『香山哲のプロジェクト発酵記』 〜準備による炸裂〜
生粋の準備人
準備をすることが好きだ。
登山やキャンプ、旅の準備をすることは、本番とは別の、独特の楽しみがあると思う。
ぼくの好きな香山さんの『ビルドの説』にも、海外旅行へ行くときに踏む手順が紹介されている。準備好きは、他の人の準備の方法を眺めてもワクワクしてしまうのだ。
この『香山哲のプロジェクト発酵記』も、連載の準備の連載という形を取っている。思えば『水銀柱』も、香山さんが開催された個展の準備の様子を描いたものだった。生粋の準備人だ。(『ベルリンうわの空』もすべてのお話の概要が事前に作られていたというエピソードが本書で紹介されている)
準備してしまうのはなぜか?
旅をするときには、2種類の人がいるという。
ひとつは、行きあたりばったりを楽しむ人。
もうひとつは目的地や交通手段など、できるだけ多くの情報を事前に集めようとする人。
(ある心理学によれば、人のこの2つの方向性は、かなり人の相性を左右する問題らしく、他の要素よりも影響力が大きいらしい。本当のところはよくわからないが、そういうこともあるだろうなと思う。準備をしない人に準備をしなさいといっても、やはりしないし、逆も同じ)
ぼくも完全に準備の人である。
たとえ海外のツアー旅行に参加して、何も考えずともすべての目的地に連れて行ってくれることがわかっていても、ぼくは各目的地をきちんとGoogleマップに登録する。各ポイントがどのような位置関係にあって、移動にどれぐらいの距離がかかるのか、ということを頭に入れておきたい。目的地に着けばガイドが説明してくれることはわかってはいても、先んじて概要も把握しておきたいから、地球の歩き方も買って読む。
準備をしてしまう理由は、おそらくぼくが不安だからであり、心配性だからである。別に何がどうなっても大したことは起こらないことが多い。準備には時間がかかるわりに、それが活かせないこともよくある。だけど何も勝手がわからなくて居心地の悪い時間を過ごしたくないと思う。そして神経質なところもある。目的地に着くまで20分しかない場合と、1時間ある場合でやるたいことを変えたいとぼくは思う。
香山さんも多くの不安に悩まされる人であり、体調もいつも万全というわけではないようだ。だからいつも計画に余裕を作っておき、その中で人事を尽くそうとする。
人生はプロジェクトの連なり
プロジェクトとは、この本では人の「取り組みや挑戦」と定義される。
プロジェクトという言葉からは、大きく壮大な仕事のような響きを感じるがそうではない。
たとえば新しい料理を作ってみることも、見知らぬゲームを買ってプレイすることも「プロジェクト」である。
どちらもコストがかかる。
新しい料理ならお金は数百円、時間は数十分かけることになるだろう。ゲームなら数千円かけて、何時間か、何日かプレイして時間を使う。
その結果、料理がまずかったり、ゲームが苦行だけでおもしろくなかったり、かけたお金や時間がもったいないと思うこともあれば、大満足ということもある。いつもの料理を作れば、いつもどおりの期待値が得られるが、人はそれだけでは満足できない。
これには、連載のような大きな仕事も、家族を増やすような重大局面にも同じ構造がある。お金や、寿命といった限られたリソースがあるなかで、ひとはプロジェクトを立ち上げていく。人生は大小のプロジェクトの連なりだ。
「ビルド」が「なかったところに自分の快適さを立ち上げる」と定義されたのと同じような、すっきり感があるとてもいい定義だと思う。
人には体力や、お金や、寿命といったリソースがあるので、プロジェクトは無限に立ち上げられるわけではない。限られたものを使って、なるべくなら実りあるものにしたい。自分も関わる人たちも無理しないように配慮しながら、想定外の事態も鑑みて柔軟な計画を立てる。
プロジェクトを後押ししてくれるたくさんの知恵。
この本の中で、ぼくが特に気になった方法は下記のようなもので、取り入れてみたいと思った。
●自分インタビューをする
(プロジェクトの目的を明確にするときに。自分に対して敬意を持って接し、自分の本当の思いを探りだす)
●プロジェクトのチラシを作るとしたら?
(一言で人にプロジェクトの特色を伝えるとして、それは何になるのか?)
●プロジェクトを他者に吟味してもらう
(無理矢理でもいいので、プロジェクトのいいところを褒めてもらい、ダメなところを言ってもらう。自分ならプロジェクトをどうカスタムするかのアンケートを取る)
心配、不安、神経質の肯定
個人的には、いろいろと心配になって不安になって、どうしても準備してしまう自分を肯定してくれた感じがあって嬉しい。
不安に陥りがちな人間だって、新しいことには挑戦したい。でも不安な人は自分なりの想定をしておくことや、安心材料を集めておかなければ前に進めない。
何でも「大丈夫、大丈夫!」と乗り切れる人はいて、たとえそれが根拠のない信念であっても、実際にその信念が支えとなり、大丈夫にしてしまう人はいる。
そんな人に憧れもあるが、同じ人間にはなれない。そして自分だって、思わず先回りしてしまう心配性が人を助けた経験だって何度もある。ルートが違っても同じ山には登れる。
準備による炸裂
ファンタジー漫画の連載を前提とした内容ではあるが、すべてのプロジェクトに共通して参考になる部分がたくさんあると思う。
その上で「発酵術」ではなく「発酵記」というタイトルにしたという思いがあとがきで綴られている。これはユニバーサルなビジネス書ではなく、あくまでパーソナルな旅行記のようなもの。
それは香山さんが言う「味わい」を大切にしたい気持ちがあるからだろう。チラシで一言で伝わるようなストロングポイントにきちんと目配せをする。しかし、そこには絶対に書き込むことができないような、まとめるとこぼれ落ちていくもの、刺さる人も違えば、時間をかけて鑑賞したくなるようなものが「味わい」だろうか。
たとえば本書では、ファンタジー漫画のキャラクターのラフが8ページに渡って紹介されているが、もう何時間でも味わっていられそうな気がする。これは、きちんと準備した人による「炸裂」だ。もう「炸裂!!」という感じだ。炸裂するためには野放図で破天荒で無計画でなければいけない、なんてことはない。
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