シベリア鉄道は、過去の日本へのタイムマシンだった(前編)


夜闇の平原を、走る列車に乗ったことはあるだろうか。

あれは20歳のことだ。
僕は雪降る中、18切符で札幌に向かっていた。
東京から一日で秋田の大館くらいまで行けたそれも、北海道は以外と広く、札幌まで遠いのにすっかり夜になってしまっていた。
――多くの人が特急に乗るのであろう。
だから、その列車は何駅も前からずっと一人で、僕の貸し切り状態が続いていたのだ。

誰もいない列車。暖房の効いた車内。
行儀悪く、靴を脱いだ足を座席に乗せ、僕は身体を沈ませる。
持ってきた本は既に読んでしまったのでやることはなく、今は外を見ることしかできない。

何もない荒野。広がる自然。たまにある急な勾配の屋根の家。
闇に沈んで、今は全てが死んだようなそれに、窓は車内の光景と、幼い自身の顔すらも映してしまう。

あの空間は何だったのだろう。
世界に自分だけが取り残されたような闇に、それでも光はあるのだと訴えるかのような場所。
いつも自信がなくて、ふざけることしかできない僕が、不安を忘れてただ浸っていただけの場所。
自分が光景の中にいるということ。その静かで美しい孤独。

思えば、あの列車に乗ろうと思ったのも、大きなことを前にした不安を忘れたかったのかも知れない。

――或いは、そんな幻想は30の僕にはないと、思い出ごとちゃんと殺しておきたかったのかも知れなかった。


  ◆   ◆   ◆

あの列車というのは、シベリア鉄道のことだ。

モスクワからウラジオストクまで9288キロを、急行では5泊6日で走る、世界一長い鉄道のことである。

2019年の6月、世界ではいろんな波乱が起きているこの時期に、僕はこの列車に乗ったのだった。

  ◆   ◆   ◆

ロシアに着いてからは失敗続きだった。

到着して流れてきた鞄には既に穴が開いたりだとか、何故かウラジオストク空港からシベリア鉄道の駅まで電車があると思い込んでてどう行ったらいいかわからず困るとか、円の両替ができないで途方にくれるとか、ロシアのSIMカードはタブレットでも使えると聞いたが使えなかったとか、そんないろんなことがあり、テンションが下がっていたのだ。

自分の準備不足や甘さが出たもので、これでシベリア鉄道にも乗れなかったらどうしようと悩んでいたくらいなのだ(ロシアントレインズという、ロシアントレインと一文字違いのサイトという、胡散臭い所で買ったものなのだ。※何の問題もなかった)。

それも無事に乗れて、一安心というところ。今度はどういう人が一緒に乗るんだろうという不安が襲ってきた。
(僕は人見知りでコミュニケーションが取れるまで時間がかかる上に、外国という言葉が通じない状況なのだ)

いっそのこと、事前にキャンセル起きてずっと誰もいなければいいのにと思う中、僕の4人部屋に入ってきたのは、夫妻と5歳の少年の、ロシア人家族だった。

調子が悪くて止まりがちだった懐中時計が、さらに役立たずになるのは、ここからのことだ。

今思えばそれは、孤独とは違う答えを知る、過去の日本への、旅の始まりの合図だったのだ。

  ◆   ◆   ◆

ロシアの家族は、とても親切だった。

車掌のわからない言葉を、簡単英語で言いなおしてくれる「一食だけ付いてくる鉄道ご飯が、さっきの言葉だと明日の昼になったけど、大丈夫」とか(どん兵衛食べたから平気だった)。
自分達が持ってきた朝食のパンと魚ペーストときゅうりとトマトを、当然のようにこちらに食べなと勧めてくれる(結局、貰ってばかりだった。こちらが返せたのはうまい棒とお茶くらいだったな。子供と遊んだことがお礼に入ると良いが)
お茶を淹れたぞと、呼んでくれる(お菓子も付いてくる)など、至れり尽くせりな中、特に一番助かったのがシベリア鉄道Wi-Fiの接続方法だ(※知りたければ、質問してくれ)。

正規の仕事がなく、週三四の派遣でのんびり実家暮らししてる僕にとって、心配させて両親へのご機嫌を損ねるのはまずかった。だから、何とかして連絡を取りたいと思っていたが、シベリア鉄道のサイトはロシア語でわからない。
だけど、彼らの手伝いもあって、何とか接続することができたのだ。
その時に言われた、「あなたの力になりたい」という言葉。
そんな物語以外聞いたことない言葉を、それも真っすぐ僕は言われたのだった。

