リスタート
一年あまりのご無沙汰です。ログインパスワードすら忘れておりました。
思えば足かけ3年。自分の人生の中で、これほど慌ただしく、右往左往した期間があっただろうかと思います。父が心不全で倒れた2か月後に母も脳梗塞で倒れ、それぞれ介護施設に入れることになり、準備に奔走。無事に入所し、一息ついたところで父が亡くなり、葬儀の翌日に伯母が体調を崩して救急搬送。今度は伯母の老人ホームを探し、住んでいたマンションを片付け売却し、とまぁ、次から次へ。
占いの先生によると、ここ5年は非常に大変で、孤独を感じる時期だとのこと。うれしくはないけど、ばっちり当たってますよ、先生。・・・それにしても、本当によくがんばたったよ。誰も褒めてくれないから、自分だけは褒めてあげたい。おつかれさん、私。
そんなわけで家族のことにエネルギーを注いでいましたが、自分の来し方行く末についても、悩み考えてばかりおりました。両親や伯母の姿を見ていると、いやが上にも自分の老後を考えさせられ、果たして自分はこれでいいのか、どう生きたいのだろうかと、自問自答の日々でした。
そしてようやく得た結論は、至ってシンプルなものでした。
自分に合わないことはしない。
自分のやりたいことをしよう。
5年前、長らく勤めた会社を辞めました。退職の3年前から大学で歴史を学び直していて、研究することや書くことの楽しさを味わい、書いたものへの評価をいただいていたので、書くことで生きていけたら、と思ったのです。そのころnoteへの投稿も始めました。高校生の頃から始めた朗読も再開しました。「言葉を書くことや読むこと」が、自分の天職だと思ったのです。
「言葉を書くことや読むこと」を中心とした生活を始めてはみたものの、思うように軌道に乗らず、とりあえず生活費稼ぎにと思った派遣の仕事が、思いのほか厳しく、「言葉を書くことや読むこと」に注ぐ体力がなくなったり、自分のことに時間を割けなくなってしまったり・・・。持久力のなさに自分を責め、迷いと後悔の時間を過ごしました。「言葉を書くことや読むこと」は無理だ、その夢は忘れてしまおうと思いました。
でも母と伯母が落ち着いて、自分のこれからのことを考えたとき、やり残したことを抱えたまま死ぬのはいやだと、強く強く思ったんですね。
自分に合わないことはしない。
自分のやりたいことをしよう。
というわけで、久しぶりにnote投稿をしました。うまく書こうと思わずに、自分の感じたことや、やってみたいこと、これまで経験したおもしろいことをつらつら書いて、楽しめばいいじゃない。それを読んでくれる人がいたら、こんなにうれしいことはないじゃない。うまい朗読を目指すんじゃなく、誰かが望むものを読んであげることができたらいいじゃない。誰かと一緒に音読をすることで、その人の暮らしが明るいものになるような、お手伝いができたらうれしいじゃない。
一周回ってすこし肩の力が抜けたのか、そんな風に考えられるようになりました。
さて、リスタートです。
でも、力みません。楽しくいきます。