『アイカツ!』で不登校だった娘のコミュニケーションスキルが上がった話
『アイカツ!』が10周年ということで、昨日成人式を迎えた娘と私には思い出深い作品なので、noteに書きたいと思います。
そもそも『アイカツ!』とは。
簡単に言うと、カードゲームです。
ゲームセンターに機体があり、100円入れると1枚カードが出てくるのですが、カードの内容は
アイドルになるための衣装や小物です。
トップス、ボトムス、靴、小物などに分かれていて3、4枚でコーディネートが完成します。
コーディネートしたキャラで曲に合わせてボタンを押してダンスをするのですが、タイミングが良ければ得点が上がっていきます。
ゲームと同時にアニメも放送されていました。
『アイカツ!』にハマった時、小学4年生だった娘は殆ど学校には行っていませんでした。
私は仕事があったので、娘に留守番させて出勤していた日々です。
不登校になったきっかけ・原因を大人は知りたがりますよね。当時の私も知りたがっていた1人です。
1年生の時はガミガミ怒る年配の女の先生で、「他の子が怒られているのを見るのも嫌だ」と言っていました。
2年生の時は若くて可愛いくて優しい新人の女の先生でしたが、九九でつまずきました。
3年生の時は宿題を毎日大量に出す、中堅の女の先生でした。
この間、娘は登校する前にお腹が痛くなりトイレに篭る毎日でした。
学年が上がるにつれて、学校に行かない日が増え
4年生の頃には殆ど行っていませんでした。
行っていた学童も辞め、給食も保健室の先生からの提案で一時ストップし、給食費も払わなくていいようにしてくれました。(もし登校して給食を食べたら、日割りでも良いと言ってくれました)
お風呂に入って寝ると、すぐ次の日が来て登校しなければいけないというプレッシャーなのか、お風呂を嫌がりました。
私が思わず声を荒らげて怒ると癇癪をおこし、家にある小物をなぎ倒し、ティッシュはビリビリに細かくして、家中にばら撒かれることも。
私と取っ組み合いの喧嘩になれば容赦なく向かってくるので、私の腕や足は傷だらけアザだらけ。
喧嘩しながらわかったことは娘は当時、自分の気持ちを上手く言葉にして伝える事が苦手で、癇癪を起こしていたのです。
スクールカウンセラーとの面談や児童相談所に通ったり、フリースクールの見学をしたり、娘にとって何が一番良いのだろう…?と毎日暗闇を灯り
なしで手探りしながら、前に進めているのかも分からないまま歩き続けているような感覚でした。
でも、どんなに真っ暗でも、手探りする事は止めませんでした。
こちらの記事でも書きましたが、私の一番下の妹は中学校の不登校をきっかけに37歳になった今でも引きこもりです。
両親が諦めたのを子供ながらに傍で見ていて感じていました。
なので、私は絶対諦めない。
私が死んでも1人で生きていける力をつけてあげたい。
人生辛いこともあるけれど、楽しいことも沢山あることも知って欲しい。
そう強く思っていました。
児童相談所の知能テストでわかったことは、娘は黒板に書いてある文字を読んだり、ノートに書き写したりすることが苦手。(教科書も)
逆に映像だと、すんなり頭に入っていくタイプだということでした。
確かに、パソコンで見たダンスを1、2回見ただけで覚えて踊れてしまうのは、そういうことなの
かぁ。と納得しました。
この特技は今でも健在です。
タブレット授業があれば良かったのですが、当時は学校でも通信学習でもやってなかったので、学校の勉強は殆ど家でもやっていませんでした。
学校がダメならば、人として生きていけるコミュニケーションが取れる人になって欲しい。と思い、私が休みの日はなるべく外に連れ出しました。
JUJUやMONKEY MAJIKのライブ、旅行、私の友達との集まり、観劇、買い物、中学生だった息子の剣道部の試合など、一緒に行けるもので、娘が嫌がらなければジャンルは問わず連れていきました。
もしお店で自分の欲しいものがあって見つからなかった時、店員さんに「○○ありますか?」と聞く練習もさせました。
最初は嫌がっていましたが、何回もチャレンジ
させ聞けるようになりました。
そんな中で、私がたまにクレーンゲームがやりたくなるのでゲームセンターに連れて行ったら、『アイカツ!』があったのです。
