友人がコロナで自死に追い込まれた話
初めましての方は初めまして。いつも見に来てくださっている方,お世話になっております。スプーン界のスクランブル交差点,占い屋はると申します。
今回はかなり重たいテーマになっております。
人間はいつか必ず死ぬ。
死んだ後にいくところは,無である。
死んだ者は生き返らない。
デスノート12巻の最後に出てくる文章です。
コロナ自粛が謳われる中,フリーランスで活動していた知人,そして大学院時代の後輩が自死を選びました。
死別とは人生においてとくに大きなインパクトをもたらします。しかし死に関する研究は心理学ではタブーとされ続け研究を行ってきた人はほとんどいませんでした。
そんな中,タブーとされるこの課題にせまったのがキュブラーロス(1969)です。キュブラーロスは死にゆく人が5つの段階を踏んで死を受け入れることを示唆しました。
第一段階 拒否とショック
自分は死なない,それは絶対嘘だと否定すると同時にショックを受ける。
第二段階 怒りといらただしさ
なぜ死ななければならないのかという憤慨が起こる。
第三段階 懇請
ある行動や犠牲的供物を捧げることで,死をなんとか延期してもらおうと懇請する。
第四段階 うつ状態と受容の始まり。
うつ状態は,臨死における最も一般的で長期にわたる反応であるが,死は避けられないものとして,ついには受容がはじまる。
第五段階 受容
死に対して肯定的な態度になり,死は人生の完了として思われるようになる。
死は恐ろしいものだと言い切るべきなのでしょうか。そこに答えはありません。千原(2006)は「死は長い旅の一つの休息とも考えられます。疾風怒濤のとき,順風満帆のときなど旅を終えて,やっとくる休息のとき。どんな旅だったかを回想しながら,休息につくのも一つかもしれません。」と述べています。
上記に書いた考察はあくまでも老衰や癌などの病気によって死に至った場合になります。
死別は周りの人にも多大な影響を与えます。特に影響が出ると言われているのが潜在的(無意識の)自尊感情に対する影響。死別を経験すると潜在的自尊心が低下します。さらにその経験が社会的痛みになり,続いてしまった場合,いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)とされます。しかし,死別を乗り越えた場合,潜在的自尊心は乗り越える前に比べて上がるとも言われています(堀内ら,2016)。
どんな結果になるにせよ,死別とは潜在的自尊心に影響を与えています。身近な人や知人が亡くなったあと,飄々としている人でも潜在的にはダメージを受けているのかもしれません。
コロナによって収入が途絶え国からの補助を受けることができなかった知人,そして人の心の闇に触れるにつれて自身が病んでしまった後輩。
二人が何を思い何を考え自死を選んだのか。いくら考えても答えはわかりません。
収入がないことは精神的な余裕を奪います。人と繋がれないことは孤独感を深めます。そして自死に到る。
自死に到る前に何かできることがあったのか,そんなことはわかりません。
ただ精神的な余裕を手に入れるために,人と繋がることを満たすために,配信という形で何らかのコンテンツを提供し続けることで誰かの,明日の配信も聞いてみようと思えるようになれたら
それほど嬉しいことはないでしょう。
引用文献
大場つぐみ原作,小畑健作画(2006) デスノート12巻
堀内隆裕,大江朋子(2016) 死別の体験と潜在的自己認知の関連 攻撃性IATと自尊感情IATを用いた検討
千原美重子(2006) 人間関係の発達臨床心理学 自己表現への旅立ち
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