【文学フリマ札幌9】羽根の採集#文学フリマで買った本 #羽根の感想
こんにちは。先日、文学フリマ札幌9にて短歌の本を買い集めたので、
読んでは感想を書き…と思っています。
羽根の採集はすでに始まっている!?
「入瀬紗鳥」様の『羽根の採集』という短歌集を購入。
記憶がたしかであればフランス製本。
折り返し部分には鳥のイラストが描かれている。
『羽根の採集』というタイトルだし、鳥のイラストが描かれているし、
鳥にまつわる短歌かなと推察したが、あとがきには以下のような記載がある。
羽根は記憶という言葉に置き換えることができそうだ。
"わたし"や"あなた"は記憶によって成り立つものの象徴と考えられるだろう。
つまり、
短歌によって彩られた記憶は、新しい記憶としてもう一度成立する。
羽根は生え変わり、別の色の翼になる。
よって、日常を彩る短歌がテーマと考えられるだろう。
掲載順に感想を記載する。
『羽根の採集』
筒になりたい/水の無い噴水に入って
「筒になりたい」と「水の無い噴水」では連作としてテーマが遠いのだろうけれど
「筒になりたい」は親しい友人との何気ない日常がテーマにみえた。
「水の無い噴水」は悲しい記憶だろうか。
"あるく"という言葉はわざわざひらがなで記載されている。
"歩く"より"あるく"のほうがスキップしているようにもみえる。
空っぽな自分自身をもう一度見つめなおす作業。
なんて悲しい短歌なんだろう。
「水の無い噴水に入って」のテーマが本当に悲しい記憶なのかは怪しい。
しかし、この上記の短歌で「きみ」はどこにいるのだろう。
もし「きみ」と一緒にいられたとしても、永遠にすれ違っているようにも感じる。
羽根の採集
羽根の採集は本のタイトルにもなっている。やはり日常がテーマなのだろう。
著者の性格が垣間見える短歌に感じる。
関連性は薄いのだが旅に関する短歌は上記のnoteでも詠まれており、
旅の理由という点で関連性を見出したくなってしまった。
2首でひとつの作品にする予定だったのだろうか。それとも著者の気まぐれか。
あなたが誰であろうとも素敵な2首と思う。
義弟/シーラカンス
「義弟」と「シーラカンス」も連作としてテーマが遠いのだろうけれど…
「義弟」については敢えて記載しない。
理由はわたしが簡単に記載してはいけないことだと感じたからだ。
「シーラカンス」のテーマは「過去との決別」だろうか。
忘れものや失くしものに対して、仕方のないことだと感じている短歌にみえた。
代わり/銀河鉄道
同じく「代わり」と「銀河鉄道」も連作としてテーマが遠いのだろうけれど…
「代わり」は怒りがテーマかなと思うが、正直、「銀河鉄道」は何がテーマかわからなかった。
たった3音の「帰ろ」だが、
読んでいると置いてけぼりにされているような気分になる。
たった3音だからかもしれない。
「代わり」は全編にわたって怒りを感じる。
比喩表現であっても、わたしは人を空に投げたことはない。
たった2首しか紹介できないが「銀河鉄道」のテーマが何なのか、
ここまで読んだ方は一緒に考えてほしい。
最果てにて/龍を見た夜
「最果てにて」はたった5首しかない。わたしはそのバランス感覚が好きだ。
テーマは「最果てにて」そのものなのではないかと感じている。
「龍を見た夜」に感じたものはとても淡い感情だ。
どちらの短歌もとても抽象的である。
質量保存の法則
最後のテーマは間違いなく「きみ」である。あえて1首だけ紹介しよう。