『アイカツ!』のカードでは他のカードゲームと同じくレアカードがあり、レアカードで揃えたコーディネートはポイントが高いので、次のステージに進める確率が高くなります。
初期の『アイカツ!』は徐々に人気になり、機体の前に列ができるようになりました。
アニメも放送していたので、人気に拍車をかけたのかも知れません。
こども向けとは言え、曲とダンスが本格的だったので、大きいお友達もチラホラいました。
かなり人気になってきた頃、大きなゲームセンターで大会が開催されるようになりました。
先着順で受付で申し込めば誰でも参加できます。(年齢制限があるところも)
参加した人には参加賞として大会限定のカードが貰えるし、大会に優勝すれば、更にレアカードを手に入れる事ができました。
娘も「大会に出たい!!」と言ってきたので、参加するようになりました。
2人対戦でポイントが高かった方が勝ち進めるトーナメント式で、負けることの方が多かったけれど負けは負けとして自分の中で納得していたのか、
癇癪を起こすこともなかったです。
それも少し驚いたのですがもっと驚いたことが、大会に参加している全然知らない子に
「カード交換できるか、聞いてみる!!」
と言って、話し掛けに行っていた事です。
娘は結構な人見知りでしたので、自らそんな交渉しに行くなんて、私の中では想定外でした。
私は少し離れた所で見ていたので、娘がどういう風に声を掛けて交渉していったのか詳しくはわかりませんが、毎回知らない子に声を掛け、トラブルも無く、ちゃんと交換して帰ってきていたのでとても感動したのと同時に感心していました。
『アイカツ!』を始めてから、徐々に癇癪も無くなり、少しずつですが自分の気持ちを言葉にして伝えるようになった気がします。
そしてゆっくり、ゆっくりと学校に行く日も増え、最終的に6年生の修学旅行や卒業式に出席しました。
中学校では毎日遅刻なく登校し、吹奏楽部に入り
朝練などもちゃんと参加していたのですが…。
中学校編はまた別の機会に書くとします。
このように、私の『アイカツ!』の思い出は娘の
コミュニケーションスキルを上げるきっかけだったと強く思うのですが、
当の本人は『アイカツ!』楽しかった!!くらいの記憶しかないらしいのです。笑
因みに現在、娘は学童保育の指導員のバイトをしています。
色んな子に揉まれつつ、指導員の中では社歴が一番浅いのですが出ている時間が一番多いし、気配りが出来るので頼りにされているみたいです。
それから私より本を読んでいます。
電子bookではなく、本屋に行って選んで買って読んでいます。
電車の移動中など、遠出する時は本を持ち歩いて読んでいるのです。
あんなに活字嫌いだったのに、今では私に
「この本、面白いから読んでみて!!」
と薦めてくるぐらいです。
私のnoteも投稿する前に読んでもらい、チェックしてもらっています。
今回も例外なく、冗談で「え?出演料もらうよ〜」と言われながら書かせてもらい、チェックを受けています。笑
娘の不登校をきっかけに私は色んな人と話す機会が増えました。
担任の先生、スクールカウンセラー、児童相談所の職員など、その中で一番話しやすく心救われたのが保健室の先生でした。
小学校でも中学校でも、保健室の先生は忙しい
担任の先生の代わりに休みの連絡を受けてくれていて、娘が行ける時は保健室登校をしていました。
時には「今日は行けるかと思ったんですけど…」と思わず泣いてしまったこともあるのですが、親身になって話を聞いてくれました。
そんな心の支えになってくれた保健室の先生に
私もなりたいと思い始め、娘の中学校でお世話になった保健室の先生に
「私もなれますか?」
と聞いたら、
「養護教諭は定年無いから、全然大丈夫!!」
(定年迎えても非常勤があるという意味)
と背中を押され、通信制大学2年生になった今に至るのです。
養護教諭はひとつの学校に1人ですし、少子化で統合され学校自体が少なくなっているので、かなり狭き門だと覚悟はしています。
でも一度きりの人生ですので、どこまで出来るかチャレンジして行きます。
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