見出し画像

“東京サラリーマン”をして心が荒んでいく過程。

転職して4ヶ月半。日々いろんなことを考えている。
最近わかってきたことは、東京に疲れて地方移住する人の気持ち。

前職でも東京で働いてからの転職する人も多かったし、コロナ後も地方移住熱みたいなのが湧いてきている中での、地方→東京転職移住をしたわけだが、前者の方々の気持ちが痛いほどわかってきた。笑

めちゃくちゃ手触り感のある職場にいて、地方に住んでいた民からすると、東京では息ができなくて溺れ死にそう。それをわかった上でいまは居るので、まだ息できているけれど、新卒だったり、もっと自分が若かったり経験がなかったら、おそらく溺れ死んでいただろうなと思う。

なんでそんな風に思うのか、自分がそう思っているのか理由を考えてみた。

転職先がto Bである。

これは一般論というより、自分の場合なのだが、かなり違う世界に迷い込んでしまったよう。笑
お客さん、関わる人が”個人”ではなく”会社”である、というのは一つある。いままでは、どこかの地方に住んでる誰々さんの野菜を、個人のお客さんに届けるという、もうそれはすごく目に見えてわかった。人対人の関わりができているなと実感できていた。
でもいまは会社対会社。人感がない。
最近は人感がないから、日頃の感謝もできていなくて、心が凝り固まっているなとも感じるようになってきた。ここはもっと深ぼっていきたいとは思っているけれど、会社にいる人、日頃やり取りする人はいい人であったとしても、会社という組織になってしまった途端に、なんだろう、心がなくなる気がしてしまう。これはCOTENの深井さんもどこかで言っていた気がするので、改めて考えてみたい。

事業会社ではなくコンサルである。

事業会社は自分たちの商品やサービスがある。その根っこには会社のミッションとかバリューとか最近でいうパーパスみたいな、その会社が社会にどんなものを提供していきたいか表現していきたいか、みたいな”想い”みたいなものが大事だと思う。そういうエモーショナルというか、心を揺さぶるものがあった。でもいまはそんなものはない。そういう企業に保証をしたりアドバイスする立場であるから、そんな”お気持ち”みたいなのは皆無だし、アドバイスしたとしても、それを実行するのはその企業。自分たちに決定権はない。ハンドルを握ってる感、何かを掴んで握ってる感が皆無。

また、自分が事業会社にいたら、他社視点を持てるから、プライベートでもこんな商品試してみようかな、こんな事業こんな商品があるんだ、と思えていた気持ちもだんだんと無くなってきた。いままでは日常の買い物も多少自分ごととして捉えられていたのものが、そんな感覚から遠くなってきた。

逆にいうと、そうやって誰かが作ってきたんだろう、買うならこだわって作られたもの、誰が作ったかわかるものを自分の元に置いておきたいという気持ちがすごく当たり前で、そうじゃない人の気持ちがわからなかったけど、それがわかってきた。日頃の感謝がなかったり、自分自身が何かをつくったり、ハンドルを握って自分ごととして社会に関わっていないと(仕事をしてないと)、買うものの先にいる人なんて考えるわけもないし、そういうモノに出会ったとしても有難いみや感動は感じづらい、のではないか、という仮説。なのでこれもまた考えたい。

商品、サービスが保証という目に見えないもの。

前職は野菜という目に見えるものが商品だった。でもいまはGHG排出量という目に見えないもの(見えないなりに、それをExcelでまとめられたり、請求書だったり)を目の前に仕事をしたり、(実態がどうかなんてわからない)開示や外部評価についてアドバイスをしたり。現場がずっと長ったというのもあるせいか、実態のないものに対しての戸惑いというか、冷めた視点が拭えない。仕事としてはちゃんとやるけど、実態がないからこそ、気持ちの入り方が違うのかなと思ったり。

パン屋も本屋も皆無。

満員電車に乗りたくない、という理由で、オフィス(千代田区)から徒歩30分の新宿区に住んでいるのだけれど、街のパン屋さん的なものが皆無すぎる。それに加えて、本屋もない。パン屋はいいにしても、本屋に行かない人生、かつ、いまの心が荒んでいく状況での本屋なしは、より危ない気がする。本屋さんに行って料理本があれば、料理しよかなという気持ちにさせてくれるし、京都特集の雑誌があれば京都に戻った気持ちになれる。いろんな本があると、日頃関わっているのは、大企業とか気候変動とかそういう分野だけど、それ以外にもたくさんの世界も社会もあるんだなとぶわあーと自分の世界が広がる。最近話題になっている、本が読めなくなる、みたいなのも読んでみたい。

人の多さ。自然のなさ。

満員電車。オフィス街。高層ビル。という中にいると自分が透明人間になった気がする。いてもいなくてもいい存在というか、生きてる感がない、というか。自分というものが感じづらい。自然の中にいる、すがすがしさ、壮大さ、自然に生かされてる感なんて皆無だから、より周りに感謝できなくなる。

人と関わっていないからなんでもいい。お金さえあれば、の思考になってゆく。

上記のような生活をしていると、お金の使い道を考えることすらどうでも良くなる。
お金のその先の人なんて考えない。考えるわけない。だから、お金さえあれば、という思考になっていく。お金さえあればなんでも解決するとなっていく。実際にそういう生活だから。

いまだからできたし、ちゃんとがんばる。

ネガティブなことを書いて、大丈夫?病んでないか?と思ってしまうけど、まあ大丈夫だと思う。はじめに書いたように、もっと若かったり、初めての東京だったり、これが1社目だったら、溺れていたかもしれない。(その頃はこっち側の世界にいく選択肢すらなかったけど)でもいろんな経験をしてきたからこそ、まあこんなもんか、って思えてる自分がいたり、ガス抜きの仕方、心がヤバくなった時の逃げ方とかよりどころみたいなものを知っている。逆に、いまだからこそできたりわかることもたくさんある。

まだ自分が、地方とか事業会社とか、興味関心がそっちにあったら違う選択肢を選んでいたかもしれないけど、資本主義とか気候変動とか、これからの社会、のような大きなところに興味関心があるのは紛れもない事実ではあるので、そこにモロに影響あるような企業や、世界動向に関われるのは、それはそれでおもしろい。

いちばんやっちゃいけないのは、自分がなくなることだと思っているので、自分が自分でいながら、”東京”という自然も人も皆無な大都会で、大企業を相手に命を削っていきたい。笑
でもそれはまわり回って、自分のためでも、農家さんのためでもあるって心底思ってる。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?