「そのとき、病気にもらった感性が武器になりました」 どん底の僕に生きる力をくれたあるものとは|あかりアート展入賞者インタビュー 日比野啓市さん
岐阜県美濃市が、日本に、世界に誇る文化「あかりアート」。見て楽しい、作って楽しいあかりアートの魅力をもっともっと知って欲しい。
そこで、美濃和紙あかりアート展の入賞者に、あかりアートの魅力やあかりアート作りの楽しさ、上手に作るコツ、あかりアート展を最大限楽しむためのポイントなどを聞く連載企画がスタートしました。
今回お話を伺ったのは、第27回美濃和紙あかりアート展でライトアップ賞を受賞された日比野さん。
日比野さんのあかりアート作りへのこだわりや、あかりアートを上手に作るためのポイントなど、これを読めばこれまで以上にあかりアートを楽しめること間違いなしです。
作品作りにハマったのではなく、生かされていたのです
ーー作品作りにハマるきっかけはどんなものがあったのでしょうか
元々は自分に生きる気力を取り戻すためでした。
20代は持病の喘息に悩まされました。勤めていたのが、幸か不幸か夜中から夕方まで働く魚屋だったので悪化するばかり。窒息死寸前の時も。「使いもんにならん」と言われました。
腱鞘炎の激痛もあり仕事にならず「かたわ*を雇ったつもりはないでな」とも(*かたわ:身体の一部に不自由がある人に対して使われた言葉 ※ インタビューでお聞きしたまま掲載しています)。ですので、負けじと出勤しました。
それでも体調には太刀打ちできず、そこを辞めてなぜかニュージーランドに逃亡しました。場所を変えたら何かが変わると勘違いしたんですね。
しかしそこでも喘息の発作が再発。何を目標に生きてるのか分からず、圧倒的な孤独感と向き合いました。不眠症にもなりました。
1998年、28歳になって、別の発作が起こります。
パニック障害のはじまりです。今思えば過度のストレスから来ていたと思います。
パニック障害は帰国後さらに悪化しました。公共の乗り物が乗れなくなり、自分の車でも信号で止まると発作。毎日の通勤が闘いです。
資格をとるための試験も座るのがやっとで、「誰か殺してくれんか」と思って生きていました。
真っ暗です。胸の中が、真っ暗け。
帰国して5年がたったとき、それまでの発作が病気だとわかりました。
「一回生きるのやめよう。こんなにダメなのに社会に合わせるのは無理だ。子どもからやり直す。」
そう思って、一回死んだつもりで、子どもからやり直すように過ごしました。
散歩道
写真:日比野さんのFacebook投稿写真より
来る日も来る日も散歩をしました。木々と接し、川の流れを見て、そこに生きる生物と接しました。
かたや、精神を救おうとこれでもかと本を読み続けて。中村天風先生の「痛いのは身体であり自分(心)ではない」という教えを頭に刷り込みながら過ごしました。
潜在意識の本なども読んでいたので、鏡を見ては「お前は最高だ、またのし上がれる。自分を信じろ」と言い続けました。
本当は心の中が真っ暗けで、呼吸するのが精一杯でしたけど。
そんなある時、真っ暗な胸の中にポッと何か小さな光が灯りました。
写真:日比野さんのFacebook投稿画像より
「楽しいと感じるものを自分に入れてやると生命力が上がるかもしれない」という仮説を立て、入れまくりました。
ーーそのときにあかりアートと出会ったんでしょうか
いきなりあかりアートと出会ったわけではないんです。
2007年。絵を描く事が好きだった事を思い出し、墨絵を描くために美術教室の門を叩きました。墨絵を描こうと思ったのは伊藤若冲(江戸時代の画家)の絵に魂を喰われたからです。
そこで先生が「日比野さんには和紙が合いますよ」と出してくださったのが美濃和紙。そこでふと母親の田舎の美濃市蕨生(わらび)に紙があったと思い出しました。小さい頃、夏休みに遊びに行った事も、そのときまで忘れていたんですよね。
蕨生の親戚の家に行くと本美濃紙(重要無形文化財)を漉いていまして、そこでいただいた紙で鳥の羽を作りました。猛禽類の猛々しさに力をもらえる気がしたので。今思えば、いただくものではないですね。
その年のあかりアートを見て、翌年に出してみようと決めました。「これで何も人生におきなければ、まぁ、終わりだ」と。
過去のあかりアートの町並み
