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人はプライドで死ぬ
年明けに聞いた言葉が忘れらず、ずっとnoteに書きたいと思っていたことがある。それは「人はお金では死なない。人はプライドで死ぬ」ということ。
この言葉は私が受けているグループコンサルの中で聞いた。その日聞いた話の中で1番インパクトがあり、1番感銘を受けた。でも本当は薄々勘づいていた。人はプライドで死ぬってこと。
きっとみんなどこかで薄々気づいてると思う。ただ、それを認めてしまうのは怖い。それこそプライドを捨てることになるから。
以前よく友人から「峰ちゃんはもっと人に弱みを見せた方がいい」と言われた。その友人は何度も伝えてくれるけど、その時の私には理解できなかった。
それとは別に20代の時、職場の先輩に「その澄ました顔を崩してやりたい!」と言われた。その人に限らず何度かそういう言葉を言われたことがある。もっとも強烈だったのは「そのいい子ぶった顔が気に入らないのよ! 何でもできますみたいな顔して何にもできないくせに!」と言って散々罵倒した挙げ句「私にこれだけ言われて泣かないなんて本当に人格疑うわ。大人を舐めてんじゃないわよ」と吐き捨てられたこと。今で言うパワハラやけど。
その時の私は罵倒されても泣かなかったんじゃなく、心が凍りついてた。罵詈雑言の数々をそのまま受け取ったら身が持たない。その出来事の前に実はすでに2回も急性胃腸炎になっていた。罵倒の数々を防衛本能が受け止めないように働いたんだと思う。
しかし何で私はそんな場面によく出くわしてきたのだろうか。自分ではよくわからない。ただちょっと感じるのは私はどうやら人より傷つきたくないという気持ちが強い気がする。傷つきたく無いとか失敗したくないとか損したくないとか。それは私の弱さでありプライドの高さなんだと思った。
よくよく考えたら、私が後悔した出来事や深く落ち込んだ出来事にはプライドが関わっている気がする。
あの時ああすればよかった。ああ言えばよかった。そう思ってできなかったのは自分が傷つきたくないから。自信の無さの仮面を被ったプライドが過保護なくらい自分を守る。幼い時にプライドが傷ついたり自信を無くすことが多かったからかも知れない。自分を恥ずかしいと思っていた。一時期ものすごく自己卑下がひどかった。でも、自己卑下する人って、本当はめちゃくちゃプライド高いんやと思う。自分をこんなもんじゃないと本当は思ってるから、アレもできない、コレもできないって思って悔しくて拗ねてしまうんよね? 完璧で美しい自分でありたいからだよね? 本当はめちゃくちゃプライド高いよね? 友人が「峰ちゃんはもっと人に弱みを見せた方がいい」と言ったのは、もしかしたらそういうことなのかも知れないな。
プライドが隠しているものって何なんだろう。
隠している本当の素直な気持ちって何なんだろう。
本当は私は何を感じてるの?
最近はそんなことをなるべく自分に聞いてみることにしている。こんなこと言ったら笑われる! こんなこと言ったらバカにされる! そう思って隠してしまうのは何で? たとえ笑われたりバカにされても死にはしないはずなのに、死ぬほど恥ずかしくなってしまうのは何で?
そういうことばかり考えてる私は明らかに面倒くさい奴だと思う。だけど私はもう自分のことを面倒だと思いたくない。いろいろやらかしてきた私も、めちゃくちゃ拗らせてる私も、少しずつ可愛くなってきた。そして、そんな私のままで穏やかに優しく、やすらいで生きていくことはできると信じられるようになってきた。
そんな風に思えるようになって、やっと、プライドで自分を守らなくなってきた。そうすると、何だかいろいろ見えてきた。本当はみんな自分の優しさや気持ちを受け止めてほしいだけなんだな。本当にただそれだけなのかもしれない。
プライドが鎧みたいになってる時は、本当は奥に優しさがある言葉や行動も攻撃に感じて受け入れられないのかも知れない。鎧を脱げば相手の言葉や行動に愛があるのかないのかも分かるんだと思う。
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