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年の始めのエンディングノート

 ここ3年の間に、父が亡くなり母と伯母の介護施設への入居があったりして、老後が一気に身近なものになりました。これまであまりにも何も考えず、「アリとキリギリス」のキリギリスのように、何とかなるさと能天気に生きてきたため、今更ながらに焦っています。

 でも考えてみれば、いつ自分の元に死が訪れるかなんて分からない。ひょっとしたら、老後なんてないのかもしれない。のんびり構えている場合じゃない。いつ何が起こってもいいように、後始末について書き残しておかなくては。そうだ、エンディングノートを作ろう。

 さて、どんなことを書き残しておけばいいのだろうとネットで調べてみたところ、延命措置の可否や葬儀の方法などなど、かなり細かな項目が。でもこれは非常によく分かります。胃ろうをするかどうかなんて、ちゃんと意思表示をしておかないと、遺族に迷惑かけてしまう。

 財産目録や預貯金口座欄は、すらすらと記入できました。すると、パソコンやスマホの後始末の方法、サブスクやSNSの利用状況欄が登場。うわー、いまどきだなぁ。でもこれは確かに重要。どんなサブスクを利用しているかなんて本人以外知らないし、死後も課金され続けたらたまらない。

 父を2年前に亡くしましたが、スマホもクレジットカードも持たず、ATMすら使ったことのない昭和ひとケタ男だったため、諸々の手続きは非常に楽なものでした。それに引き換え私の死後の手続きは、相当な手間をかけてしまいそう・・・と顔がひきつった次第です。

 XやInstagram、このnoteも落とし前をつけてもらわなければならないけれど、パスワードが分からなくなり調べ直す始末です。ほとんど使っていない預貯金口座も徐々にまとめ、シンプルにしてゆかないと。さてどんな遺影にしようかなと、奇跡の一枚を探してる場合じゃない。もっと現実的な問題に取り組んでおかないと、こりゃマズいことになりますわ。

 縁起が悪いという向きもおられるかもしれませんが、これからは年の始めに、エンディングノートの更新をしようと決めました。ああ、今年も無事に生き延びたなと感謝しながら。 
 さあこれでいつ最期を迎えても大丈夫と思えたら、生きることに全力投球できるはず。

 死ぬことは、生きることと見つけたり。

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みのむし庵主の1K日記
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