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週末歌仙*葉ノ弐

歌を詠むということ

短歌とは、感動したこと、悔しいこと、悲しいことや嬉しいこと、すべてを言葉にのせて表現するものです。
歌を詠むこと、それは、長い人生において心の薬となるでしょう。
私も人生の山坂を短歌に支えられ、 81歳 まで 生きてこられました。
だからまず難しいことはおいといて、あなたの心が感じたままに、歌をつくってみてください。
きっと作歌の楽しさが、だんだんわかってきますよ。(楓美生)

歌人・楓(かつら)美生(みお)
昭和17年10月28日 杉並区荻窪生まれ

玉川上水の桜橋を散歩中、その後歌の師と仰ぐことになる人物と
偶然出会ったことがきっかけで、短歌を始める。
多摩歌話会(歌人集団)に15年ほど所属。
NHK、地方の短歌大会入賞。
現在は近所の歌好きを集めて、短歌の指導をしている。

<好きな歌人>
栗木京子、寺山修司、尾崎左永子
<好きな歌>
ここに咲きここに散りゆく秋萩のごとき一生(ひとよ)を悔いざれよゆめ

第一首

(想像してみてください…)

ある晴れた春の日。
ウォーキング仲間数人と、上水沿いの遊歩道を散策。
新緑も美しい並木から、ふと視線を移すと、民家の前へ佇む1本の山桜が目に留まった。

ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)

萌えいづる
さ緑のなか ひかえめに
咲く山桜心潤す
<2022年 春に詠む>

はがき絵・ともこ作

<解説>
桜と言うと現代ではソメイヨシノを思い浮かべがちですが、昔の和歌に詠まれた「桜」はほとんどが山桜を指します。
早春に咲くソメイヨシノとは違い、多くの木々が若葉で彩られる頃に、みずからも葉と共に花をつけるのが山桜。そのため、ピンク一色で主張の激しいソメイヨシノよりも、どこか奥ゆかしく感じられます。
この歌は、そんな山桜の飄々たる様子と、新たな芽吹きを誇るように鮮やかな緑へ染まった並木とを対比して詠いました。
いっせいに「動」へと転じた周囲に対して、我関せずとばかりに泰然としている山桜の姿。それを見てなぜかホッとした気持ちになったのは、もしかしたらこの時、ひとづきあいが少し面倒になっていたのかもしれません(笑)
同じ景色を見ても、感銘を受けるポイントはその時の自分の心持ちで違ってきます。短歌は心の鏡。詠んだ歌から自分の本当の気持ちを推し量るのも、また作歌の楽しみかもしれませんね。

歌を詠んでみましょう!

テーマは……
1)「動と静」「陽と陰」など、性質の異なるものを対比
2)あなたが「ホッとした瞬間」

・・・・・・・・・・

第二首

(想像してみてください…)

友人の家へ行った帰り道。
昼下がりの往来に、ひとの姿はほぼない。
浄水場を囲むフェンス沿いの芝の土手へ、桜の木が点々と植えられている。
盛りを過ぎた花は、風が吹くたび見事な桜吹雪となって散っていく。
そんな中、皆に遅れて一枚のはなびらが、ひらりひらりと舞い落ちてくる。

ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)

花季終えて
散り遅れたる 花びらが
ひとり舞台でかぜに舞いたり
<2000年、晩春に詠む>

<解説>
桜の散り際の潔さ、華やかさは格別です。
そんな美しい群舞に間に合わず、置いてきぼりを喰らったように落ちてくる1枚のはなびらは、どんくさい? 往生際が悪い? 
そうしたマイナスイメージで見ることもできますが、わたしは敢えて「真打は遅れて現れる」と捉えました。例えば能でも、脇役の演者が舞台袖へはけた後、シテ(主役)だけがひとり残って舞うシーンがありますよね。
にぎやかに退場する仲間を見届け、その場を締めくくる。あるいは、最後のひとりとなっても毅然として役目を果たす――そんな凛とした美しさを秘めたはなびらに、春の華やぎの終焉を感じたのかもしれません。
目にしたものを否定的に捉えるか、肯定的に捉えるか。それによって歌の内容は大きく変わります。どちらでも味のある歌は詠めますので、同じモチーフで2首つくり比べてみるのも面白いですね!

歌を詠んでみましょう!

テーマは……
1)春の終わり
2)マイナス印象のものをプラスに転じて詠ってみる


短歌:楓 美生
はがき絵:ともこ
編集:妹尾みのり

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