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世界で最も重要な対話へようこそ――『資本主義の再構築』:5分で読めるエンゲージ書評

「足元の数字に追われて、本当は何をやるべきか分からない」
「だから本を読んで仕事に活かしたい。けれど時間がない」

そんな読者にお届けする「5分で読めるエンゲージ書評」。初回は『DIGIDAY[日本版]』創刊プロデューサーなどを歴任した谷古宇浩司さんが、資本主義世界の現実的な変え方を語る1冊を紹介します。

紹介する本:『資本主義の再構築』(レベッカ・ヘンダーソン、高遠裕子=翻訳、日本経済新聞出版)

資本主義世界の100年後

資本主義の政治/経済システムが西欧諸国で根付き始めた19世紀初頭では、世界人口の85%が極度の貧困にあえいでいた(Fires in Amazon Rain Forest Have Surged This Year(NEWYORK TIMES))。生まれた子どもの40%が5歳以前に死亡した時代から、この100年の歴史は、資本主義という素晴らしいアイデアの誕生と成熟の過程を記した人類共通の記憶といえるかもしれない。

資本主義とともに100年ほどを生きてきたわたしたちは、果たして豊かで幸せな人生を享受できたといえるのだろうか。

そうだともいえるし……、そうではないともいえる。

ただ、さまざまな問題があったとはいえ「それなりに豊かで安全な生活」をおくることができた、と考えていいのではないだろうか。

では、いまから100年後の2123年のことを考えてみる。わたしたちは、現代よりも成熟した政治/経済システムを運営していると胸を張って予言できるだろうか。

今回紹介する『資本主義の再構築』(REIMAGING CAPITALISM IN A WORLD ON FIRE)の著者で、権威あるハーバード・ユニバーシティ・プロフェッサーのレベッカ・ヘンダーソンなら、この問いに対して楽観的な回答はしないだろう。少なくともいまのままでは、わたしたちの生活はもとより、地球そのものが持続不能な状況に陥ると彼女は警告する。

人類の強欲性を刺激するシステム

現代のわたしたちが当然のこととして受け止めている「私有財産」「自由競争市場」「賃金労働」「価格制度」などの資本主義的なコンセプトは、(土地を領有する)権力者が人民を統治する封建主義の時代にはほとんど存在していなかった。

絶大な権力は、その希少性が高ければ高いほど、権力を保有する人間の「負の性質」を増幅させる。そんな思いを抑えられないほど、わたしたちは「無慈悲で横暴な貴族に虐げられる農民の物語」を子どもの頃から聞かされてきた。

市民革命の産物である資本主義は、人間から人間に向けられていた「無慈悲で横暴な」力の発生基盤である政治/経済システムを根本的に作り変え、個人の尊厳に価値を置く社会を運営する原動力になった。

しかし、この資本主義という羅針盤を頼りに100年ほど航海を続けてきた地球という船はいまや、いつ沈没するかわからない極めて危うい状況にあるといえる。「人間から人間」に向けられていた「無慈悲で横暴な」力は、この100年間で「人間から地球」に向けられるようになった。人間は、自分たちが生きる場所そのものを攻撃し始めたのだ。

とはいえ、わたしたちは、このような事態を予測しなかったわけではない。

19世紀のロンドンでは、石炭燃料の大量使用により大規模な大気汚染が進んだことをわたしたちは知っている。有害化学物質の廃棄により、恐るべき産業公害が戦後の日本を脅かした記憶もいまだに鮮明に残っている。

資本主義に裏付けられた社会システムは、知らず識らずのうちにわたしたちの強欲性を刺激し、歯止めの効かない暴走を促す装置となっているのではないか。悲惨な環境破壊の事例が相次ぎ、残念ながら今後もこの忌まわしいリストは更新され続ける気配が濃厚である。

どうすればわたしたちは、この資本主義的社会システムによって呼び起こされる「強欲への誘惑」を断ち切ることができるのだろうか。

『資本主義の再構築』は、この難題に現実的な解をもたらすべく苦闘するレベッカ・ヘンダーソンの労作である。「執筆に10年かかった」と彼女は書いているが、それは必ずしも執筆自体の時間を指すのではなく、卓越した研究成果の粘り強い積み重ねを意味するものだ。

経済合理性で動かす、資本主義の再構築

この本が類似書とは異なるバランス感覚のよさを発揮していることは、「第三章 資本主義の再構築には経済合理性がある」を読めばわかる。

社会的な共有価値の創造を訴え、そのような価値創造の実現を目指す目的/存在意義(パーパス)主導型組織の構築の必要性を大所高所から訴えたとしても、強欲の誘惑に囚われた企業経営者や政治家は聞く耳を持たない。

そうではなく、資本主義の再構築には崇高な目的もあるが、同時に経済合理性もある、つまり「儲かるんだ」という風に説得の方向性を定めるところが賢い。

そのうえで、企業の資金調達に絶大な影響力を持つ投資家層に働きかけることをヘンダーソンは提案している。……もっとも、彼女はそんな投資家たちさえも実はあまり信用しておらず、投資先の企業に対して大きな力を持ち得る投資家の権限の縮小というアイデアにも大きな関心を寄せている。

加えてヘンダーソンは、企業間の協力体制の構築という議論にも紙面を費やし、「人類の歴史は、協力の規模を拡大してきた物語として理解できる」(p.55)と書く。

現代の資本主義的社会の仕組みを創り変え、各国の政府さえも立て直すという大きなミッションを達成するには、個人の動きを企業規模の変革に育て上げ、企業間の連携体制を構築することで、政治システムの改革の動きまでをも巻き込んでいく必要がある。その時にあらゆるプレイヤーを動かすのは経済合理性であるとする。

その思考のクールさがカッコいいし、頼もしい。熱い思いだけでは世界は変わらない。

ようこそ、世界で最も重要な対話へ。

[著者]谷古宇浩司:編集者、メディア戦略アドバイザー。「ITmedia エンタープライズ」「ITmedia マーケティング」編集長、「DIGIDAY[日本版]」創刊プロデューサー、
「Business Insider Japan」創刊編集長などを歴任。


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