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良い感じから始めてみる「ゆる禅」

とりあえず、うまくいっている

【こーさん(坐禅ナビゲイター)の言葉】 

良い感じのとき、人間はわざわざそこを見ない。あえて見ないと、今日は体良い感じだなぁと見ない。当たり前なので。だけど、感覚的に痛みがあるとあれ?となる。そういうのが起こらないと気にしない。ゆえに、内側を見なくても意識を外側に飛ばせる。内側はどうでもいいことにしておいて、外側に集中できる。当たり前っちゃ当たり前。よく考えると相当うまくいってるのに、そこをうまくいってないと考えるのはもったいない。

うまくいかないと思っちゃうのは、どうしても次に失敗しないためのリスク管理で、うまくいかなかったということを覚えておくみたいな。だけどそれが癖になると世界がうまくいってないように見える。十分に体はうまくいっているのに。そこ(良い感じのところ)は見ずに、ここはうまくいってないとすると、良い感じまで具合悪くなっていく。だから、とりあえずうまくいってると思いませんか?という同意から始めてみる。

(2021/7/16@みなと坐禅)

坐禅で自分の体を見るとき、心臓に意識を向けることがよくある。

心臓は休むことなくずっと動いている。
止まるときは、私の肉体が死ぬとき。

当たり前のことだけど、そういうのを考える。ご遺体に触れたことがある方ならわかると思うけど、ご遺体は、肉体に触れられても心臓は動いていない。寝ているように見えるのに、生きていない。

まだ生きている私は、お目にかかったことのない心臓に「全わたし」を委ねている。寝ても覚めても、疑いなく委ねている。

そうやって体を丁寧に見ていくと、この絶妙なバランスを保ち活動している体に感動する。しかも、体は持ち主からの感謝があってもなくても、休まず働いている。さらに自分の体を隅々まで把握しきれていない主に、存在を知られることなく、その主の生命を支え、生涯働き続けるものもいる…。

こういう構造は、まるで社会の縮図のよう。縮図を拡大していくと……宇宙にまでたどり着いてしまった。それ以上の拡大は知らないから、宇宙までなのだろうか。反対に拡大からどんどん縮小して、自分の体まで戻してみる。すると自分の体は、まるで宇宙の縮図のように思える。

宇宙は計り知れない。だから宇宙に対してうまくいっていないなんて発想は生まれない。うまくいっていない宇宙って何?となる。もし仮に宇宙の縮小が自分だとしたら、自分がうまくいっていないのもありえないことになる。

そんな風に捉えてみると、見える世界が面白くなってくる。

起こったことの原因は計り知れない

【こーさんの言葉】

(起こったことに対して)なんでこうなってんだろうと、だいたい思うわけですよ。それって、実は、たいていは、探せないんですよ。なぜかというと原因は無数にあるから。あらゆる関係性において成り立っているので、たかだかこのぐらい(自分が想像できる範囲)の能力で、そのあらゆる関係性を全部把握してこれが原因だとはならない。

(2021/7/16@みなと坐禅)

坐禅を続けていくうちに、身についた視点がある。
それは、あらゆる事象や現象は相互作用によって成り立つということ。

わたしたちは、意識してもしなくてもあらゆる対象と「超高速キャッチボール」をしたり、自然に「おしくらまんじゅう」をしたり、全ての存在は、あらゆる作用の上に成り立つ。

坐禅に来るひとで「良くない感じ」だったのが、坐禅後に「良い感じ」になるときがある。大抵のひとは「良い感じ」になる。だから「坐禅をすると良い感じになる」と多くのひとが思うようになった。

どうして坐禅をすると良い感じなるのか。
坐禅そのものに一体どのような効果があるのか。

それは、坐禅そのものを取り上げて解明することは到底できない。

なぜなら、それはそのひとが坐禅をしたからだけでなく「良い感じ」と思うひとが周りにいて影響を受けたからかもしれないし、周囲のひとからの作用だけでなく、場所による影響を受けたのかもしれないし、さらには「坐禅をすると良い感じになる」と事前に知っていて、自分がその作用を受けたのかもしれない。もっと言えば、長い長い歴史上、坐禅をしてきた過去のひとの「良い感じ」が作用しているのかもしれない...。

【こーさんの言葉】

起こってくることをいちいち、良いとか悪いとか思わなくても、案外うまくいく。すぐ忘れちゃうんだけど、体の状態は意外とうまくできている。空みたいによくできている。湿気が強くて温度があがると、それが上にあがって雲になって耐えきれなくて落ちてくる。体もそういう構造と同じ。

(2021/7/16@みなと坐禅)

最後に...

「坐禅をすると良い感じになる」という表現も突き詰めていくと曖昧で、人によって捉え方が変わるものだと思います。「良い感じ」が何かさえ、よくわからないときもあると思います。もし「良くない感じ」から抜けられないと思ったら、掴みどころのない精神状態や出来事に目を向けるより、掴んで感じられる身体の範囲で、自分なりの「良い感じ」を作ってあげるとよいと思います。

「足が動く、良し!」「眠れた、良し!」「息できてる、良し!」など、些細なことでも「良し!」を増やしていくと、「良い感じ」が膨らんでくるかも...しれません。

信じるか、信じないかは、あなた次第。

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