写真:日比野さんのFacebook投稿写真より
ようやくこの世に生まれたと思いました。頂いた賞よりも嬉しいたくさんの笑顔でした。
作品にはある願いを込めました。
幸せは日々の日常から摘み取るもの。
忙しいとき、苦しいとき、悲しいとき、どんな時も幸せの種は常に傍らにあります。
いじめや、自殺、差別や偏見、そんなものは起こる必要がないくらい互いに違って当たり前なのが人間。そして、身近なところにたくさんの幸せな花がある。
タイトルは「空を彩る花の名は」です。
2008年のあかりアートに出品した初作品の鳥。猛禽類の猛々しさと、羽一枚一枚の繊細さに目を奪われます。
2008年。38歳。
自分のあかりアート作品の前にたくさんの笑顔が広がりました。
ここに生きる場所があるかもしれない。紙と繋がれば自分の方法でみんなを笑顔に、日常を豊かにできるかもしれない。
ようやくこの世に産まれたと思いました。いただいた賞よりも嬉しい、たくさんの笑顔でした。そのとき、病気にもらった感性が武器になりました。
「よくまぁ、暗黒の時代を乗り切ってくれたもんだ」と少し自分をほめてあげましたね。
なんとか上を見ていたから、いろんな出会いがあったからこそ今があります。病気にすら感謝しています。病気は神様からのいただきものです。
それから5年後、症状が落ち着いてきた2013年の12月に美濃の人になりました。作品作りにハマったのではなく、生かされていたのです。
自分の弱さは視点を変えると世の中に貢献できる武器になる
ーー今はどんな想いで作品を作っていらっしゃるのですか
もし、パニック障害になっていなければ、あのあかりアートの夜の感動はありません。そして、自分の弱さは視点を変えると武器になる、世の中に貢献できる武器になると知りました。
それぞれがそれぞれの幸せを追求できる社会を未来に遺したい。
そのために私は紙に使われ、使います。
日比野さんのアート作品。ふわふわ踊るような和紙の羽は、紙でできているのに温かな羽毛のようです。
楽しいのはゾーンに入る時と作品との対話
ーーあかりアート作りで一番楽しいことはなんですか
ゾーンに入る事ですね。
言葉にするのは難しいのですが、出来上がってくる過程でその造形に胸が踊ってくるのです。ゾワゾワしてくるというか。そんなときは、評価はどうあれ、自分にとってワクワクする形ができているということです。
作品との対話も楽しい時間です。
僕の作品の場合は細かい部品を貼っていく作業が多く、次はどこへ貼ったら良いか、じっと眺めます。結局はバランスを見てるわけですが、これが対話をしている感覚になります。この感覚は、ただ貼っていく作業のときだけです。
小さな部品をたくさん作って組み合わせていくのが、日比野さんの作品の面白く魅力的なところ。
写真:日比野さんのFacebook投稿写真より。
「わけわからんけど、すげぇ」という感覚になって欲しい
ーー今回の作品作りで苦労したポイントはどこですか
苦労したのは、立体の作品というところですね。実は立体は苦手なんです。
また、光をどうを通すか、出たとこ勝負で良いのか? など、たくさん考えました。
苦労というより葛藤ですね。
ーー作品に込めた思い、注目して欲しいポイントを教えてください
今回の作品は自分の中では「自分の王道」である、和紙の羽を使う作品です。ですから新しい試みはないですが、「わけわからんけど、すげぇ」という感覚になって欲しいという想いがあります。
「有機的で獣っぽい、でも、なんだ?」とか、頭を働かして欲しいです。また、遠くから観たあとに近くで観てみたら、実はこんな細かいことしてたんだ! と、二度楽しめるところも感じて欲しいです。
これも「アート思考」の一つかもしれません。作品を見て、あれこれ考えたり想像したり。ただ見て「きれい!」だけじゃない作品が、あかりアートとこれからの時代をマンネリ化させず、刷新していくために必要かもしれないと思っています。
今回の第27回美濃和紙あかりアート展でライトアップ賞(柴崎幸次賞)を受賞した作品。作品名「ケモノメク」。たくさんの羽が絶妙な立体感で重なっていて、命が宿っているよう。
紙の語りに聞き耳をたてる
ーー作品を作るときに大切にしていることを教えてください
