読んで、どんな印象を持たれましたか? 少し古風に感じられたのではないでしょうか?
おそらくその理由は、冒頭に配した「いつしらに」という言葉。注)でも説明しましたが、『現代短歌用語考』に「いつしらずを古めかしく言った語」と紹介されています。ほかにも万葉集などを意識した言葉遣いを取り入れることで、古典的なイメージが醸成されていると思います。でも内容は、現代の多くのひとが経験するであろう人生のひとコマですよね。
これは古典和歌でも実は同じで、読んでみると「今日は好きなひととお話しできちゃったから幸せ!」とか、「遠くで鹿が鳴いてるなぁ」とか、そんな日常的なことを歌っているものがほとんどです。案外共感できる歌も多いので、ぜひ敬遠せずに読んでみていただきたいと思います。そして心に残った言葉を、自分の作歌に取り入れてみてください。古語的な言い回しを使うことで、他愛ない日常を詠んだ歌がぐっと格調高くなります。また、口語ではめったに耳にする機会もありませんので、逆に新鮮に感じられるかもしれません。普段使いの言葉で書かれた短歌が多い現在の風潮の中で、ひとつ自分なりの特徴をつけることができますよ。

歌を詠んでみましょう!

テーマは……
古典的言い回しを取り入れて詠んでみましょう!

・・・・・・・・・・

あなたの短歌をご寄稿ください!ー『作歌のこころみ』

『週末歌仙』では、老若男女問わず気軽に作歌を楽しみたい方を募集中です。
「うまくつくれない」
「それ、おもしろいの?」(おもしろいです!)
そんな皆さんは、まず肩の力を抜いて、自分の心と向き合いましょう。
なにかを美しいと感じたり、楽しいと思ったり……。心を動かされたら歌の詠み時です(笑)

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ちょっとやってみようかな、と思ったかた、ぜひご応募お待ちしています!


短歌:楓 美生
はがき絵:ともこ
編集:妹尾みのり

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