うまれてはじめて
娘は寝るのが下手だ。
わたしは娘を妊娠して、Twitterで専用アカウントをつくった。
そこで妊娠や出産に関する情報を集め、産後は子育ての苦労を分かちあった。
母乳が出ない、乳房が詰まって張って痛い、ミルクを飲まない、義実家との付き合い、夫の子育てや家事、とにかく何もかも共感できてたのしかった。
娘はとにかく眠らなかった。
眠れなかったというべきか。
娘が顔を真っ赤にして泣いて起きるその度、わたしは乳房を含ませたり抱き上げたり歌を歌ったりした。
ほとんどの場合また眠るのに30分以上はかかった。
そして2-3時間でまた起きてしまう。
寝かしつけに30分、3時間で起きるとなるとわたしが連続で眠れるのは2時間程度ということになる。ほとんど眠ることができない日が続いた。
1週間、1ヶ月、2ヶ月…。
睡眠不足は本当に辛かった。
それでもTwitterを開くと少しほっとした。たくさんの仲間がそこにはいた。
「さっき寝かしつけたのにまた起きちゃった」
「泣き止まない」
「夜勤3回目」
わたしだけじゃない、それはものすごくほっとしたし、頑張ろうと思えた。それだけが心の支えだった。
3ヶ月を迎えた頃、TLの呟きが変わった。
夜中にTwitterを開いてもあまり呟きがない。
朝になる頃、
「1晩眠るようになった」
「10時間眠っていた、びっくり!」
そんな呟きがぐっと増えた。
娘は予定より1週間早く生まれた。
だから、本当はお腹にいたはずなのに出てきてしまったから、のんびりしているのかもしれない。
そう、毎日言い聞かせた。
孤独だった。
娘が起きる間隔は短く、90分ごとに起きて泣くこともあった。
気が狂いそうだった。
一晩眠れた日など1日もなかった。
屍のように朝を迎え、夫の弁当を作り朝食を用意する。
彼の出社を見送る頃、娘はまた眠たくて泣きぐずりだす。
抱いて歩き続けないと眠らなかった。
眠りたくて泣く娘のため、わたしは彼女をずっと抱き続けて過ごした。
部屋はみるみるうちに散らかり
食器を洗うのも洗濯物を干すのも
抱っこひもで娘を抱いたままだった。
夫の帰宅に合わせて夕食をつくり、娘を抱えたまま食事をする。
そして夜がくればまた泣いては眠り、すぐに泣きだす娘と2人きり、朝が来るまで過ごす。
毎日何がなんだかもう分からない。
考えつくことはなんでもした。
昼間運動させてみたり散歩に連れ出してみたり、
ミルクを与えてみたり構わないようにしたり、
カーテンを閉め静かに暗くしてみたり、
または音楽をかけてみたり歌ってみたり。
それからよく眠ると評判のおくるみを巻いて、
頭が安定するという枕を買った。
布団をかけたり剥がしたり、
エアコンをつけたり消したり、
友だちにも匿名でも聞いたし調べたし本も読んだ。
わたしができることはなんでもした。
それでも娘は3時間と眠らなかった。
5ヶ月が経った。
150日間1日たりともわたしは夜通し眠れていなかった。
それどころかほとんど1時間おきに起きなければならず、続けて眠れるのは40分という日が増えた。
ぴよログはつけるのをやめた。
どんなに理性を働かせようとしてももう感情のコントロールができない。
些細な音が頭に響き、完全に聴覚過敏になっていた。
車の走る音でさえも勘にさわり、脳が焼ききれるように苛立つことばかりになった。
食べても食べても満腹にならなくて、どんどん体重は増え、肌はどんよりくすんでいた。
どうにもならなかった。
地雷のように噴火して怒り散らす自分にどんどんがっかりする。抑えようと思うのに止められない。
ぐちゃぐちゃに散らかった部屋はInstagramの輝くママたちの住む世界とは違っていて、自分がどうしようもない出来損ないのように感じる。
廊下の隅に埃がたまっていて、夫の仕事のシャツも脱衣所に増えていく。
それなのにどうしても体が動かなくて、
洗濯をして食事をつくるだけで精一杯になってしまうことが苦しかった。
専業のくせに甘えている。
やっぱりわたしはとことんダメなやつなのだと思うと、
やはり娘が眠れないこともなにか養育を間違えているのだとしか考えられず、原因探しに疲弊する。
産後鬱に片足突っ込んでると分かりながらもどうしようもできずに日々が過ぎていく。
夫が抱くと眠るのに、わたしが抱くと気が触れたように暴れて泣き続ける娘の姿に、母親になれないのだといわれているような気がする。
娘は日中泣き続けて目がパンパンに腫れていた。鼻水が溢れて鼻の下はいくつも泡ができている。思い切りひっかいた爪のあとが脂肪ばかりのわたしの腕に赤い跡をいくつも残す。
産まれて159日が過ぎた。
GW真っ只中の今日、いつも寝かしつける時間を少し過ぎていた。
眠たいのだろう、娘は泣いていた。
夫から彼女を受け取り、しばらく抱くとウトウトしはじめた。
このところ娘はわたしが抱くとぜったいに眠らなかった。なぜだかますます激しく身を捩り、喚くのですっかり抱っこは夫に頼りきりだったのだ。
だから、わたしの腕の中でウトウトしたことにものすごく驚いた。
寝室に移り、ベッドで胸を優しくトントンとあやしつけると、目を閉じては開いて手を動かすことを繰り返して、眠った。
授乳しなくても、身を翻して涙を流して大声で泣き続けるのをひたすらあやさずとも眠った。
生まれてはじめて、頭の中をからっぽにして「忍耐」の時間を過ごさずして娘が眠った。
耳の縁はとめどなく流れ落ちる涙でいつでも濡れていたのに、いまはサラサラと乾いている。
もちろんまだまだ眠ることは練習が必要だろうし、
今夜だって2時間もしないうちに泣いて起きるんだろうとは思う。
それでも、毎回可哀想なほど泣かせて眠らせていたのにそれがなかったこと、それだけであっけにとられたようにわたしは娘を見つめていた。
159日という日数にクラクラしそうだった。
日数はこれから増えていくし、
もっと眠らない子も眠れない親もいるのだろう。
それでも今日、彼女が彼女のはじめてを手に入れたそれを喜びとせずにどうしよう。