ガイアの法則と仏教の縁起に思うこと
私たちは、何かの情報の中で「ガイアの法則」という言葉を目にしたとします。次に何をするかというと、「ガイアの法則」とは、何のことだろうか…と調べてみます。今は簡単に調べることができるようになりました。
でも実際、この調べた内容が何について書かれているものなのか、それを読み取ることは簡単ではありません。例えば、「リンゴを教えてください」と聞きます。答える側はその人が知っている「リンゴ」を「こういうものだよ」と教えてくれます。それはあくまでも「その人が知っているリンゴ」なのです。
質問が大切なのは、自分が知りたいことに対する答えです。もちろん、自分が生きている世界、その先にある宇宙には、まだまだわからないことがたくさんありますが…自分が知りたいのは、自分とリンゴに関係することなのではないでしょうか。
彼にとって「チェロとは…」というチェロ奏者の動画を見つけました。
この動画を観て、私に彼にとってのチェロのような存在があるだろうか…と考えてみましたが、実際、ありませんでした。それが今の現状を一致していることに気づいたのです。
自分の人生を振り返ってみたときに、他者の助手としてしか生きてこなかったことを思い知らされた瞬間でした。自分の人生で誇れるものがないな、と。勉強をすればするほど、そのことがわかってしまう。そういう意味では、ある程度経験を重ねてきた年代に入ってから勉強をすることは辛い経験となります。「自分は今まで何をしてきたのだろう…」と思い知らされるからです。
最近、特に悲しく感じるのは、日本が、このような思いを若いうちにしなければならない社会になってしまったことです。今年80歳を迎えられた方々は、20年年金を受け取りながら、生活を続けてきました。私たちの知っている年金制度であれば、今年40歳になった人達が成人してから納めてきた年金も含まれているはずです。これが仏教の「縁起」と同じ仕組みだとすると、今の日本社会はどのようになっていくのか、世界が注目しているのもわかる気がしてきます。
ジェームズ・ラブロックの「ガイアの仮説」と仏教の「縁起」にはいくつかの共通点があります。以下に、その共通点を3つ挙げてみましょう。
相互依存性と相互関連性の強調
ガイアの仮説では、地球上の生物や環境要素が相互に依存し、相互に関連しているという考えが重要です。地球全体が一つの生態系として機能し、生物や地球の環境は相互に影響し合っています。
仏教の縁起の教義も、すべての存在が相互に依存し、相互に関連しているという考えを強調します。一切の現象は他の現象と関連し、それによって成り立っているとされています。
循環と連続性の概念:
ガイアの仮説では、地球の生態系は持続的なサイクルや循環を通じて安定性を維持し、連続的な変化を経験しています。生態系は適応力を持ち、変化に適応しています。
仏教の縁起も、生死の連続性と輪廻転生の概念を含んでおり、個体の存在が死後に新たな形で続いていくと考えられています。これは連続性と循環の考え方に関連しています。
生命の尊重と調和の追求:
ガイアの仮説は地球の生命を尊重し、生態系の調和を重視しています。地球上の生物は共存し、調和的な関係を築いているとされています。
仏教も生命を尊重し、調和を追求する宗教です。生命の苦しみを減らし、他の生物との調和を追求することが仏教の中心的な教えの一つです。
これらの共通点から、ガイアの仮説と仏教の縁起の教義は、地球や生命に対する共通の視点を共有していることがわかります。両方の観点は生態系や生命の複雑な相互作用に注目し、持続可能性と調和を強調しています。
この数年で、公共物の手入れが益々疎かになってきました。それだけ若い人たちが働かなければ生活してゆけない、という社会になっているということなのではないでしょうか。