紙の声を感じる、紙がどうしたいかを感じることです。紙の気のうねりを感じとって、そこに自分自身にゾワゾワ感を感じるかどうか。
紙の声を感じるというのは、これはパニック障害からの苦しみから逃れるためにたくさんした散歩から得たチカラというか、散歩中はどんな小さなモノもコトも感じようとしてたんだと思います。自分の生きようする力を取り戻すために。
今も木々や花や葉、鉱物や水などにふと意識を向けると何かを語りかけてきてるようにしか感じなくなってます。おそらく製作中は感覚を研ぎ澄ます事で、その語りをさらに深く聞こうとしてじっと見ているのです。
ですから、作っている時間より見ている時間が長いです。製作中の作品をスマホに入れては見ています。「聞き耳を立てている」という感覚ですね。
設計図を起こせそうな計算された作品には、この過程はあまりないんじゃないでしょうか。
今の自分の課題は、紙の声を感じつつ、人が見て「すごいな」と感じてもらえるような仕掛けを意図的に入れる事かなと思っています。
「ケモノメク」を横から撮影したもの。作品の淵から溢れる光が作品を引き立てる。
賞を獲りたいなら、傾向と対策と冒険です
ーーこれからあかりアートを作ってみたい方は、どんなことに気をつけて作ると上手に楽しく作れると思いますか
人それぞれなのでよくわかりませんが、あえて言うなら、「賞を獲りたいなら、傾向と対策と冒険」です。
僕は賞を狙いには行ってないので、傾向と対策は意識していません。ただ、あかりアート委員会の方と知り合って、運が良いと審査員さんたちの選考にどんな傾向があるのかを知ったりするわけです。
例えば「暗さ」を表現してるものを評価していたとか、色を使ってるものは自然と評価の対象外になってるとか。
冒険というのは、そのような傾向を知ったら、例えばあえてそこで色を使って審査員さんたちの既成概念をぶっ壊す事です。それで賞がとれなくても話題になる可能性もあります。仮にそれで大賞を獲った日には、前例を覆した作品として残ります。
発表会ではなくアート展なので、賞のための対策にとらわれず、審査員さんに寄せて作るのではなく、挑戦していただきたいです。
日比野さんの過去のあかりアート出品作品:作品名「イン・フレイムス」
隣の番号で出展していたのを覚えていたアメリカ人の方と後日会った時に「ああ!あのヌードルみたいなやつだ!」と返ってきたとか。作家さん同士の交流もあかりアートの魅力。
写真:日比野さんのFacebook投稿画像より
翌日から楽しく生きるための糧に
ーーあかりアート展を楽しむためにどんなポイントに注目するといいと思いますか
作品自体はもちろん、作家さんの想いも感じてもらえたら嬉しいです。
挑戦をしたい人は、じっくり製法を観察して、可能なら作家さんから話を聞いてみる事です。「実は」というお話しが役に立ちます。
また、作品から若干離れた所から、「自分の作品を見守る作者とその作品を見る」というのもおすすめです。作品とそれを見ている人たちを一つの作品として見るんです。
これからどうなるかわかりませんが、星空と楽しむ人たちがいる風景を、あかりアート作品の余韻をたもちながら味わえるようになるといいですね。
あかりアート作品の灯り方は、当然、見る人によって違って見えます。それぞれ違った人生であり、違った感性を持った人の集まりが私たちだからです。
せっかく来たならば翌日から楽しく生きるための糧にしていただけたら幸いです。
写真:日比野さんFacebook投稿画像より
編集後記
どん底からのアートとの出会い、そして、作品を観にきた方々の笑顔で日比野さんの心が救われたというお話は、グッとくるものがありました。
特に、「自分の弱さは視点を変えると武器になる。世の中に貢献できる武器になる。」というご自身の経験からくる言葉には、悩みを抱えながら生きるたくさんの人たちが勇気付けられることでしょう。
一人一人が違って当たり前。それぞれがそれぞれの幸せを追求できる社会を遺したい。そう語ってくださった志を体現しておられることが伝わってきました。
それぞれ違った人生を生きてきた方達の作品に触れることができるあかりアート。作っている人と作品のつながりを想像しながら鑑賞してみることで、より、あかりアートの魅力を感じることができそうです。
取材=澤田おさむ / 文=汐口あゆみ