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なんでも読みます(2)レシピを読む 

 クルマから降りると、真新しい2階建ての白い建物が目に入った。高齢者の方が数十名住んでいる施設と聞く。今日はここに住んでおられる方のために読む、初めての「出張!なんでも読みます」だ。

 「なんでも読みます」は、お客様がお持ちになったものを読む、というもので、基本的にはお越しいただくシステムなのだが、この仕事を耳にした知人から、ぜひうちに来てほしいと頼まれたのだ。
 お役に立てるなら、どこでも参上しますよ。
 
 お客様は90歳に近い女性で、ミキコさん。入所して2か月ほどなのだという。普段は入居者の交流の場として使われているスペースに、彼女は一人座っていた。しっかりとして意志的な、気の強そうな面持ちで。これはちょっと手ごわいお客様かもしれないと、直感的に思った。

「初めまして、こんにちは。ご希望のものをなんでも読む、ということをやっています。今日はお呼びいただき、ありがとうございます。何をお読みしましょうか?」
「別に呼んだわけではありません。ここの方から、話し相手になれそうな人が来ると聞いただけです。」
「・・・そうでしたか。何かを読みながら、お話できればと思います。」
「読んでほしいものなど、特にないわ。」

・・・困った。朗読を通じてのコミュニケーションはできるが、カウンセリングの勉強をしたことがあるわけではないし。
 やはり朗読に頼ろう。何か読むものはないかと見回していると、片隅の本棚の料理本が目に止まった。料理が好きかどうかは分からないが、一か八か、やってみよう。

「お料理の本はどうです?」
「料理の本?そんなもの読んでどうなるんです?」
・・・ごもっともです。料理本を朗読するなんて、私にも経験がありません。  
 でも、ここでの仕事を全うするためには、これを読むしかないと思い、料理本を開いてみる。家庭でよく作るお惣菜の本だ。ページをめくっていると、おいしそうなハンバーグが目に止まった。ハンバーグが嫌いな人は聞いたことがない。

「ハンバーグはいかがです?」
「ハンバーグの作り方?そんなものを読んで、楽しいですか?」
・・・ごもっともです。なかなかの圧に、負けてしまいそうだ。しかしここで朗読しないのは依頼してくれた知人に失礼だし、今後の仕事にも響きそう。なんとかやり遂げなくては。
 なんとでもなれ。見切り発車で読み始めた。

「ハンバーグの作り方
材料(2人前)
合挽き肉 200g、パン粉 カップ1/4、牛乳 大さじ2、玉ねぎ 80g、バター 大さじ1、玉子 1/2個、塩・こしょう・ナツメグ 各少々、サラダ油 大さじ1/2
ソースとして トマトケチャップ 大さじ2、ウスターソース 大さじ1

作り方
1.パン粉に牛乳をかけて湿らせておきます。玉ねぎはみじん切りにして、しんなりするまでバターでいため、冷まします。
2.ボールに肉、玉ねぎ、パン粉、玉子、塩、こしょう、ナツメグを入れて、粘りがでるまで混ぜます。
3.2を2等分にして丸め、左右の手のひらに交互に打ち付けるようにして、中の空気を抜きます。
4.小判型に整え、真ん中を少しくぼませます。焼くと肉が縮んで中央が厚くなり、火の通りが悪くなるからです。
5.フライパンを熱して油を入れ、くぼませたほうを上にして、強火でさっと焼き、表面を固めます。中火にして、時々フライパンを揺すりながら、焼き色を付けます。
6.裏側も焼き色を付けます。焼き色がついたら弱火にし、ふたをして6~7分、中まで十分火を通します。」

「違う、違う。待ってちょうだい。玉ねぎは「しんなり」じゃなくて、飴色になるまで炒めるの。」
 いきなりさえぎられてしまった。煮込み料理ではないから、玉ねぎに多少の歯ごたえが残っているくらいがおいしいのでは?と思いながら、
「ゆっくり時間をかけて、飴色になるまで炒めておられたんですね。」と尋ねた。
「玉ねぎが苦手だったの。」
「ミキコさんがですか?」
「私じゃないわ。息子たちがよ。特に上の子がね。」
 ミキコさんには息子さんが二人いることを知った。

 その後も1行読み上げるたびにダメ出しがある。朗読をするために訪れたんじゃなかったっけ?という思いをよそに、自分の作り方を主張するミキコさんの声は、ますます活気づいてくる。彼女の言葉をメモし続けているうちに、ハンバーグは湯気を立てて完成した。

「ミキコさんのレシピが出来上がりましたよ。読んでみますね。」
 彼女のレシピに基づいて追加した材料から、ひとつひとつ丁寧に朗読する。もちろん玉ねぎは飴色になるまで炒める。

 予定時間になった。ミキコさんから儀礼的なお礼の言葉をいただいて、施設を後にした。朗読をしに行ったのでもなく、親しく話をしたわけでもなく、まったく不思議な一日だった。
 ハンバーグの写真を見ながら、レシピのことばかり考えていたから、その日の晩ごはんはハンバーグ一択だった。
 そうだ、ミキコさんのレシピ通りに、ハンバーグを作ってみよう。

 優に2時間もかかってしまった。玉ねぎを飴色に炒めるだけでなく、デミグラス風のソースも作り、思った以上に手の込んだハンバーグだったからだ。年代からして、ミキコさんは専業主婦だったに違いない。おいしいだけでなく、栄養バランスも考え、二人の息子が食べやすいように工夫し、日々キッチンに立っていたのだろう。ミキコさんのレシピは彼女の生きた証であり、人生と誇りがぎゅっと詰まっていたのだった。

 調理行程も画像にしっかり収めておいた。パソコンを開き、レシピを文字化し、画像を添えて、料理本の1ページのように作ってみた。
 タイトルはもちろん、「ミキコさんのハンバーグ」。

 五月晴れの午後、ミキコさんのいる施設へ足を運んだ。不意の訪問に驚いた彼女に、レシピを手渡した。
「作ってみたのね?」
ミキコさんは私の目をしっかりと見つめた。
「ええ、とてもおいしかったです。玉ねぎを飴色になるまで炒めると、時間はかかるけれど、やっぱりおいしいものですね。」
「そうでしょ?喜んでくれる人がいたら、手間も苦にならないものよ。」

「次は生姜焼きにしようかしら。」
「はい?」
「いつ来るの?」
「え?また来てもいいんですか?」
「当たり前でしょ。あなたが来ないと、私のレシピが作れないじゃない。」

 この施設では、入居者が料理を作ることはできない。二人の息子さんのために作ることも、おそらくもうないだろう。でもレシピやそれにまつわる思い出は、いつまでもミキコさんの中に生きている。
 玉ねぎのみじん切りは終わったのに、視界がすこし滲んだ気がした。
 
 次回は豚肉のしょうが焼き。思い切りダメ出しをしてもらって、「ミキコさんの生姜焼き」レシピを作ろう。

あなたの望むものを、なんでも読みますよ。
出張もいたします。
あなたのお越しを心からお待ちしています。

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