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月見の歌会

2024.10.15

栗名月とも呼ばれる旧暦の中秋の名月のこの日、「月見の歌会」に行って来た。

何年か前から須磨寺でこの「月見の歌会」が行われていることは知っていた。

余白のことばでお世話になっている町家Tentofuの衣笠さんは、須磨寺の門から会場まで案内する灯係を統括している後見人。衣笠さんから何度か話は聞いていた。

加藤あーこさんがオンラインで開催してる「未来デザイントーク」のゲストに世見明さんが来てくださり、そこで世見さんが和歌や月見の歌会に至るまでの興味深い話をしてくれた。面白かった。

それでも参加は少し迷っていた。和歌詠んだことないから楽しめない気がして。

トドメに、友人がこの会で篠笛を吹くことになったと聞き、「これはもう行かねばならぬ」と腹を括って行くことにした。

和歌は詠めなくてもいい。ただ気楽に、十三夜の月夜の下で月と和歌を感じるだけでいいかと思っていたが、不思議なもんで、実際に参加してみると「五七五七七のルールだけで良い。言葉遊びみたいなもので構わない」と言われたら和歌を詠んでみたくなった。

美しい月夜の下で、手の指を使って五七五七七を数えながら歌を詠んでみる。


須磨寺内は行燈と蝋燭の灯だけ

思いついた歌を2首詠んでみた。
思っていたよりも、ずっと自然に和歌が詠めた。

和歌を詠む人は、硯の墨を使った筆で半紙に和歌を認める。それを和歌を置く台か、世見さんに直接お渡しする。その中から世見さんが選出した和歌が詠われる。行燈しかない静かな須磨寺で、琵琶を弾きながら「平家物語」を語る人がいる。和歌に合わせた琵琶の音。琴の音。篠笛の音。秋の虫たちの泣き声。月明かりと行燈しか灯りがない世界。

月明かりに照らされながら、ふだん感じられない「気配」を感じる。とても贅沢で豊かな時が流れた。

月を見ながら、ボンヤリと詠まれる和歌を聞いていると「おや?」となった。行燈しかない暗闇の中で、どこにいるかはわからないけど、知人が居ることに気づいた。知人の和歌が詠まれた。

「どこにいるんだろう?」そう思ったけど、暗闇の中を探す訳にもいかないし、この会は静けさや気配を感じる会だろうから何年かぶりの再会で盛り上がるような場所じゃない。会いたい気持ちはあるけれど、会えない可能性が高い。暗くてどこにいるかわからない。でも、確かに、この月夜の下、どこかに居る。もし会えたら声をかけよう。会えなかったらそれはそれでいい。そう思いながら静かに美しい月を眺めていた。


しばらくすると、目の前に見覚えのあるシルエットが通り過ぎた。

「居った」

その影を目で追い、止まった位置を定めてからゆっくりと近づいて声をかけた。「え? 誰?」ってなっていたけど再会を喜んでくれた。ご夫婦で来ていたらしく、久しぶりに奥様にも会えてお互いの近況を話し、そしてまた静かに別れた。

月夜と行燈しかない暗闇で、静かに過ごした豊かな時間。昔の人は、こういう時間を大切にしていたんだな。電気はない。もちろんスマホはない。便利なものはひとつもない。当たり前に会えることもなく、会えるかどうかもわからない。そんな中で恋をしたり、恋の歌を詠んで送ったりしていたんだなぁ。そういう刹那の中で、つながれたり出会えたなら、そりゃあ燃え上がるだろうなぁ! と月を観ながら想いを馳せた。

私が詠んだ和歌は秘密。

この日の月は本当に美しかった。

すでに来年の日程が決まっていたので、ご興味ある方はぜひご参加下さい。

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よしだみねこ
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