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つくづく頭が下がります

 この9月は熊野詣を考えていました。熊野三社はよみがえりの神様と聞いたので、リスタート、心機一転のしるしとして。

 しかし熊野は遠い。神戸の東の端に住んでいるので、大阪はすぐそこ、奈良もそこそこ。京都は1時間程度だし、滋賀も遠くは感じない。なのに和歌山は遠い。私が特急くろしおで白浜のパンダに会いに行くより、東京から飛行機でアドベンチャーワールドに行くほうが、早いんじゃないかしらん。

 クルマで白浜に行こうと盛り上がり、大阪を越え和歌山市内に入った途端、行き先案内板に「潮岬 100km」と書かれているのを見て車内が静かになり、引き返そうかと相談したこともあります。おそるべし、和歌山。広い、スケールが違う。そう、和歌山を甘く見てはいけないのです。

 もうずいぶん前のことになりますが、熊野本宮大社にだけは行きました。紀伊田辺駅から2時間くらいバスに揺られ、神聖な山に深く分け入っていく。そこにどーんと構える熊野本宮大社。おみそれしました、負けました、という堂々たる佇まい。頭を垂れるほかありません。
 
 ご祈祷を申し込んだら、同じご祈祷の組の人が豪勢にもお神楽をお願いしており、ささやかすぎる祈祷料を納めた私までご相伴にあずかる、というラッキーな参詣でした。熊野の神様は、祈祷料の分け隔てなく愛を注いでくださるのだと、さらに頭が下がりました。

 参詣を終え、麓の喫茶店でお昼ごはんをいただいていると、店で待ち合わせをしているお客さんの会話がどうも不穏で、反社の香りが漂ってきます。カチコミに巻き込まれたら大変と、降り始めた雨も意に介さず、頭ならぬ視線を下げ、そっと店を後にしたのも、懐かしい思い出です。

 さて、今回の熊野参詣計画はどうなったのでしょうか。

 残念ながら、見送りました。酷暑の南国に恐れをなしてしまったこと、行ってみようと腰を上げると、天気予報に傘マークが並んでいたこと。そういえば熊野は、日本有数の降水量を誇る尾鷲にもほど近い場所でした。タイミングが合わなかったとこともありますが、気力と体力がどうしてもついていかなかったのでしょう。後白河法皇の熊野参詣34回というのは、輿に乗っておられたとはいえ、驚異的な数字です。

 でも私の散歩コースには、熊野の神様を祀った神社がありました。手水舎では、熊野の神様にお仕えする八咫烏さんが、人感センサーで水を吐き出してくれます。例えが下世話で恐縮ですが、熊野三山を本店とすれば、支店に詣でるようなもの。品揃えもそう大差ないはず。

 総本宮を頂点として全国各地に同じ神様を祀る神社がある、というシステムのありがたさ。また、伊勢神宮の遥拝所や摂社・末社を設けてある神社が多いというのも、よく考えられていると感心することしきりです。そりゃあ総本宮に参詣するにこしたことはありませんが、様々な事情に遮られて叶わないこともある。そんなとき、神様はやさしい。支店でもいいからおいでよと、全国各地に支店を設けて下さっている。これから年を重ねるにつれ、本店にお邪魔することが難しくなると、ますますありがたみを感じそうです。

 熊野三社に足を運べなかった替わりに、散歩の途中の神社に寄り、今後ともよろしくお導きくださいと、しっかりと心をこめ、頭を下げたのでありました。

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みのむし庵主の1K日記
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