養魚秘録『海を拓く安戸池』(30)~魚族放流~
野網 和三郎 著
(30)~魚族放流~
沿岸漁民の漁獲の対照となり、かつまた養魚事業の種苗ともなり、漁民教育の上からも国営にするよる高度化と、実際的な有用魚族専門の研究機関を設置し、それら魚族の飼育、採卵、孵化、放流事業に至るまで過去における水試などとは異なり、より強度な一貫したものをつくらなければ、沿岸魚族資源は枯渇し、漁村は自滅してしまうだろう!そして将来増殖を推進して、これを国策として取り上げてゆく場合においてもその種苗となるべき稚魚の確保に結びつける必要性からも、海は農業の田畑のように畔によって区画、自分の持分が区別されておらず、漁業権の上に漁業権が重なり、守り育てるという農の本質とは違い、我先にとらねばという意識が強く、そうした漁業の実態が示しているように、漁民は網にかかった有用魚族の雑魚なども絶対に海に帰してやらないという風習が、ごく当然のことのようになっているが、これは二、三年もすれば親魚になる。金にも食料にもならない。これを踏み潰したり、腐らせたりしてはもったいない。海に放してやろう!という漁民教育の点からも、一日も早くこれらの機関によって放流実績を上げることによって漁民は自らも国でさえ、吾々の漁獲の対象になってくれる魚をつくって、われわれの海に放流していてくれているのだ、ということにもなれば、いかに無知な漁民といえども、ああそうか、吾々もお互いのためだ、協力しなければというようになり、本書の初めにも示したように、「稚魚を愛せよ、大漁が続く浜に黄金の花が咲く」といった、能代校長の標語の意識が漁民間に台頭し、彼等自らの手によっても、稚魚を育て漁村建て直しの精神が高揚されてくることは必至であると、水産庁小関技官、黒田技官にも、上京の度毎に迫っていたのである。そしてその手始めとしては、養魚事業に永い経験をもっている安戸池を提供しても、最も遅れている増殖事業推進のためならば、決していとわない、と約束したが、両技官もこの説には耳を傾けていたが、遂にこれを実行に移すべく、その構想に取り組んだのであった。そしてしばしの期間を要し、取りあえずの青写真が出来上ったのが、昭和二十九年終り頃で、これを法律案とするためには、内海区水産研究所の同意ならびに、協力を得なければ実現が難かしいということで、香川県からは三枝技官を再三にわたり広島の研究所に赴かせて、その状況の説明を致させたのである。