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痛いの痛いの飛んでいけ〜痛いのから学ぶ
今までたくさんの人をカウンセリングしてきて感じることは、悩んでいる人、苦しんでいる人には、明確な原因があるということ。
本当に原因が明確なのです。傍目には、とても簡単な原因で、これさえわかれば楽になれるのになあ…と思うのだけど、頑なに原因を避け続けて、悩み続け苦しみ続けるのです。
私のところに相談に来て、少しは楽になるのですが、この根本の原因に気がつき思考のパターン、行動のパターンを買えないことには、また苦しくなる。
人間というのは、何と律儀な生き物なんでしょうか。
律儀といえば聞こえはいいが、言い換えれば、剛情というか融通がきかないというか……
これほどまでに律儀な生物は、人間だけかもしれません。
動物達は、恐らく生きていくために臨機応変に変わっていくと思うのだが……
人間は都合の良いことだけ臨機応変に変わってきたけど、肝腎要の大切なことだけは目を塞ぎ、耳も塞ぎ、変えないできたのだ。
自由な時代になり、もっと豊かに生きていける筈なのに、どうしてそんなに生きづらさを抱えて彷徨い続けるのかわからない。
「こうあるべき」という呪文のような呪いにかけられ、それを解いてあげたいと思うのだが、自らそこから出ようとしない。きっと固定観念を変えることが恐ろしいのだろう。
こんなに楽に生きていけるのに、その大きな荷物を下ろさずに背負ったまま生きていく。
いつもいつも、原因を他者や他に求める癖がついてしまっている人が、なんと多いことか。
こうなったのはあの人のせい。
あの人に騙された。
あの家庭じゃなければうまくいったのに。
もっとお金があったらうまくいった。
あの学校に行ったからこうなった。
子供の頃「痛いの痛いの飛んでいけ〜」という呪文をかけられかことがあると思うが、この呪文は不思議なことにいつの間にか痛いのがどこかにいってしまう魔法の言葉だ。
でも、この呪文はその場凌ぎで、気を付けないとまた転んで痛い目に遭うのだ。
そしてまた「痛いの痛いの飛んでいけ〜」の呪文をかけてもらう。
何度も何度も失敗し転びながら成長し、成長できた人だけは転ばなくなるが、成長しなければ大人になってからでも転ぶ。
痛い目に遭う。ひどい場合は、入院しなくちゃいけないくらいの大怪我になったり命を落としたりすることだってあるのだ。
だから、痛いの痛いの飛んでいってはいけないのだ。
なぜこんな痛い目にあったのかをきちんと考えて対処しなくては何度も痛い目にあってしまうのだ。
痛い目に遭うのは、必ず原因がある。原因もないのに痛い目になんて遭わない。
痛い目に遭わないために、誰かに手を引いてもらうか予め危険なところは通らないようにすれば、痛い目に合わないかもしれない。
しかしそれは、自分の人生だはないし、つまらない人生になってしまうだろう。
転んでも転んでも自分の足で立ち上がり、立ち上がるときに藁でも掴んで立ち上がりたいものだ。
痛いの痛いの飛んでいけ〜いやいや、飛んでいかずに理由を考えよう。
辛いの辛いの飛んでいけ〜いやいや、辛いことほど学べるのだ。