メキシコでも日本でも、肩パットは女の戦闘服だった。映画『グッド・ワイフ』
トロフィーワイフという言葉を最近知ったんです。
高い年収や地位を手に入れた男性が、美しくスタイルの良い女性を、あえて妻にすること意味します。
まるで「他人に自慢するためだけの妻」という雰囲気を感じさせるところに、非常に不快感を感じる言葉です。
まあ、趣味趣向は、その人の自由なので、他人がとやかく言うまでもありませんが、そんな男性の需要に答えるべく「お金持ちの妻になり玉の輿に乗りたい」と、外見磨きに精を出す女性たちは、今でもたくさん存在します。
映画『グッド・ワイフ』の主人公ソフィアは、高級ファッションに身を包んだ玉の輿美女軍団の中でも、女王様のように振舞っています。
「いやねぇ、みんな私のヘアスタイルに憧れて、すぐマネしちゃうんだから。」と自意識過剰気味。
3人の子供がいるにも関わらず、子育ては使用人任せで、「あなた30才超えてるよね?」という大人の女性でありながら、自分の誕生パーティを超豪華に開催するおセレブ様です。
そんな、ソフィアのセレブ生活に、メキシコの経済危機が直撃します。
夫の会社が資金繰りに困り、「どうしよう、会社潰れちゃう」という状態に!
ところが、ソフィアは、経済的ピンチにもかかわらず、相変わらずカードで高級品を買い漁る生活を続けるのです。
挙句の果てに、「お客様、カードが拒否されました。」と店員に言われても、「あ、そ、じゃあ小切手で払うわ。」てな感じで、動じない。
驚くことに、ここで私はソフィアに共感しました。
人間、本当のピンチが訪れると、なかなかそれを直視できないものです。
現実から目をそらし、普段通りの生活を続けようとします。
多分、自己防衛の一種なんでしょうね。
だけど、いつかは現実を受け入れ、何かを捨て、人生を見直さなければならない。
映画の中盤から、ソフィアが「いつ経済的危機を受け入れるのか?」ということに注視して見ていました。
しかし、いっこうに受け入れない。
かつての取り巻きたちが、ひそひそ噂話をしていても、何も存ぜぬを貫き、高飛車な女王様であり続けます。もはや、たった一人の孤独な女王ですが。
このあたりで、さきほどソフィアに共感した自分の浅はかさに気が付きます。彼女は、私のような庶民が共感できるような存在ではありません。
セレブであり続けるために、命をかけてセレブであり続けている、生粋のセレブなのです。
彼女は、私なんぞが想像もできなかった方法で、ピンチを脱出します。
「ダサい子」とバカにしていたアナの家のピニャータパーティに出席したあたりから、ソフィアの起死回生計画は始まっているのです。
その様を、淡々とじっくり描いていくのが怖くもあるのですが、ソフィアの内面を解剖していくようで好奇心をくすぐられました。
人間、誰しも生きる上で大切にしている信条のようなものがあると思います。
ソフィアのように虚栄心を最重要課題として生きている女の生きざまとは、いったいどういうものなのか。
観客にまざまざと見せつけて、颯爽と去っていくソフィア。
いやぁ、負けないですね。
あそこまでいけば、狂気を飛び越えて、もはやカッコイイかもしれない。
物語の舞台は、1982年のメキシコ。ソフィアのマウンティング勝負服は、イカツイ肩パットを縫い付けたブランド服。
日本でもバブル絶頂期の80年代に、ワンレン、ボディコン姿のお姉さまたちが、3高(高身長、高学歴、高収入)の男性たちをゲットする戦いをなさっていました。ボディコンの肩パットの分厚さ、ハンパなかった。
日本でもメキシコでも、肩パットが女性の戦闘服の象徴だったのですね。
物語の終盤で、ソフィアは、その肩パットを捨て去るのですが、かといって、彼女が変わったのかどうかは、ハッキリ分からないのです。
むしろより恐ろしくなったのでは?と感じ、「女って怖いな」などと思いながら、ブルっと背筋が寒くなりました。
noteを回遊していたら、たまたまミモザフィルムズさんのページで試写会の開催を知りました。
アレハンドラ・マルケス・アベヤ監督とオンラインでQ&Aもできて、とても楽しかったです。ありがとうございました♡