ココロとカラダについて考える
「思い通りにいかない自分」につい悶々としてしまう。
頭木弘樹氏に著作に触れて、そんな自分でも少しずつ許してあげようと思う。
頭木氏は大学生の時に難病である潰瘍性大腸炎を発症して、長い闘病生活を送ることとなる。
激しい腹痛に襲われ、食事をしてもすぐに流れてしまう。
故に食事は毎回なにを口にするか気を付けなくてはならない。
カラダが不調を起こしているときは、当然ながらココロも引きつられてしまう。
周囲の人たちからは、なかなか病気に対する理解が得られない。
悪気がなくても少量ならばと食事を勧めてきたり、「気の持ちようが大切」という考えから、明るくふるまうように指摘する。
意志の力で気持ちや病気がコントロールできるのであれば、自分だってそうしたい。それができないから悩むし、気持ちだって落ち込んでしまうと綴っている。
私自身も昔から疲れやすい性分で、ゆえに気持ちが追いつかない時がある。いや、毎日追いついていない。
「だったら、運動でもして体力を増やせばいいじゃん」と周囲の人は思うかもしれない。実際に言われたこともあった。
だけど、太っている人に「痩せればいいじゃん」とか、貧困で苦しんでいる人に「もっと稼げる仕事に就けばいいじゃん」とは安易に言わないだろう。
その人自身だってそうしたいと、喉から手が出るほど願っているはずだ。
自分のカラダを思うようにコントロールしたいと思ってもそうはいかない。
ココロもまたカラダと密接に関係しているものだから、カラダが思うように機能を発揮できなかったり、能力を伸ばすことができないと、ココロも不安定になってしまう。
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10月になってから、メンターというポジションになった。
新規採用職員がうちの係に配属され、その方に仕事をいろいろ教えていく。
その人は私より年齢が一つうえですでに社会人経験がある。
教えることは業務のことが中心となるので、新社会人を教えている他のメンターの人たちに比べたら、幾分かはラクなほうかもしれない。
それでも、自分に任されたというのは、ある程度は自分の仕事が信頼されているということだろう。他の同年代の人たち皆が、メンターになっているわけではないので、有難いことだと思って努めていきたい。
正直、あまり自分の仕事に自信はないし、人間的にも未熟な点が多々あり、他にも適任者がいたのではと思う。
就職して3年目にもなり、それなりに自分のペースで仕事を進められるようになった。だけど、まだまだ不安なことがたくさんある。
昔からネガティブに物事を捉えがちで、小さなことでも焦ったりイライラしてしまうことが、未だに多い。他人から見たら、「ガキっぽい」「ヒステリックなやつ」と思われているに違いない。
人からどう思われるかはもちろんあるが、周りの人たちより精神的に幼い自分が許せないのかもしれない。
他人と比べても埒が明かない。
誰かより優れていること・勝っていることを望んでしまう時があるけれど、最終的にはそんなに意味がない気がする。
それは井の中の蛙にしか過ぎなくて、他人の一部分しか見えていなかったり、環境が変わればまた劣った自分と直面するかもしれない。
まあ、卑屈になっていても仕方がないので、少しずつ自分の状況を受け入れていきたい。
焦らず時間をかけることをわすれないようにしたい。
きっと、迷ったり不安になったりすることにも意味があって、難があるからこそ育つことだってあるから。