そして何とかしてネットに繋げてホッとした後の一息に、彼らはまたお茶を淹れてくれた。

それは、ドラゴンティーという中国茶だった。味は美味しいのは勿論のこと、指で作る輪くらいのサイズの種みたいなものを、お茶の中に入れてお湯を注ぐと、水中で花のように開く、目で見ても楽しいお茶だった。

その感動は、てんぱってる僕には上手く受け止めきれないものだったが、これを書いてる今と、或いは今後落ち込んだ何かの折に思い出すことになるだろう。

「私達は、あなたの役に立ちましたか?」
「勿論です。あなた達がいなければ、私は両親に連絡をすることができませんでしたから」

  ◆   ◆   ◆

そして、心に余裕のできた僕は、周りを見ることができた。

二段ベッドが二つの部屋。それが幾つか並んだ車両に、太ったロシア人女性の車掌が一人。時にその人か別のおじさんが掃除に来る。
床のマットに掃除機をかけるそれは、ソファに脚を挙げて眺めるちょっとしたイベントだった。
通路の道は狭く、どちらかが身体を横にして足を止めなければならないけど、そうした何気ない擦れ違いも、狭い場所で身を寄せ合って生きる長屋のようで、わりと好きだった。

暇とか、目を奪われてとか、もしかしたら部屋に居場所がないのかとか様々な理由で、いろんな人がいろんな時に、車窓の外を眺めていた。
緑の平原と白樺ばかりで、時折集落と駅があるだけの、ほとんど何もない場所がただ続いているが、それでも街の目に慣れてそこにいろんな力を奪われすぎた僕にとっては、森林浴のように心を落ち着かせた上に、何か力あるものを残してくれるものだった。
そうして大きな音で吸い込まれるトイレで用を済まし、時折コップも洗う場所で手を洗い部屋に戻ると、ロシア人家族が起きていて、野菜とペーストを載せたパンと甘いコーヒーの準備をしてくれる。

そんな場所が、僕のシベリア鉄道で、きっとそうありたい家族の形だった。

それは本来決して特別でもなく、語る程でもないが、しかしこの国では語るざるを得ない悲しい状況にあるものだった。

だから、幾つかの何気ない日常を描写してみることにする。

僕は二段ベッドの上から、本を読む手を止める。
すると、少年がお父さんに乗っかかって、構って遊んでとばかりにじゃれていた。
お父さんはスマホでゲームやSNSをし、少年を無視してる時もあれば、手を休めて一緒にふざけてあげることもある。
少年がわけのわからない動きをして両親を笑わせている時もあれば、やりすぎて上のベッドに頭をぶつけて叱られている時もあった。

少年がチェリーを食べてて落として、そのまま食べようとしたら、両親に捨てろと言われ、皮を捨てれば大丈夫とばかりに剥こうとしたら、その種を捨てていた弁当の箱は隙間が空いているものだったので、垂れた汁が下の毛布を濡らし、叱られていたこともあった。

普段、そんなふうに読書を止められたら、僕は腹が立っていたことだろう。
いい所なのにとか、もっとすごいことが書かれているのにと、うるさい子供を、冷たい目で見たことだろう。
だけど、その優しいリラックスした風景の中では、特等席でその団欒を見ることができることに感謝をしていた程だった。
普段は思わない気遣いをすることも、ここでは自然のように思えて、それは僕が自分を、良い人間と思わせてくれかねないものだと感じた。

ここは長屋で、僕は家族と仲の良い近所のお兄さんで、そこでは皆が笑ってて、泣いたりすることもあるけど、どこか深く繋がってる、そんなあり得たかも知れないあり得ない光景を、僕はずっと幻視していたのだ。

今度は、カードに負けて泣いて叫んで叱られた少年が、二段ベッドの上で不貞腐れてた。
僕が何か慰めようかと考えているうちに、寝てしまった両親を無視して外に出ていった。
大丈夫かと思って僕も出てみると、おじいさんに話を聞いてもらっていて、とても楽しそうにしていた。
これも長屋の一つかなと、僕は思った。

その日の夕方は、草原の上に、虹がかかっていた。
この場所の虹の先は、日本に繋がってるのかも知れないとそう思った。


  ◆   ◆   ◆

(後編に続く)




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