映画があったから生き延びられた。映画から連想する料理cinemanma(シネマンマ)誕生秘話。
こんにちは、フードアーティストの小山嶺子(こやまみねこ)です。
近頃は、“フードアーティスト”なんて、聞きなれないような横文字の肩書きを名乗っているのですが、元は単なる映画好き。
映画が大好きで、ストーリーに共感したり、BGMにうっとりしたり、台詞にドキドキする気持ちを抑えきれない衝動から『映画から連想する料理cinemanma(シネマンマ)』というブログを書いていたことがきっかけで、“心の栄養”をテーマに掲げるフードアーティストに転身しました。
今日は、『わたしと映画の思い出』を赤裸々に、綴ります。
わたしの人生で一番、愚かで恥ずかしくて情けないお話ですが、他人のしくじり話は、酒の肴にも一歩踏みだす勇気にもなり得ます。
よかったら、お付き合いください。
フードアーティストと名乗る以前は、「学校を卒業したら、最短コースで自分の店を持ちたい!」
それが、わたしの夢でした。
「卒業したら、最短コースで自分の店を持ちたい!」それが、わたしの野望でした。
いくつかの飲食店でバイトをしながら暮らしていたある日、学生時代にお世話になった先生に偶然ばったり遭遇したことをきっかけに、転機が訪れたのです。
「実は、お前に話があったんだ。神奈川のとある店舗がリニューアルオープンするんだけど、お前店長やらないか?給料は18万くらいになっちゃうけど、メニューづくりから教え込んでやるから、1年やってみない?1年やったら、自分の店を出せる技術は十分、身につくぞ!」と。
願ってもない話に、即断即決。わたしは、「やります!」の一言でした。(2014年2月、当時24歳)
「やっと、やりたかったことができる。」
一大決心のつもりでした。ですが、これが私にとっての大殺界のような転機だったのです。
悪循環を生きる日々
リニューアルオープンというと聞こえはいいですが、実態は最悪でした。売上に伸び悩んでいた店で、オーナーが様々な食材業者さんに費用を払えていなかったのです。
当時のわたしは、夢見る少女。そんな裏話も知らず、立て直せるものだと思い込んでいました。でも、そう快調に進むはずはありません。店の見栄えが心機一転しても、続けていく資金がないのです。
すると、綻びが出てきます。
発注をしたアイスクリームは、定休日に届けられ、ドロドロに溶けていたり、届いた野菜は虫だらけ。
業者さんにその旨を連絡すると、体の大きな男性が登場し、「そちらのミスだ」と一切取り合ってくれませんでした。もしくは、空返事で返されます。業者さんたちからしてみたら、「対価も支払わずに何を言う」と、思われたのでしょう。この時、お金は信用を左右するのだと痛感しました。
たまに飲み会の予約が入ると、酔った男性客がカウンター越しに嫌な言葉を投げかけてくるということもありました。
オーナーには、「この売上では、やっていけません。すぐに回収して貰えないとお給料払えません。」と言われてしまう日々。
おまけに、夜道をつけ歩いてくる見知らぬ男が現れた日もありました。朝から晩まで隙間なく働いて対価は手に入らず、業者さんとの関係は劣悪という日々。
しかも、お店があった場所は元々住んでいた都内から電車を乗り継ぎ一時間半の場所。地元である静岡県沼津市からも電車で2時間近くかかる場所でした。
何のゆかりもなく、土地勘も知り合いもいなく、夜は19時ころから駅前も物悲しい田舎町でした。
そんな場所に、即答で飛び込んだのですから、自業自得だったかもしれません。
幸いなことに、一つも楽しいことがなかったとは言いません。アルバイトの子達はいつもがんばってくれていたし、支えてくれたいました。お店の事情やわたしの心境をわかっていながらも、「小山さんのようにラテアートができるようになりたい!料理ができるようになりたい!チョコレートで可愛く文字を描きたい!」そんな風に慕ってくれる様が愛おしくて励みになっていました。
ただ、もしもこれが大切な友達の話だったら、「頑張らなくていい、無理して笑わなくてもいいし、辞めていい」と言うと思います。
(こんなはずじゃなかったのに・・・。)
事態を好転させることを何度も考えました。
唯一寛げるはずの家は、雨が降る部屋でした。
ボロボロになって帰宅すると、なんと、我が家は欠陥だらけの部屋だということに気づきはじめます。
ある時は、壁の隙間からテーブルへと蟻の大群が広がっていました。
雨が降れば、長細い部屋の両壁から雨が滴り、カーペットはずぶ濡れ。
