優しさを伝える技術
年末の朝、起き抜けにふと浮かんだこの言葉。【優しさを伝える技術】
自分でも何か分からずにそのままにしてたのだけど、最近理解できつつある。
人は基本的に優しい。しかし、その優しさを伝える努力の仕方はわからない。自分が優しさのつもりでしてることに、相手が気づかなかったり感謝していなかったり、逆に文句言われると心を閉ざしてしまう。そして相手を責める事さえある。
だけどそれって、相手が悪い訳じゃない。
もちろん優しさのつもりでした自分が悪い訳でもない。
足りなかったのは、自分の優しさを伝える技術。「そんなもんなくてもわかるやろ!」と言いたい気持ちもわかるけど、みんな自分と同じように感じたり思ったりする訳じゃないんだよね。
優しさを伝えるには技術がいる。その技術を身につける努力をする。
それがここにきて、何となく体感でわかってきた!!!
最初は職場で鼻に酸素を送るチューブをしてる体格のいい女性の介助でそれを感じた。車椅子から立位をとりトイレ介助する際に、鼻のチューブが引っかからないようにしつつ、身体が重くて立位が不安定なその方の介助が難しくオタオタしてるとイライラされてキツく怒られたのだ。
チューブが抜けないように、身体に負荷をかけないように考えてはいても慣れない介助だと相手に負担がかかる。介助がどんなに難しいかは相手にはわからない。
寄り添って手助けしたい想いだけあっても技術がないと伝わらないんだ。その為の技術なんだ。
これは介助だけでなく、人と関わる際に、言葉や想いを伝えるにも、相手が受け入れやすくするにはどんな言葉を選ぶか? という技術にもつながる。
だけど1番大切なのは、根本に愛があるかどうかってことで。
自分の正しさを思い知らせたいとか、こうしといたらええやろ?とか、愛じゃないものが根にあるのなら、どんなに技術を磨いてもそれは愛ではないとわかる人にはわかってしまう。
そんなことを最近考えていて、やっと言葉にできました。
頭で理解できるのと、実際にやれるかどうかはまた別だけど、少しずつ意識していけたら。
単純に優しい気持ちがあるのに伝わらなかったり誤解されたりすることで拗ねていた私を、「こんなにいい子なんですよ!」と自分が認めたいってだけなんですけどね。
せっかくある想いを伝えられるようになろう。