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「お金」は秘密を交わし合う恋文のように(#お金について考える)
「お金」というものについて考えるとき、
何かを手に入れたり、叶えたりするために必要なもの、
誰かを笑顔にするためのもの、
この広い世界を巡り社会を回していくもの、
はたまた、
時には誰かを滅ぼしてしまうもの等、
様々なイメージが湧いてくる。
世の中でこれだけ様々なイメージや顔を持つものも、珍しいのではないだろうか。
私にとっての「お金」とは、何だろう。
色々な場面を想像していると、ふと、祖母の顔が思い浮かんだ。
私と祖母は、お金を通して秘密を交わし合っている。
最初に断っておくと、決して悪いことをしているわけではない。
私と祖母の間では、お金は「秘密の恋文」なのだ。
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普段は中々会うことのできない祖母に、年に数回会いに行くと、
急須で淹れた緑茶とともに、購入しておいてくれた菓子やアイスを出してくれる。
祖母は裁縫が得意で、ある日には「目が見えなくて下手なんだけどねぇ」と言って、
童話のキャラクターが描かれた生地で作った手提げバッグやポーチを見せて、プレゼントしてくれた。
白雪姫やシンデレラの物語が散りばめられたキュートな絵柄の生地は、
私の年齢からしたら子どもっぽい柄だと他の人には思われるかもしれないけれど、
祖母手づくりということだけで特別なものだった。
持ってきたトートバッグにしっかりしまうと、笑顔で「ありがとう」と伝える。
祖母は「全然大したものじゃないんだけどねぇ」といって謙遜するけれど、少し照れながら喜んでいるようにも見えた。
二時間ほど祖母の家に滞在し、夕刻にさしかかると、
「そろそろ帰ろうかな」と私が言う。
すると、祖母はテーブルの上のレターケースの中から封筒を取り出して、それを私に差し出した。
「少ないけど、もらってちょうだい」
「え、何? 遊びに来ただけだし、いいよ」
「いいから。これで何か好きなものを買って。また来てちょうだいね」
祖母に封筒を握らされると、素直に気持ちを受け取った。
遊びに行くと、帰り際にこうしたやりとりをするのが、私たちのルーティンだ。
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祖母の封筒は、茶封筒であったり、銀行のATMに置いてある色のついた封筒だったりする。
表には「はる様」(※現実では本名)、裏には「○○(場所名)のおばあちゃんより」と記入されており、
綴じ口には「つぼみ」と書き込まれ、小さなリボン型のシールで封がされていた。
封筒の中身は、「お金」だ。
毎回中身は違うが、500円ほどのクオカードや図書券であったり、ハードカバーの小説が買える位の現金であったりした。
必ず手紙も同封されていて、
「みな様の上にも幸せがあります様に祈ります」、「少しばかり同封します。ノートでも買って下さい」など、短いメッセージが便箋や一筆箋に記されている。
私はこうした手紙や封筒に書き込まれている祖母の字が好きで、毎回の楽しみだった。
最近はよく、手紙の最後の方に「乱筆でごめんなさい」と書いてあるけれど、
よくあるPCフォントのように見やすい文字でなくとも、流れるように文字が連なる様は上品だと感じるし、複雑な漢字は簡略化されていて、棒線や丸が組み合わさったような形がとても可愛らしい。
「あ」・「ち」・「や」の文字はバランスが良く、小さな「や」や「よ」のない、すべて大文字で書かれてた文章も好みだった。
綴じ口に小さく書かれた「つぼみ」という言葉も、なんて愛らしいのだろうと思う。
けれど、時々、祈りや気遣いが綴られた手紙の言葉とは裏腹に、
封筒に入れられた「お金」からは、ほんの少し懺悔の気持ちを感じることがある。
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寂しい気持ちを抱えていた幼少時代、唯一抱きしめて「大好きだよ」と伝えてくれたのが、祖母だった。
私にとっては、もうそれだけで十分なのだけれど、
ありがたいことに、私がいくつになっても「何かしてあげたい」、「何か役に立ちたい」と祖母は思ってくれている。
五感の中でも、特に耳が聴こえにくい祖母にとって、「視覚」で気持ちを伝えることのできる手紙や「お金」というものは、特別なコミュニケーション手段だ。
高齢で簡単に買い物にも出かけられないので、「お金」というものが一番身近で、たまにやって来る孫には渡しやすいのだろう。
けれど、祖母からもらった封筒を開け、毎回違う種類の「お金」を見ていると、時々こんなことを想像する。
本当は、このお金で一緒にお昼を食べに出かけたかったのではないか。
本当は、一緒に駅まで行って本を選んだり、
バスに乗ることは難しくても、近くのコンビニで一緒にデザートを選んだりして、普通の日常を一緒に楽しみたかったのではないか、と。
これは私の勝手な妄想だけれど、
手紙に書くことのできない気持ちを、相手に負担になり過ぎない「お金」に託して送ることで、「一緒に何かができる夢」を見ているのかもしれない。
そんな風に思う。
もしかしたら、祖母には「してあげたかったけれど、してあげられなかったこと」に対する後悔と申し訳なさがあって、
私に「お金」を託すことでそれを少しでも実現したいと心のどこかで願っているのではないだろうか。
少なくとも、祖母と私の間では、「手紙や言葉で素直に表せない、または、話すことのできない気持ち」が「お金」に込められているような気がしている。
「本当は愛しているよ」
「本当は申し訳なく思っているよ」
「本当は寂しいよ」
「また会いたいよ」
まるで恋文のような気持ちの渦が、「お金」を通して私には感じられるのだ。
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もうすぐ、クリスマス。
今年も、プレゼントを持って祖母に会いにいこうと考えている。
「私も愛しているよ」
「申し訳なくなんて思わなくていいんだよ」
「私も寂しいよ」
「また会いに来るよ」
私自身の「お金」をプレゼントに、目には見えない恋文に変えて、
普段の言葉で伝えきれない思いを届けたいと心から思う。
いつも祖母は「何も持ってこなくていいよ」と言ってくれるけれど、それでも私は「おばあちゃん、大好きだよ」と贈り物に込めて伝えたい。
*
実は、今まで祖母からもらったお金やクオカードは、封筒に入れたまま使わずに手紙と一緒にしまっている。
これと言った理由もなくしまい続けてしまったのは、
「お金」は現金や現物を手放してしまえば、民法上の所有権はなくなってしまうから、何かの数字になった途端に「祖母からもらったものではなくなってしまう」と、そんなことを無意識で考えていたのだろうか。
それとも、ここぞという時に初めて使い、祖母に背中を押された気持ちで何かを頑張りたいなんて、そんな風に思っていたのだろうか。
その理由は今でもよくは分からないけれど、
今やっと、祖母から受け取った「お金」についての使い道が決まりそうだ。
一緒に外出することが中々叶わなくても、祖母と一緒にできることはまだまだあるはず。
たとえば、祖母の好きな故郷のお菓子を手土産にして、一緒に美味しさを共有してみたり、
お揃いのタオルや靴下を買って、サプライズしてみるのも良いかもしれない。
今は、祖母から託された「お金」を使って「一緒に何かを楽しみたい」。
そう考えている。
──私と祖母の間では、「お金」はひっそりと秘密を交わし合う恋文のようなものだ。
これからも、きっと、続けられる限り。
言葉にならない思いを乗せて、気持ちを送り合おう。
🌟ヘッダーイラストは、「みんなのフォトギャラリー」よりShizuku Compass:雫とコンパス様の素敵な作品をお借りしました。
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