ずっと待ってた言葉を やっと言えた
前回「レンタル何にもしない人ならぬ自宅で何もしない人」と書いてしまったので、もしかしたら「大丈夫なのか?」と心配された方もいるかも知れません。そこは靭帯損傷してもとにかく明るい吉田。
「安心してください! 歩けますよ!」
但し、足はこんな感じです。
飲み薬の痛み止めは飲まない(医師もわからなくなるから飲まない方が治りがいいと診断)。
湿布を貼った上から、外反母趾&内反小趾防止「ソルボ ヨコアーチフィット」装置(指の付け根の神経を痛めないように)。
靴下を履いてから足関節サポーターを装着。
で、歩いてます。
ただ今のところは用事がない限り外には出ずに、家の中でも立ちっぱなしになると、どっと疲れるので家事も最低限。
左足首に力が入らないので無意識に足をカバーするのか膝が痛くなってきた。骨盤サポーターをして膝に負担をかけないように努めてるけど、コレを機に歩き方や身体の姿勢を気遣ってみようと「すぐにできる!魂の合気術 「カタカムナ」の姿勢と動き」という本を取り寄せることにした。
何かいろいろ間違ってる気もするけど、カタカムナのマノスベの姿勢や歩き方に興味があったので。姿勢や歩き方を学ぼうと思っただけなのに合気道の達人になってたらオモロいな。
それにしても私は運がいいと思う。これが腕や手を強打していたらギターが弾けなくなっていたし、大腿骨強打してたら歩けなくなってたかも知れないし、頭打ってたらかなり大変。左足靭帯損傷で済んで、ギターも弾けて、歌えて、こうやって文章書けて、本も読める! そして、ゆっくり過ごさせてもらえている。むしろ今、好きなことしかしてない!! 何てありがたいんだろう。
私は肌が弱くて食器類の洗い物が好きじゃない。環境に配慮された洗剤を使っていても手は荒れる。だけど今、長時間立ち仕事できないから免除されている。地味にストレスだったことをしなくていい。
時間があるからやりたいと思ったことができる。実験的に作ってみたかったフェルト工作を作ってみたり。
ギターのメンテナンスをして弦交換したり。
前から直したかったズボンの裾を縫ったり、根詰まりしているガジュマルの植え替えをしたり。
思う存分にギターと歌の練習ができたり、思いが湧き上がった時に文章が書ける。何てしあわせなんだ。
朝起きる時にやらなきゃいけないことを考えるとなかなか起きれなかった。今はゆっくりと「今日は何をしようか」と思いながら起きることができて、もうちょっと寝たいと思えば寝て、「あ、アレをしよう!」と思えば起きる。
そんな中で気づいたことがある。
私は仕事することや働くことにネガティブな思い込みがあった、と。私は自分を仕事ができない怠け者な人間だと思っていたが、私が思っていた仕事や働くことの概念が狂っていただけなんじゃないか? と。
私は組織的に動く働きができない。少ない時間でたくさんのことをこなす生産性がない。上司の言うことでも疑問があると理解できるまでしつこく聞く。自分の中でそれはないんじゃないか? と思うことには従えない。組織社会で私は「できない奴」「使えない奴」の部類になることが多かった。
だからか働くことが嫌だったり辛く感じることが多かった。お金をもらうには我慢しなくちゃいけない。苦手なことを克服しなくてはいけない。嫌なことも受け入れなくてはならない。それが働くことだと思っていた。働く喜びよりも、嫌なことを耐える義務感ばかり感じていた。書いてるだけでも気が重くなる。
だけど今、あまり身体を動かせない中で、母ひとりに家事を任せないようにできることはしたり、動けないなりに自分にできることは何かを考えてやろうとしてる。義務感じゃなくて、やりたいからやるという自然なムーヴで動く。本当は働くって、こういうことなんじゃないだろうか。人が動くと書いて働くって書くんだし。
お金を介在させるから何かおかしなことになってるけど、「コレをしよう」と浮かんだことを自然にする。自分が無理なく喜んでやれることをする。「これをするのが好き」「楽しくて仕方ない」そうやってできることが仕事なんだと、私の中の認識や前提が変わったらどうなるんだろう?
子どもの頃に私は絵を描くのが好きで、広告の裏が白紙のものすべてに絵を描いてた。描きたいエネルギーに溢れてた。美大に行きたい! というぼんやりとした憧れがあったけど、私がそういう進路を考える前に母から「ウチにはお金がないから美大なんて行かせられないからね! 絵なんてお金にならないし学費が高いんだから!」と呪いのように何度か言われた。
私はそれをずっと根に持っていた。今はそんなに絵を描いたりしないし美大に行きたい訳じゃないのに何でそんなに根に持ってるのか、やっとわかった気がする。
美大に行かせてもらったかどうかじゃなくて、私の気持ちや願いを言う前に否定されて、私の才能や資質よりもお金が大事だと言われたことが、すごく辛かったんだ。
母はよく「我慢しなさい。我慢してたらいいことがあるから」とか「怒ったらダメ。怒る人は嫌い」と幼い私によく言った。それは躾じゃない。呪いだ。
こんなことはよくあることなんだろうし、気にした幼い私が未熟なのかも知れない。だけど、今だからやっと認められたけど、すごく辛かった。辛かったし、生きていくことや大人になることが怖くなった。働くことも怖かった。だって我慢しなくちゃいけない世界を生きるの辛くない? 自分の淡い想いや願いを言葉にする前から否定されて我慢ばかりして生きろって地獄やろがいっ!
そして、そんなの嫌だ!と思っていたはずなのに、私は無意識の内にそのままの生き方をしてしまっていた。
自分の中に芽生えた淡い想いや願いを形や言葉にする前に自分で否定して壊す。お金を稼ぐにはどうしたらいいかを考えるがうまくいかない。我慢して怒らないようにしては臨界点を超えて怒りが爆発して自滅する。
ある時に「本当にもう嫌だ!」ってなってから、その負のパターンを少しずつ変えてきたつもりだったけど、今やっとわかった。あの時の辛かった気持ちをわかってほしかっただけだったんだ。
「まだ言葉や形にならなかった淡い想いや願いを否定しないで」
「私の才能や資質よりもお金ばかり重視されて悲しかった」
幼かった私はそういう想いや言葉さえ出せないでいたんだなぁ。そして1番悲しかったのは、私自身が私の想いや願いや才能や資質を信じられなかったことなんだと思う。
もう私の想いや願いを否定しなくていい。お金のことばかり言わないで、私の才能や資質を信じてほしいなら、今の私がそうしてあげよう。その責任を私がとろう。願いか叶うかどうかじゃないんだよ。その気持ちや想いを大切にしてほしかっただけなんだよ。
そんな風に認識することができて、ずっと言ってほしかった言葉を、やっと私が自分に言えたことが嬉しい。
これはきっと、誰かに言われるんじゃなくて、自分がその想いに気づいて、私に言ってほしかったんだと思う。ずっと待ってたんだなぁ。その頃のまま。
やっと私が私に言ってほしかった言葉を言ってあげられた。
よわさを認められて嬉しい。