連載SF小説『少年トマと氷の惑星』Ⅷ.夜更け
Ⅷ.夜更け
トマが泣き疲れて深い眠りについた頃、ティエラとカイムは食卓につき、向かあって座っている。
ふたりは、声を潜めてゆっくりと話し始めた。
「ティエラ、お前さんは、あとどれくらい生きられそうなんだ。あいつに会って、『鍵』を外してもらったんだろう?」
カイムにそう言われ、ティエラは口に含もうとしたホットミルクの入ったカップをテーブルに置く。
「カイムは、何でも知っているのね。私が年を止めたのは、二十歳の時。ここに来る前は、何百年も生きているのがもう我慢できなくなって、宇宙の果ての誰もいない惑星で最期を迎えるつもりだった。けれど、不思議なことに、どんなに身体を傷付けても、翌日には元通りになってしまうの。その現実を受け入れられず途方にくれていた時に、シュウが現れた。シュウは、私が彼の願いを聞くのと交換に、私の願いを聞いてくれると言った。私が了承すると、私の身体の時間はその日から動き始めたの。年老いていくのかと思っていたら、まさかの若返り。若返る速度はまちまちだけれど、今は三十年で二、三歳といった感じかしら」
「そうか……」
ティエラの話を聞いたカイムは、何かを深く考えているようだった。
「私、ここへ来て分かったことがある。きっと、私たち人が『不老不死』を得て、無敵になったと思っていたのは、どこまでも進んで行けると思っていたのは、ただの幻想なの。この小屋みたいに、私たちの身体も同じ一日を永遠に繰り返しているだけ。私たちは進化したわけでもなく、ただいつも同じことを考えて、同じことを繰り返しているだけなの。この惑星を捨てて宇宙へ飛び出しても、結局やっていることはこの惑星にいる時と何も変わらない。生命が理不尽に奪われることがない代わりに、永遠に自分たちの醜さに支配されて生きていかなければならないの」
「まあ、悪魔だって誰もかれも節操がないってことはないんだから、人が生命を失うことがなくなったら、それはどっちが悪魔なんだか分からないって話だな」
「ねえ、カイム。あなたはやっぱり悪魔なの? シュウが言っていたわ。ここに来れば、寿命を迎える前に、もしかしたら魂を連れて行ってくれるかもしれないって」
「さあ。俺のことは好きなように呼んでくれ。俺はただ、辺鄙な惑星にひとり残っていた珍しい男の魂を迎えに来ただけさ。まさか、二百年のお預けを食らった上、赤ん坊の世話を任されて逃すなんて、思ってもみなかったが」
「え? でも、私が会ったシュウは、青年のままだったわ。彼も、もちろん『不老不死』を得ていたのでしょう? あなたが魂を迎えに来る必要なんてあったの?」
「ああ、あいつの『見た目は』変わらなかったな。だが、トマが生まれた頃には、あいつは時々、自分が誰かも忘れるようになっていた。どういった理由かは分からないが、俺が来た三百年前にはあいつもその気配に気づいてて、いつかは自分で『鍵』を外して寿命を迎えるつもりだったのさ。結局、トマの前でその姿を見せることはできなかったみたいだが」
「そんな……。じゃあ、私をここに向かわせた後、シュウは……」
「まあ、あいつが自分で『鍵』を外すってのは、勝手な憶測だがな。本当のあいつの考えは、あいつにしか分からんよ」
ミルクのカップを持ったまま、手をわずかに震わせているティエラを見て、カイムはそう付け加えた。
「……今日はなぜ、こんなに話をしてくれるの? 今まで、シュウのことをあまり話したがらなかったのに。話してくれることは嬉しいけど、少し気味が悪いわ」
ティエラは、いつもより饒舌なカイムを少し不審がって、彼の目を覗き込む。
「ティエラ、俺は今夜、故郷へ帰ることにした」
「え?」
「三百年の間、我が家を空けていたが、帰る用事ができた」
ティエラは、カイムの真っ黒で円らな瞳の奥に、怪しく揺らめく鈍い光を見た気がした。
(つづく)
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