発達障害の私がメンタルクリニックを受診するまで
まずはっきりと伝えておこう私は障害者である。
障害者雇用で企業に勤め仕事をしている。
ADHDという発達障害の診断が出ており、二次障害でうつ病とパニック障害を持っている。
しかし、現在は大手企業にて事務業務を行っている。
ある程度の業務は任せて貰えているし、自分で考えて提案して業務を進める事も出来ている。
「大企業で勤められている」これだけ聞くとさぞ順風満帆でするすると生きてきたのだろうと思われるのかもしれないが、私は中々紆余曲折のある特殊な経歴を持った人生を歩んでおり、少なくとも同じ経歴の人と今まで出くわしたこともない。
中々に面白い経歴なのかもしれない…
幼稚園の頃までは記憶は朧気ではっきりしないがどちらかというと活発でお転婆な女の子だったような気がするが、物心がつきしっかりと記憶がある範囲でいえば小学生になったころから周囲と自分が何か違うという違和感を感じ始めたかもしれない。
始めに感じた不思議に思ったことは両親や妹の4人家族で1部屋で寝ていた時の事だった。
皆、布団に入ると直ぐに寝息を立てるのだ…そして朝まで起きない。
私はその頃から眠るまでに、自分が約1~2時間程かかる事や途中で目が何度も覚める事に違和感を覚えた。
診断前に母親に聞くと赤ちゃんの頃から眠りが浅く、寝つきも悪かったと聞かされた。
次に感じた不思議に思ったことは、小学校で複数人が話す場で皆が問題なく聞き取り返答している事だった。
私は人の話を聞きながら返答を考え答えるという事が難しかった。
1対1であればできたが、複数人での話になったとたんに話の脈絡を追う事に集中しなければ会話に置いて行かれるのであった。
だからかその頃から物静かな子といわれるようになった気がする。
また、些細なミスも見え始めた。
授業の科目を1日間違って持ち物をごそっと間違えたり、体育の日なのに運動着を忘れたり、音楽の日にリコーダーを忘れたりとちらほら忘れ物が目立ち始め、よく他の教室の人に借りにいった事を覚えている。
他に不思議なことといえば食事だ。
私は食事にかなり時間が掛る…というよりも食事だけに集中することが難しかった。テレビがついているとそちらに意識を持っていかれ食事に1時間以上かかったり、好き嫌いなどもあり偏食気味でもあった、食感や風味などの些細な物でも自分の苦手な物は口にすることに強い抵抗感を覚えた。
食べる量にも偏りがあり、よく食べる日もあればほとんど食べずに残してしまう日もあったが、学校の給食は当時の教育方針でも残さずに食べるということが決められており次の授業が始まるギリギリまで給食を食べる事になるのは日常茶飯事であり、次第にそれが苦痛になり学校にも行かなくなった。5年生の頃に本格的に登校拒否をし6年生まで行ったり行かなかったり、途中から授業に参加したりしていた。
そのまま中学1年もほとんど学校には行かなかった。
だが、中学2年になり突如、なんの心境の変化か通学をはじめ、部活を始めてからはその為に学校に通うようになった。部活にのめりこんだ。
好きなものに以上にのめり込んだのはこの時が初めてであった。
勿論その後も1度のめり込むととことん突き詰める所は今も変わらない
ただし様々なことに興味を持ってしまうのですぐに飽きてしまう事もある
土日も練習のある部活で吹奏楽部に入った2年生からは休まず学校に通い、むしろ土日返上で学校へ通い夏休みも練習に時間を割き、そのまま卒業まで学校に通った。
特に強豪校というわけでもなかったが楽しかったから部活のおかげで学校に行けていたのだと思う。
高校に入学、正直頭は良くなかったので偏差値の低い高校へ入学した。
そして、1年生の頃に女子特融のハブに合い学校をやめて2年生からは通信制の学校へと転校した。
場の空気に合わせたり相手に合わせた対応が苦手な私は、女子特融の場にはどうも適していなかったようだというのは高校1年生の時に自覚した。
そこから2年間を得て高校を卒業した私は、生まれた関西の土地から関東へと1人学校に通う為に引っ越した。人生初めての一人暮らしが始まる。
新しい環境や新しい人間関係、何もかもが新しいものだらけで少し早めに上京したものの体調やメンタルを崩しホームシック全開で1度実家に戻り、学校が始まるギリギリにまた東京へと戻るというような出来事もあった。
初めてメンタルクリニックにお世話になったのも専門学校1年目のときだった。その時は評判なども調べずにとりあえず近場のメンタルクリニックに駆け込みおじいちゃん先生に「鬱気味ですね」と診断を受け、抗うつ薬を処方されたが、結局そこのクリニックに行ったのはその一度きりだった
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