陰陽の対の扉が開き、封印が解かれると現れてくるもの
封印を解く旅の一年だった2022年
2022年も終わろうとする12月の今、私においての一年を振り返って思うのは、オンライン上や直接出会った新しい人や場を通じて自分自身の封印を解く旅をしていた一年だったと思う。それまでは、ハンドメイドの雑貨を販売することを自分ビジネスや自己表現のひとつとしてメインで提供してきたけれど「本当に私が望むことは何か」という問いの答えを探していくうちに、オンラインマルシェを盛り上げるために遊び感覚で始めたインスタグラムでのリール動画に夢中になり、自撮りや文章表現といった、もっと自分自身の本質を表現していくほうに楽しさや喜びを感じるようになっていった。
ハワイの踊りであるフラは教室に通って習っていた時期を終えて、ときどき好きな洋楽に合わせて自由に家の中で踊ることはあっても、人前で表現することはもう10年以上自分の中で封印していたのだが、リール動画を撮り始めたことで、かつて身につけたフラの踊り、手の動きが自分の感情とミックスされたオリジナルの舞的な表現として蘇ってきた感覚があった。フラには自然と繋がること、天と地を繋ぐような巫女的な祈りや舞がベースとしてあるので、そこが私の本質的な巫女的な要素の部分を思い出させてくれたというのもある。
魂の本質、魂の望みを思い出していくことが、自分自身を愛し、本来の自分を受け入れ、自分軸を強くしていくことに繋がっているし、自己表現をすればするほど自分の魂との繋がりが強化されてブレない軸や望む意志が育まれていくことを実感したので、そこから「自己表現の核の望みを知る個人セッション」という新たなセッションメニューが生まれていった。
「弁天」との出会いで天との繋がりを思い出す
10月の誕生日に訪れた江ノ島の旅では、江ノ島神社の弁天様に出会うことが天との繋がりを思い出していくきっかけになった。「弁」とは蓋のことでもあるから、その蓋を取り除き、天との繋がりを再び取り戻していくタイミングに来ていたのだと思う。もともと直感やインスピレーションが鋭いタイプな私は、何か霊的な物が見えたり聞えたりするのではないが、直感を通じて降りてくるサインや言葉、シンクロニシティの関係を読み解き、問いの答えや天の意図がわかってしまうことは経験として長年あって、それをあえて表向きに言葉にしたり表現することはしてこなかったけれど、天との繋がりを取り戻していくには、他人にどう思われるかの怖さを越えてアウトプットする必要を感じていた。自分が直感で感じたスピリチュアルなことを表現することをインスタグラムの投稿でも続けていった。それは、前回のnote記事に書いた11(意志)を立てる旅のエッセイの流れにも通じていたと思う。そうやって、自分の直感で降りてきたこと、天から受け取ったメッセージ。その感覚を信じて実際に行動する経験を重ねて自分との信頼を取り戻すことが大切だった。リール動画でも、新たな表現として自分の魂の本質である巫女になるという試みも始めた。
陰陽の対の扉が開き、封印が解かれると現れる「王」
12月に入ってすぐに深海誠監督の「すずめの戸締まり」を観た。そこで感じたのは扉には陰と陽の扉が対であるということ。映画では「後ろ戸」を封じることがメインで扱われていたが、私がそこから感じた陰と陽の扉の存在とは、外側からのきっかけで開く表の扉(顕在意識の扉)と内側から自分で開く裏の扉(潜在意識の扉)があって、陰陽の対の扉を開けるタイミングが今来ているというメッセージだった。それは、2022年が終わり2023年へと向かうこのタイミングで映画を観るという行為を通じて集合意識で繋がり合って、過去のネガティブな記憶や感情を共に見に行き、それぞれが自分にふさわしいストーリーに書き換えていけるタイミングでもあるということを意味している。負を精算して、もっと軽やかな自分になって次なる新しい世界へ旅立って行くというテーマが隠されていると感じた。負の精算とは、古い価値観や自分を不自由にしている思い込みやネガティブな重い周波数の感情を手放すことも含まれている。
「すずめの戸締まり」の映画の舞台にもなっていた御茶ノ水は、私が一番最初に社会人として働いた原点的な場所でもあった。楽しい記憶もたくさんあるけれど、繊細な自分の感覚を閉じて封印しないと会社という組織では普通にやっていけない部分もあって、辛さや悲しい感情がそこには残っていたので、向き合うタイミングが来てきたのだろう。久しぶりに聖橋を渡ってあの頃の自分に「よく頑張ったね、心配しなくて大丈夫。今の経験がちゃんと未来に繋がっているよ」と伝えてあげたくなって12月3日(ひふみの日)に東京へ出るついでに訪れた。御茶ノ水に行くために電車で「神田」で乗り換えたタイミングがちょうど正午0:00分。「神田」という文字が強く印象に残っていた。その頃、私に繰り返し来ていたのが「王」という漢字だった。「一人の王が支配し君臨する時代から、一人ひとりが王になる時代が来る」というメッセージも今年の秋頃に天から受け取っていたので、何か関連があるのだろうと思っていた。久しぶりに「神田明神」にもお参りして家に帰り、お風呂で湯船に浸かっていたら目の前の白い四角いタイルがたくさんの「田」の漢字に見えてきた。そして、左右にある対の扉が取り除かれるビジョンが見えたとき「田」の中に「王」の文字が現れてハッとした。扉とは封印や壁、境目を意味しているので、陰と陽の対の扉つまり顕在意識と潜在意識の扉が開かれたとき、光と風の通り道ができて「自分の中に眠っていた王が目覚める」というメッセージだとわかった。扉が開かれるとは、封印や壁だと思い込んでいたものが取り去られ、新しい可能性の扉が開くことでもある。つまり、扉で隔てられていた分離の世界から開かれた統合の世界へ向かうということだ。
818のメッセージ「我、光の柱なり」
2022年が終わるまでに自分の中にある扉(封印や壁)で蓋をして見ないようにしていたものに、どれだけ向き合って気づいて開いていくことができるかで、2023年の流れが大きく変わってきそうだ。私自身の名字「芦」の漢字の中にも扉が隠されていたことにも気づいたのだが、封印を解き、才能を開花させるということが今世私が生まれてきた根本的なテーマにもなっているのだと感じている。「我、光の柱なり」というのは、最近目にした「818」というエンジェルナンバーから私が受け取っていたメッセージ。(1が示すI amのエネルギー)自分が王であることを思い出し、自分軸という光の柱を立てていくとき、(8が示す)無限の豊かさの上昇していくエネルギーのエレベーターに乗ることができるのだろう。