舞台を食べるとは?好きすぎて食べちゃったのがすべての始まり。
今日は自己紹介がてら、仕事の様子を綴ります。
タイトルの「舞台を食べる」を見て、なんのこっちゃと思われた方も多いと思いますが、本当にそのままなのです。
わたし小山嶺子は、連想料理と、ライブペインティングのような盛り付けを名物にしています。
もとは、「好きすぎて食べちゃいたい」くらい映画が好きだったので、映画から連想する料理のcinemanma!(シネマンマ)というブログを始めたのがきっかけです。
どんな映画が料理になるのか気になる方は、こちらからチェックしてください。
今では、ブログを飛び出して出張料理やイベント出展というスタイルでフリーランスのフードクリエイターをしています。
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「好きすぎて食べちゃいたい」はいつの間にかギャラリーでのお仕事に変わり、展示作品から連想する料理として、作家さんの熱い思いを食べていただく体験型のイベントまで作っていただけるようになりました。
そして今回は、舞台から連想する料理というものでした。
一度しか体験できない“舞台”の世界を料理で表現するのは、初めての試み。
大体のことはいつも初めてですが、「面白そう!」と思ったらなんとしてでも食いつきます。
正直にいうと、「キーワードや内容を忘れてしまったらどうしよう。本当に料理にできるのか?」観劇しているときは心配だったのです。
今回の舞台は『ズィ・シャラク』。江戸の浮世絵師、東洲斎写楽についてのフィクションでした。
暗闇の中、メモをとったりして。
(飲食店で先輩たちの動きを見逃さずにメモをとる技術をマスターしたので、手元を見ずにもメモが取れるというスペックを隠し持っています笑)
それでも後で人に伝えるというミッションがあると、不思議と鮮明に覚えているもので・・・セットはほとんどなく台詞のみで展開する情景を思い返しては、またキーワードを拾い集めていくような作業を繰り返しました。
パッと閃いて料理を作っていると思ってくださる方には申し訳ないのですが、そのバックボーンはとても地味です。
舞台のイメージを書き換えてしまわない程度に、写楽のことも調べてみました。なぜ、人は彼(彼女かも)の正体をそれほど気にするのかを知りたくて。
それ以上に、どうして写楽は正体を隠したのかを知りたくて。
そうして観劇から3週間を過ごすうち、「彼のようにもっとクリエイティブで暴れたい」なんて思うようになったんです。
綺麗にまとまりすぎない“妙”で、“違和感”のある色使いをしてみたり、普段組み合わせないような食材を使いたくなりました。
写楽を思えば思うほど、安定した世界観とは懸け離れていくような殻を破るような感覚に。媚びた味付けよりも、リアルな欲や不格好さに向き合う攻めたスタイルの方が写楽らしいかなって、思ったんです。
そうした考えから『喰らう〜The Sharaku〜』は、三つの部屋を移動して、ストーリーを追いかけるコース料理にしました。
それも、普通のレストランのように全ての料理をこちらでサーブするのでも、しっかりと説明があるのでもなく、あえて気まづさを体験させる意地悪なコース料理です。
一つ目の部屋では、写楽と母親のやわらかく純粋な思い出を体験していただきました。華やかで優しい料理を明るく静かな部屋にそうっと置いておきました。すると上品な大人になったゲストたちは、妙な緊張感と気まづさを感じながら「何か喋った方がいいのか?」と頭を回転させてしまうのです。
本当は、マイペースに無言を愉しんだり大きな声を出したって構わないんです。でも、できない。素を出せないもどかしさを感じたはずです。
二つ目の部屋では、写楽の浮世絵の世界と『ズィ・シャラク』主演の中村総介氏から感じた紅いエネルギーを料理に見立て、その場で盛り付けを。江戸時代から令和時代へ食のグラデーションを妖しくつくっていきました。
薄暗く、ライトの当たった料理たちを見ながら、他の料理や調味料で盛り付けをしていきます。じっと出来上がりを見てくださるゲストの視線を感じると、益々いたずら心が湧いてきました。
(きんぴらごぼうとイチジクの組み合わせ、お客さんはどんな反応をするだろうか(ニヤリ)。この色の組み合わせの奇抜さは戸惑うだろうな(ニヤリ)。この違和感の正体をさあ、考えてください。)
その食材たちの正体を伝えずに、ただただ無言で盛り付けていきました。
妖しく不思議な光景に、ゲストも緊張を味わいます。
三つ目の部屋は、外です。白い壁面に舞台の映像を流しながら西瓜のぜんざいを召し上がっていただきました。もちろん、お客様に自分でよそっていただきます。
ですが不思議なことに、三つ目の部屋になる頃には大賑わい。最初の部屋での気まづさはもう消えています。演者に話しかけられるようにもなり、ゲスト同士でも連鎖的に会話が生まれる。
一緒に不思議な体験をしたという一体感のようなものが「そろそろ自分を出してもいい」という合図したようです。写楽を喰らった後のゲストたちもまた、少し殻を破ったように見えたのです。
その光景を見て、人間らしさっていいなと勝手に満足感に浸ってしまいました。
そうしてイベントが終わる頃、写楽が正体を隠した理由について、やっとしっくり来る答えがでました。
「あぁ、写楽はきっと、正体を隠すことで見る人に想像力を働かせる隙を残したんだ。これはほんの、いたずら心。持てはやされる作品の裏にあるのはニヤケ顏かしら。」
まさかいたずらが令和時代になっても続くとはね。そんなことを思いました。
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これがわたしのお仕事。
noteを通して、いろんなクリエイターさんと企画ができると面白そうだな。興味持っていただける方は本気でDMください!
イラストはもちろん、言葉を食べるとかね!
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Live, Love, Laugh, and Be…“HAPPY”
2019.09.17
Mineko Koyama