良い感じから始めてみる「ゆる禅」
とりあえず、うまくいっている
坐禅で自分の体を見るとき、心臓に意識を向けることがよくある。
心臓は休むことなくずっと動いている。
止まるときは、私の肉体が死ぬとき。
当たり前のことだけど、そういうのを考える。ご遺体に触れたことがある方ならわかると思うけど、ご遺体は、肉体に触れられても心臓は動いていない。寝ているように見えるのに、生きていない。
まだ生きている私は、お目にかかったことのない心臓に「全わたし」を委ねている。寝ても覚めても、疑いなく委ねている。
そうやって体を丁寧に見ていくと、この絶妙なバランスを保ち活動している体に感動する。しかも、体は持ち主からの感謝があってもなくても、休まず働いている。さらに自分の体を隅々まで把握しきれていない主に、存在を知られることなく、その主の生命を支え、生涯働き続けるものもいる…。
こういう構造は、まるで社会の縮図のよう。縮図を拡大していくと……宇宙にまでたどり着いてしまった。それ以上の拡大は知らないから、宇宙までなのだろうか。反対に拡大からどんどん縮小して、自分の体まで戻してみる。すると自分の体は、まるで宇宙の縮図のように思える。
宇宙は計り知れない。だから宇宙に対してうまくいっていないなんて発想は生まれない。うまくいっていない宇宙って何?となる。もし仮に宇宙の縮小が自分だとしたら、自分がうまくいっていないのもありえないことになる。
そんな風に捉えてみると、見える世界が面白くなってくる。
起こったことの原因は計り知れない
坐禅を続けていくうちに、身についた視点がある。
それは、あらゆる事象や現象は相互作用によって成り立つということ。
わたしたちは、意識してもしなくてもあらゆる対象と「超高速キャッチボール」をしたり、自然に「おしくらまんじゅう」をしたり、全ての存在は、あらゆる作用の上に成り立つ。
坐禅に来るひとで「良くない感じ」だったのが、坐禅後に「良い感じ」になるときがある。大抵のひとは「良い感じ」になる。だから「坐禅をすると良い感じになる」と多くのひとが思うようになった。
どうして坐禅をすると良い感じなるのか。
坐禅そのものに一体どのような効果があるのか。
それは、坐禅そのものを取り上げて解明することは到底できない。
なぜなら、それはそのひとが坐禅をしたからだけでなく「良い感じ」と思うひとが周りにいて影響を受けたからかもしれないし、周囲のひとからの作用だけでなく、場所による影響を受けたのかもしれないし、さらには「坐禅をすると良い感じになる」と事前に知っていて、自分がその作用を受けたのかもしれない。もっと言えば、長い長い歴史上、坐禅をしてきた過去のひとの「良い感じ」が作用しているのかもしれない...。
最後に...
「坐禅をすると良い感じになる」という表現も突き詰めていくと曖昧で、人によって捉え方が変わるものだと思います。「良い感じ」が何かさえ、よくわからないときもあると思います。もし「良くない感じ」から抜けられないと思ったら、掴みどころのない精神状態や出来事に目を向けるより、掴んで感じられる身体の範囲で、自分なりの「良い感じ」を作ってあげるとよいと思います。
「足が動く、良し!」「眠れた、良し!」「息できてる、良し!」など、些細なことでも「良し!」を増やしていくと、「良い感じ」が膨らんでくるかも...しれません。
信じるか、信じないかは、あなた次第。