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少年ミネラル

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昭和40年代前半生まれの宮城県沿岸部での少年時代の実話をまとめました
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13回忌法要が近づき改めて古き母に連れられ食べた「中華そば」を思い出す

ずいぶんと風景は変わり東日本大震災から丸12年が経過しましたね 津波に飲まれ生家は無くなりその後住所自体がグーグルマップ上から消えダムに沈んだ廃村の様な状況で実家消滅を受け入れられる様になりました ※下の写真がスーパー堤防なる前の実家跡地です 本題にある思い出の中華そばについて書かせて頂きます 場所は宮城県石巻市中心部内海橋付近にあった老舗中華屋さんです あえて既に閉店したお店ですので店名は伏せますが記憶の中で一番古いのは今から50年ほど前です 当時病院嫌いだった私を母親

ピタピタピター〰〰んって音。今も思い出す

最近は商売系の投稿多かったので今回は過去のアルバイトの経験でも書こうかと思います。 高校3年生の冬 アルバイトを水産加工場でしていました。 1ヶ月の期間の冬休みの短期バイト ピタピタピター〰〰んって何の音かって言うとですね たらこや明太子の樽漬けの作業音です 私の故郷は水産加工のメッカ石巻市 生まれも育ちも沿岸部で・・・まぁー言葉づかいが悪いw その地元で行ったバイトがたらこや明太子の味付けする樽漬けの作業なんです。 大きな機械も無く完全手作業 心が籠もっているってよ

小学校時の最高娯楽はギンヤンマ捕獲!

小学校低学年から4年生くらいまでは虫取り網を持ち 自転車で30分程度の人口沼に向かいトンボやギンヤンマ等をタモ網で無我夢中で捕獲していた。 普通のクルマトンボや赤とんぼは直ぐに捕獲できるが 素早い飛行能力のギンヤンマは中々捕獲できない 小学校5年生の時に石巻市渡波ギンヤンマ捕獲業界に激震が走った 真向かいの方でギンヤンマをバシバシ捕獲しているちょい年上の男の子が居た どうやら隣町からギンヤンマ取りにたまたま遠征しに来ていたようだ。 お願いして捕獲の仕方を見ていたら先ずは