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学校を創ろうと思った理由⑤「さっきの虫が死んだから、虫のお墓を作ってる」

ある体育の時間

湯沸し室に呼び出され、教員でありながら学校に行く気持ちを失った私は、「それでも教室で、子どもたちは待っている」と同僚から言われた一言を胸に、心は当時住んでいた教職員住宅に置き、体だけで通勤するような日々を送っていました。

冬になり、他のクラスに合わせて、体育の時間に縄跳びをやっていたときのことでした。一人の男の子が、小さな虫を手のひらに乗せて、私のところまでやってきたのです。

「先生、ぼくの縄跳びに虫があたってしまって、虫が死にそう…」
その子の手のひらを見ると、名前も知らない小さな虫。
私には、取るに足らないものに見えました。

「あ、そうなんや。でもさ、今、体育の時間やから、自分のところに戻って、縄跳びしよう」
私がそう言うと、その男の子は、だまったまま自分のところに戻り、縄跳びを再び始めました。それに安心した私は、虫のことはすっかり忘れました。

このとき同じクラスにいたIくん

虫のお墓を作っている

体育の時間が終わり、休み時間になりました。
体育倉庫に使ったものを片付け、職員室に戻っていたときのことです。
たくさんの子どもたちが遊ぶ運動場の片隅で、さっきの男の子がしゃがみ込んで何かをしているのを見つけました。

「何してんの?」
声をかけると、その男の子は、私を振り向きもせずに、こう答えました。
「さっきの虫が死んだから、虫のお墓を作ってる」

その言葉を聞いた瞬間、体の中を電流が走ったような衝撃を受けました。
私にとっては、取るに足らない虫でも、この子にとっては違ったんや。
なんで、それがわからなかったんやろう…
なんで、あの時、縄跳びはいいから、虫をみてあげたらって言えなかったんやろう…

そう思いましたが、そのときの私は、その子にそれ以上声をかけることも、謝ることもできませんでした…

学校の体制や周りの教師の対応を批判しているにもかかわらず、子どもの声をきき、当事者の想いを大切にできていないのは、自分自身であると思い知ったのでした。

そのときのクラスの子どもたち(海蔵川のゴミ拾い)

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