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自分の踊り方で踊ればいいんだよ
2024.10.13
大好きなお店ボナルーカフェで、パレスチナを想う寄付イベントがあると聞いて行って来た。
現在イスラエルのパレスチナへの攻撃だけでなく、イランやシリアも巻き込んだカオスな状況になっていることも詳しくはないが知っている。
開戦のきっかけは去年の10月にハマスがパラシュートで降りて来てイスラエルでパーティーしてる市民を虐殺したことになっているが、それ以前からパレスチナはイスラエルから不当な仕打ちを受けていることも知っている。
最近はイスラエルからの攻撃が激化して、アメリカがイスラエルに更なる多額な軍事支援を行ったことも知っている。
しかし、私はよくわからない。一方的にどちらが悪いことがあるのか、ないのか。
片方だけに肩入れすることが良いことなのか。それは争う力を増大させていないか。
争いや憎しみの渦に自分が入っていく必要があるのか。
心が傷まない訳ではない。だけど冷静になって距離をとって見ていたいというのが正直なところ。無関心な訳ではなく、何であんなに争ってるのかがよくわからないというのが正直なところ。
ボナルーカフェは以前からイスラエルの人種差別とジェノサイド、アメリカの軍事支援に静かに抗議をしていて、ジェノサイドに反対する布パッチを配布したり、ポスターを貼っていたり、パレスチナ関連の本も置いていた。私はたまに本を手にとって目を通したが布パッチを身につけることはなかった。
この日、智也さんはガザ地区在住のAliaさんと宍倉慈さんの共著であるパレスチナの伝統料理のレシピをまとめた「抵抗のためのレシピ」からパレスチナの伝統料理を作り、みんなで食べて想いを馳せようと思うと話していた。智也さんの熱意を感じて、私は「わからない」というスタンスのまま参加することにした。
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ここから書くことは決してこのイベントを開いた団体の方々を批判するつもりで書いているのではないことを、まずお伝えします。
参加してみて、私が1番感じたことは「自分が大事だと思っていることを人に伝える時にどんな風に伝えるかが重要であるか」ということ。
当日はパレスチナの問題をテーマにした映画の上映とお話し会があり、智也さんの作ったパレスチナ料理が食べられると把握していたが、映画が何故かLGBTQ絡みの映画で混乱した。「ガザのことは?」ってなった。まったく関連ない訳ではないけどLGBTQ色が濃すぎる。
イスラエルが性的マイノリティにも住み良い国だと広報していて、アメリカの多様性をテーマにしたイベントが実はイスラエルが主催していると。イスラエルは多様性に理解あるアピールを世界に発信する陰で、止まないどころかエスカレートていくガザへの攻撃を隠す為にもイメージ戦略をしているという内容だった。
見終わった後に感想を聞かれたけれど「LGBTQの人たちが都合よく政治利用されてますね」としか言えなかった。また映画の字幕でも主催者のイベントスピーチでも「クイア」という言葉が当たり前のように使われていたので、「当たり前のように使ってるけど私にはわからないので、何を指してるのか教えてほしい。わからない言葉を多用されると入ってこない」と聞いてみた。
簡単にまとめると自分の性的指向がハッキリしない人を指すらしい。昔はその言葉を使って変態呼ばわりされていたらしいのだけど、「変態で何が悪い!」とあえて自分たちに誇りを持って呼ぶ言葉になったのだとか。
そんなやりとりをしていて、ますますわからなくなった。私がパレスチナのことを知りたくて来たのに、何でLGBTQの話を聞いてるんだと。LGBTQの話題が悪い訳じゃない。しかしパレスチナのことを伝えようという触れ込みで来たら、「そこはみんな知ってますよね」みたいな前提でLGBTQの話を聞かされたというか。主催の方が「こんなひどいことが起こっている!」と話し、中には過激な言動が見られる人も居て、ますます混乱した。それでもせっかく来たのだからと「そもそも何でイスラエルとパレスチナはこんなに争っているのか?」「エルサレムがあるからなのか?」という質問をして聞いてみたのだけど、「イスラエルはひどいんだ!」「シオニストが原因」みたいなことを怒りと共に伝えられるので、私にはまったく入って来なかった。
これは特別にこの団体が悪い訳じゃなくて、割とよくあることだと思う。慈善事業や社会活動してる人に割と多い気がする。食について、自給自足できる村づくりについて、経皮毒や洗剤について、薬やワクチンについて、政治的な問題について。善意や正義感から行っているのだろうけど、その問題を語る時に怒りを持って話し、相手を不安にさせて巻き込むという話し方・やり方をしている人が多い気がする。
過去にこんなことがあった。私は皮膚が弱くて手荒れがしやすいのだけど、私の手を見て「市販の洗剤は経皮毒を蓄積してしまうから洗剤を変えた方がいい」と、市販の洗剤を使い続けて肌がただれた人の写真資料をたくさん入れて、「この商品なら肌にも環境にもいい!」と一般流通してない洗剤のパンフレットと「会員にならないか?」という勧誘の手紙が郵送されてきた。「ネットワークビジネスか?」ってなった。
食で言うと、菜食をしてる人が養豚場や養鶏場の劣悪で残逆な写真を投稿したり送ってきたりするとか。
いろいろあるんだけど共通してるのは、「こんなひどいことになってるんだ! 許せない!」と怒りを持って話し、相手の不安を煽ること。自分たちの考えが正しいと思い過ぎていること。質問したり意を唱えると、否定されたと感じるのか離れていくこと。
たぶんなんだけど、それでは本当に大事なことは伝わらない。そして、本当に伝えたいことや、その人が語りたいことの奥に何か別のものがある気がしてしまう。個人的にはその奥を見つめた方が、ずっと世界は平和になる気がしてる。
それと同時に、私自身も何かを語る時に気をつけないとなと思う。自分の立場でしか見れないまま、誰かを責めたり、あの人はひどい人だとか、許せないとか、信じられないとか、言うてないか? みんな違うことが前提。自分はこう思うけど、人は違うかも知れないという前提で関わる余裕を持っていたい。忘れがちだけど。
今回のイベントに関しては、映画を観たり話を聞くよりも、智也さんがガザに住む方々に想いを馳せながら、なるべくレシピ通りの食材で作った一皿のパレスチナ料理の方が私はいろいろと感じることができた。質素で味わい深い料理を味わいながら、何故ガザで暮らしている人々が犠牲にならないといけないのかを思えたから。
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決して社会活動が悪いという訳じゃない。大切なことから目を逸らしたらいいという訳でもない。日本で言えば台湾有事についても知っていた方がいいし、政治が変な方に向かってないか冷静に見ていた方がいい。イスラエルとパレスチナの話が私たちとまったく関係ない訳ではない。
だけど、大事なことは、たくさんの情報の中から何を見て、何を選んで、何を得ていくのか? ということ。ニュースや記事になっていることを鵜呑みにしていないか。違和感はないか。周りと自分が違っても、自分を信じていけるか。
自分を信じることと、正義を振りかざすことは違う。その違いを理解できるか。
周りがどんな動きをしていても、自分の踊り方で踊ればいいんだよ。
長くなったけど、私の偏った意見を書いてみました。ここに書いた私のことも、信じすぎないで歌がってみてください。違和感があれば離れて。そういうことが大事だと思います。
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