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正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ -西村宏堂-

前回読んだ『ぼくはウーバーで捻挫して、山でシカと闘い、水俣で泣いた』の中で、男性メイクに関する章に「メイクアップアーティストであり、僧侶である」という西村宏堂さんが紹介されていた。

一見、相反するようなスキルセットに興味を引かれ、著書を手に取ってみた。

本書は、著者が人生を通じて得た知見をもとに、読者に「私が好きな私で生きる」勇気を与えてくれる内容となっている。

その中でも、私が特に心を動かされた言葉が二つあった。

一つ目は「我慢は慢心」という言葉だ。
「我慢」という言葉はもともと仏教用語で、「我を慢心すること」という意味を持つらしい。
本書では、誰かのために我慢をすることは、実は「自分がその誰かには必要だ」と慢心していることになる、と紹介されていた。

私はこの考え方をさらに掘り下げ、自分対他者だけではなく、自分対自分の慢心もあるのではないかと思う。

例えば、目標のために無理を重ねた結果、怒りが湧いたり、心や身体を壊したりすることがある。
それは「我を慢心した」結果ではないだろうか。

己を知り、できる範囲で力を尽くす。
それこそが、慢心のない姿ではないかと感じた。

二つ目は「自信は人より秀でていることだけじゃない」という言葉だ。

能力主義が際立つ現代社会において、これほどまでに眩しく、温かい言葉があるだろうか。

私が抱いていた「自信」のイメージは、「仕事ができる」「ゲームが上手い」など、誰かとの比較や、困難を乗り越えた成功体験に基づくものだった。
確かにそれらは自信の一形態になり得るが、自分を超える誰かが現れたとき、その自信は霞んでしまうのではないか。

一方で著者は、自信を「自分がどんな人間なのかを知っていること」と定義している。

自分の得意なことも、苦手なことも、自分の状態も理解し、あるがままを受け入れる。
それが、揺るぎない自分を支える「温かな自信」になるのだと。

この二つの言葉は、私の中で深く繋がっているように思う。
自信を持てるようになると、無理をして我慢する必要がなくなる。
そんな穏やかな生き方を目指し、これからも自分自身を見つめ続けていきたいと思った。

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