【歌舞伎鳩】妹背山婦女庭訓 第一部(初代国立劇場さよなら特別公演 9月歌舞伎公演)
令和5年9月歌舞伎公演『妹背山婦女庭訓』<第一部>
2023年9月2日(土)~26日(火)
国立劇場
第二部の感想はこちら↓
あらすじ
ざっくりとしたあらすじ:
序幕 春日野小松原の場
うっかり互いに一目惚れをした大判事清澄の息子・久我之助と太宰少弐の娘・雛鳥。
腰元たちが仲を取りもち恋人となるも、実は二人は領地争いをしている家柄同士であることを知る。
二幕目 太宰館花渡しの場
帝に成り代わった蘇我入鹿が太宰家に来て、少弐の後室(未亡人)定高には雛鳥を自らに差し出すようにと、そこに呼びつけた大判事清澄には、久我之助を自らに出仕させるようにと命じる。
命を守らぬ場合はこうだぞ、ということで満開の桜の枝の花を落として脅す。
三幕目 吉野川の場
吉野川を挟んで、背山には大判事の別邸、妹山には太宰の別邸が構えられている。
帝の寵姫・采女の局をみすみす死なせた罪の謹慎を行っている久我之助と、恋煩いに養生している雛鳥は共におのおのの別邸へ。
川を挟んでの逢瀬も束の間、大判事・定高がともに帰ってきて……。
きちんとしたあらすじはこちら。
太宰後室定高:中村 時蔵
蘇我入鹿:坂東 亀蔵
久我之助清舟:中村 萬太郎
腰元小菊:市村 橘太郎
采女の局:坂東 新悟
太宰息女雛鳥:中村 梅枝
大判事清澄:尾上 松緑
感想
序幕 春日野小松原の場
爆速で恋に落ちるな〜……(一目惚れとはそういうもの)。
ともかく、腰元たちが吹き矢を囁き筒にしてみたり、また現れた恋敵(位が高い)に吹き矢を吹いてみたり、結構強気なのがすごいと思いました。いい働きをする。
ちょっと前にロミオとジュリエットを見ていたのですが、この二人はどうも速攻で一晩を共にしてしまうけれども、久我之助と雛鳥はここでお話をしただけ……(おそらく)。なんとささやか、と思ってしまいました。
またロミオは結構喧嘩っ早かったりするけれども、久我之助はかなり理性的。好青年で好印象ですね。
※ロミオとジュリエットにも例えられてきたお話なのだそうで、引き合いに出しました。
二幕目 太宰館花渡しの場
出た悪役蘇我入鹿。
対立している家同士が実は結託していて、己を騙し討ちしようとしているのでは、などと訝るのは、自らに疾しいことがあるからじゃないんですか? やめよう、帝の乗っ取り。それですべてが丸く収まる。
定高が腰に大小を差しているんだけど、あれは普通に帯に差しているのかな。気になる。
三幕目 吉野川の場
一幕目(30分くらい)→休憩→二幕目(30分くらい)→休憩→三幕目(2時間!)みたいな、なんかすごいスケジュールだなと思っていたら、ほんとうにその通りの話のボリュウムでした。だから乗っとりやめようって言ったじゃん。
定高は娘に手をかけ、久我之助は忠義を重んじて切腹、大判事が介錯する。互いに互いの家と、その子供たちを想って。
嘆きで幕が閉じる演目なんて初めて見ました。せめてもと首を嫁入りさせるったってそんなのもうどうしようもないじゃん!!!!
また、父が子の切腹を悲しむ、ということが表現されているのが少し意外でした。切腹というと名誉というか、そういうものであるため悲しんではいけないという考えがあるのだと思っていたため、ストレートに息子の死を悲しむ大判事の姿に、久我之助の死はそれほどに理不尽というか、やりきれないものなのだということが理解せられた。
話の展開がどうしてもつらすぎるので、舞台装置の話をします。
ヘッダーの画像が、吉野川の場の大道具(の下絵?)なのですが、舞台中央に吉野川を貫いて、両端に妹山と背山の邸宅を作っている。舞台の中央で役者が演技をしないって、なかなか珍しいですね。そしてこの構成がものすごく物語の展開に引き込ませる。
この邸宅に合わせて両花道を作ってあるわけですが、よく考えると一等席の真ん中のみな様方は川底から観劇していることになるな……。また三階席から見ていると、両花道で交互に台詞を言うたび、中のお客様がたが姿勢を変えて、まるでテニスのラリーを見ているかのようになっているのが少し面白かったです。役者が場を支配している。
歌舞伎は水の音や風の音を太鼓で表現するのだな、というのがここ最近の学びなのですが、今まではいまいちピンと来ていなかった。
けれどもこの吉野川の川の音は、まさに水の音をしていて、ようやく納得しました。たくさんの水がどうどうと流れて岩などにぶつかって響く、あの音の感じ、あれが太鼓で表現できるんですね。
まとめ
お話し合いして今すぐにそこで!!!!!!!!!! いがみあっている場合ではない!!!!! 全員で膝突き合わせろ!!!!!
歌舞伎はお話の内容を予習してから見るようにしているので、誤解を恐れずに言うと碌な話じゃない……と思いながら見に行ったのですが、碌な話じゃない……。もう序幕が終わって休憩に入った時点で見るのやめようかと思った。めげる。つらすぎる。ひどい。
現代の感覚で考えれば、もう二人して落ち延びればいいじゃんなんて思うわけですが、時代感を合わせて考えればもちろんそんな選択肢はないわけですよね。分かってはいるんですがやはりつらい。吉野川の場の舞台装置がまた美しいのが胸に来ますね。
しかしこれが婦女の庭訓だと言われても、お話の内容としては確かに胸を打ち美しいけれども、勝手なこと言うな〜〜〜!!!と喚きたくなります。鳩は令和に生きていますからね。でも昔の人だって、心の底ではそう思ってた人もいると思うけどな〜〜〜〜〜。
ともかく来月にこの第二部があるわけで、そこもまた横恋慕の悲劇だと小耳に挟んでいるのですが、もう今から心配で……ちょっと……なんでそういう話ばっかり……見ますけども…………。。。
つづく
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