持っていた服や鞄の多くは、カビだらけになってしまいました。
おまけに、壁際で眠ると、まるで枕元で鳴いているかのように猫の声がしました。
次第に、部屋の真ん中にテレビだけを置き、30cmほど小上がりになったオープンキッチンの床に、布団を敷いて眠るようになりました。
本来、寛げるはずの部屋の中でも居場所は無くなってしまいました。
そんな生活は、人の心を正しい思考にはしてくれません。
世間知らずで浅はかだった小娘の小さな脳みそには、負けず嫌いな性分とプライド、なんとか楽しまなくてはという葛藤と、そして自責の念と後悔ばかりがぐるぐると蠢いていました。
昼間、気分転換に店裏の川を眺めては、
「この流れと高さじゃ、生き延びちゃうな。そもそも、私がいなくなったら実家の家族が悲しい思いするよね。もうちょっとだけ、頑張ろう。せめて、後半年。」
そんなことを毎日、考えていました。
これを綴っている今ならば、もういいから、とにかく逃げちゃいなさいと言ってあげたくなります。
本当に助けてほしいときに「助けて」が言えなかった。
これを読んでくださっているほとんどの方は、「え、辞めちゃえばよくない?」「誰かに助けてもらえばいいじゃん?」「そもそも、堂々と反論すればよいのでは?」「欠陥住宅に関しては、早々に大家さんに相談しなよ!」
様々な解決案が浮かぶと思います。
本当にその通りですよね。お恥ずかしいなと、今でも思います。
ですが、まだまだ世間知らずの24、5歳の小娘でした。
自分に力が足りないから、いけないんだ!
甘えていたら、自分のお店なんて持てない。
この現状は、わたしのせい。
勤めていたお店を辞めるときには応援の言葉と一緒に送り出してもらったんだ、簡単に戻れない。
負けたら…カッコ悪い。
もうヘトヘト。大家さんに欠陥を言うのも…もう嫌だ…。
プライドもあったし、ヘトヘトでした。助けてほしいのに、「助けて」と誰に言っていいのかもわからなくなっていました。
逃げるほどの勇気もない、情けない奴だったのです。
そんな時、心身ともにギリギリの私を助けてくれたのが、映画のストーリーでした。
そんな生活で唯一の気分転換は、子供のころから空想を掻き立ててくれた、映画でした。
怒りが込み上げたり、ワアワア泣く事、胸が熱くなったり、スカッとするアクションは、明日に希望を見出す心の栄養補給。
作品ごとに違う感情体験は心の膿をデトックスし、一人でできるセラピーのようで、映画を観ている約二時間は心配事を忘れられました。
当時は今よりもストイックで、(耐える=夢を叶える)と思い込んでいたし、応援してくれている人たちに「助けて」というのはワガママだと思っていたんです。
気づくと深夜に帰宅してから映画を観ることが、自分で困り事を乗り越える唯一の方法になっていました。
登場人物がどん底から這い上がる生き様を疑似体験することで、自分の現状も回復したような気持ちになれたのです。
「映画がなかったら、あの日々を生き抜けなかっただろう」今でも、そう思います。そのくらい映画にはご恩があります。
※とはいえ、一人で抱えてばかりでは精神衛生上よくはありません。これを読んでくださっているあなたは、映画を観て少し元気になったら、誰かに助けを求めたり、雑談をする時間を大切にしてくださいね。
悪循環からの脱出は呆気なく
悪循環な日々は、あっけなく訪れたのを覚えています。
結局、その店ではたった半年間しか働くことができませんでした。最後には、部屋で倒れた拍子に、頭を怪我してしまったのです。
頭からドクドクと流れ出す血を抑え、いつまでも引かない痛みに不安よりも恥ずかしさを感じました。幼い頃からそれまで、大きな怪我をしたことがなかったので、救急車を呼ぶという発想はありませんでした。
側にあったミニーマウスの絵がついたタオルで傷口を抑え、外へ出て、病院はどこだろうかと真っ暗な街を彷徨ったのです。
その後、かくかくしかじかありながらも無事に病院へ行くと、たった8針縫った程度の傷でしたが、お医者さんには優しく叱れらました。
それをきっかけに、「もう頑張るのはやめにしよう。よく頑張った。」そう自分を労い、お店を辞めて地元である静岡県沼津市に戻ってお店を持たないフリーランスのフードアーティストに転身することになりました。
映画から連想する料理cinemanma(シネマンマ)が誕生
地元に戻ってからすぐに大きな一歩を踏み出したわけではありません。
しばらくは、またアルバイト生活。家族の介護も体験することにもなり、完全に悪循環から抜け出したとは言えない日々でした。
