見出し画像

あの頃の弱い自分と訣別できないか。

ここに書いたからといって有言実行

できる保障はないけど、来月地元に

帰るにあたってもうすでにアポをとって

いるのが大学と高校に顔を出すこと。

この2つのスポットは3年前くらい、最後に

帰省したときも顔を出していて。

なかでも高校。高校に顔を出すときは当時の

担任あたりと話をすることばかりなんだけど、

ここにはもっと本当は話がしたい人が居る。

前にもきっと書いたことあると思うけど、

高2の時に赴任して、そこで一目惚れをして

から大学に入ってからもずっと好きで、

4年時の教育実習で母校に戻ることを控えて

いた3年時の時だったかに告白した先生がいた。

その先生とは高2の時からまともに視線を合わせる

ことができなくって、存在を感じるとあからさまに

距離を置いたりとこれまで生きてきた中であり得ない

くらい好き度が半端なかった人だった。そんな

意識しすぎな相手といえでも自分なりにいろいろ

その人に近づこうと努力していたし、高校生活の

半分はその人にいかに近づけるかと捧げていた

日々だったといっても過言ではない。

でも、結局在学時からまともに話をする機会は

なくって、卒業してからもまめに高校には

顔を出していたにもかかわらず、その人を見ると

恥ずかしすぎてそっぽ向くばかり。

最後に言葉を交わしたのはいつだろうかってくらい。

もちろん10年くらい前、1年間だけその高校で

非常勤講師をしていた時も全く視線を合わせる

ことも、会話も一切なかった。あからさますぎて

本当に失礼なことをしていたと今でも心残り。

でも結局そういう人の存在を感じながら仕事を

するには限界があったし、丁度くびを切られた

こともあって今の職場に行き着いてる。

そして話は3年くらいまえにたぶん5年以上

顔を出してなかったと思うけど久しぶりに

母校訪問したとき。いるかもしれないなと思い

つつも、ひとまず当時の担任と話ができれば

と思って話をしていたらやっぱり存在感はある

わけ。その時お土産も持ってきてて、んでその

元担任からは一人ひとり挨拶しながらお世話に

なった先生に挨拶しにいけとか言われてて。

本当だったらその意識しすぎてしまう先生が

お世話になったメンバーに入るわけだけど、

どうしても近づく勇気がなくて他の先生に

渡してしまった。行く前から直接コンタクト

とれなくてもお土産を置くくらい・・・とか

考えていたのに結局存在を感じた瞬間

当時の恥ずかしさが一気にフラッシュバック

して何も出来なかった。

それからいつだったか、その時はちゃんと

顔を確認できていなかったけど、インスタで

母校の情報を収集していたときに随分老け込んだ

その先生が写っている写真を見かけて。

当時は自分にとっては世界一と言って良いほどの

ビジュアル最強だったわけだけど、その写真の

その先生はもうすでに劣化していた。

とはいえ、自分の中で思い出深いのは当時の

ビジュアル最強なその先生に変わりはない。

そして今日、その高校に顔を出すことを

考えていたときに感じたのは、直近で顔を出した

3年くらい前でさえまともに顔を見ることが出来なかった

その先生に、今度こそお土産を渡しつつ、一言

「その節はお世話になりました」くらいの

あいさつができないかって思えてきた。

昨日の可愛がってくれた保護者が亡くなったこととか、

さっきニュースで見てたら石田純一の元奥さんが

亡くなったとか・・・。

親はまだ元気だしあれだけど、結局自分の記憶の

中で「この人に感謝をちゃんと伝えたい」と

思ったような人たちに、伝えられるときに

伝えないとそれこそ亡くなったあとなんか

「ああ、あの時言っておけば良かった」なんて

後悔する場面が出てくる。

あそこまで相手を意識するほど夢中になった

人なんだから、きっとこの先も忘れないだろうし、

よく分からないタイミングで思い返して

しまうんだと思う。だったらせめて、告白して

玉砕したとはいえ、ずっと避けるような失礼な

真似をして申し訳なかった。でも今でも変わらず

自分の中で素敵な思い出として生き続けている

ことを伝えられたら自分はもう一段階成長

できるような気がする。人を好きになるって

度合いは人それぞれだし、どんな状態が

本当の恋と呼べるのか知らないけど、でも

あの時は好きすぎて辛くて死んでしまいたい。

それくらい本気だった。だから今後も忘れない

と思う。でも、そんな当時の思いにいい加減

本気で人区切りつけていかないと、無駄に歳を

とっていくだけの気がする。

いいなと思ったら応援しよう!