それでも、できることをほんの少しずつやってみることで、好転していきました。
最初にやったことは、『映画から連想する料理cinemanma(シネマンマ)』というブログを書くということです。
当時は、何者でもないわたしが文章を書いて世の中に公開するなんて、恥ずかしいと思いながらも、特別な嬉しさも感じていました。
「私が映画から感じたことやリスペクトする人たちの言葉を受けて思い起こす料
理は、食べる人にも何かポジティブな感情を引き起こせるかもしれない。」
他人を同じ感覚に巻き込むことはできないけれど、頭の中が楽しくなると人生自体
が楽しくなることを伝えたいと思ったのです。
ブログはこちらから↓
日々の暮らしは映画とは違うけれど、誰かが人生をかけて創ってくれたものにはヒントがたくさんあります。
ストーリーに自分の人生を投影させてみると、案外すぐに見つけられます。
映画もわたしも、あなたのストーリーの答えにはなれないけど、落ち込んだ時にはほんのちょっと幸せに、ハッピーな時にはもっともっとハッピーになっていただけますように。
そう願って、日々、ブログにエッセイを綴っていました。
日々の暮らしは時に楽しく、時に生きるのが苦しいくらいに辛いもの。
年齢や環境が違くとも、人はそれぞれの喜怒哀楽に泣いたり笑ったり、移ろいゆく感情に悩まされるのだと思います。世間では、悩むことは良くないと言われますが、私はその逆に思うのです。
悩めることは今を必死に生きている人が得た特権。その悩みこそ、今しか体験できないリアルな生き様じゃないですか。
喜怒哀楽のうち、“怒と哀”すらも楽しみに変えてしまえたら、そんなハッピーなことはありません。
「ああ、私悩めてるー!一生懸命人間やってるなぁ。」
そんな風に思えたら、悩むことは苦しみではなく、成長の記録に変わります。すると、今まで悩みだったことは“悩み”ではなく、“考えごと”になります。
さて、そろそろこのお話も現在に近づいてきました。過去の出来事を綴るのは、恥ずかしく情けなさと向き合いながら書いています。
あんな出来事なければよかったのにと思う気持ちは、本音。
ですが、あのルートがあったから得られた幸せや孝行もちゃんとあります。それは、わたしの大事なストーリーです。
かつて、お店の中で小さくもがいていた小娘は、映画に助けられて少し成長し、今日も自分のストーリーを生きています。
そんな由来から、映画から連想する料理cinemanma(シネマンマ)のブログは進化を続け、映画に限らず様々なストーリーを“食体験”として提供するように変わっていきました。
今も悩みは尽きませんが、桂由美さんをゲストにお迎えした食体験では、ご本人から嬉しい言葉をいただいたり、昨年末には美術館のイベントにも読んでいただくことができました。
提供するのは、『映画のように紆余曲折な誰かの物語』と『目と心で栄養を補給できる、色彩豊かな食事』。
屋号は、cinemanma(シネマンマ)。cinema(映画)、mamma(食)、humanity(人間関係)をもじった造語です。
空腹を満たすためだけでなく、心に栄養を届けることで、もっと、自分を愛することを知ってほしい。頑張っている方に、そうっと寄り添うことをテーマにしています。
かつて、お店の中で小さくもがいていた小娘は、映画に助けられて少し成長し、今日も自分のストーリーを生きています。
日々の動画や写真はInstagramから、ご覧ください。
今年から、Instagramを毎日更新しています。cinemanmaの活動や料理×アートの制作過程・料理の知識を投稿しています。
学びになる投稿を心がけているので、よかったら見にきてくださいね。
ご質問やご感想、その他お悩み相談がありましたら、InstagramのDMかstand.fm内のレターでお知らせください。
それでは、今日はここまでです。明日もいい一日にしましょうね。
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『心の栄養』をテーマに、cinemanma本の出版を目指しています。良かったら、noteでサポートをお願いします。いただいた応援金は、発信活動と研究費に活用させていただきます。
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Live, Love, Laugh, and Be…HAPPY.
2024/02/19
小山嶺子(シネマンマ)