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【文学フリマ東京37/N-11】おしながき(2023/11/11/sat)



<波間文庫:N-11>です

湊乃はと・星結莉緒います
スペース:第一展示場 N-11(入って右の方!)
開催日時:2023 / 11 / 11 / sat. 12:00〜17:00


新刊

主演

表題作「主演」収録。
初刷 2023/11/11 / 文庫判(A6) / 本文88ページ / ¥800

あらすじ
己を人生の主演ではないと信じる男が、不満のない生活から見る主演の世界。

凌雲閣を見ながら、男はその友人のことを考える。
変化していく生活の中で、兄のことを考える。
人生の転機を目の前にして、娘のことを考える。
男の周りにはいつでも、その人生の、その世界の、「主演」となりうるような人間たちがいた。
男は己の生活に不満はない。
恵まれた生活の中に感じる不足感は、己が主演たり得ない男であるからか?
関東大震災後、凌雲閣の爆破解体から始まる、主役ではない男の生活について。
男はただぼんやりと、主役と呼ばれるものになりたい。


冒頭
どこもかしこも瓦礫の山になった土地で、十二階を爆破させてさらに瓦礫の山を増やすという噂を聞いたので、どうせなすべきこともないと相澤はのこのこ浅草へ出かけていった。何事を考えることなく十二階を目指して歩いていると、噂を聞きつけた似たような野次馬が十二階の麓に集っており、それを制止するものと押し合いへし合いする人だかりとが混在している。その人熱は、この頃の東京中の人間の大混乱を思い起こさせ、それが相澤には甚だ嫌であった。
 あの大破壊からひと月近く経ち、その間に否応なく相澤はその変わり果てた東京市の街並みを見た。そこに住んでいた人間たちを見た。その生活を見た。まだ火の烟るような焼け跡での炊き出しから、夥しい数の行方不明者の張り紙やら呼びかけから、現在では商業の回復をも見ている。相澤も家業の問屋をそろそろどうしようかという段階であったが、それを考えるだけの気分の晴れ間も持てない。十二階の破壊を見物しに来たのは、その鬱屈した気分への気晴らしであった。あの大破壊のあとで、相澤にはこれ以上の娯楽も、不幸もないものだと思われてならなかったのである。
 それだから、どうせなら一等地で見物してやろうという魂胆がないわけでもなかったが、数多の人の頭を後ろから見ていると、それよりもただ、不快さが勝った。しばらくは込み上げる不快感に耐えていたものの、一向に始まらない爆破に辛抱しきれず、人混みを押し分けて相澤は黒山から離れる。
 何時にそれが破壊されるかを知る由もなかったから(相澤には人にそれを尋ねる気分も、また雑踏の中からその会話を拾い上げる気力もなかった)、十二階を瞳に固定しながら、少しずつ距離をとって行く。無惨に傾き、尖端が頽れたからといって、ここまで更地になってしまえばどこからでもあの高い塔を眺ることは容易だった。しばらく歩いたところで、このひと月雨風に晒されていたであろう瓦礫の山に腰掛ける。道ゆく人々は皆、どこかの瓦礫の片付けの埃を身に纏っていて、塵を拭いきれずにぼやけているようだと相澤には思えてならない。手が煙草の所在を探り、その不足の確認を、相澤はこのひと月でもう幾度も行っていた。




既刊

廻り路

表題作「廻り路」、短編「焚き火」収録。
初刷 2018/4/26 第二刷 2023/5/21
文庫判(A6) / 本文124ページ / ¥800

あらすじ
「廻り路」
──すべらかな美しい紙にしたゝめられた、たゞ一通の恋文からはじまる二人の奇譚。

お手紙様と呼ばれるその社の境内には手紙の生る木が立っている。
その銀杏の枝に恋文を結びさえすれば、ひとりでに縁も結ばれるという噂だから、町中の誰もが秘めた心を打ち明けて宛のない独りよがりな文を書く。
今日もそこに手紙を生らせるものが一人。
また、その手紙をぬすみ見るものが一人。
明治から大正へ移りゆく東京を舞台に、知っているのに知らない二人が、ただ互いを恋う。
もどかしく愛おしい、いつか交差する恋愛小説。

短編「焚き火」
──今かもしれない。今であれば、多少火遊びをしたところで何の害にもならないだろう。
人よりも寄り道をしない人生を歩んできた。
火付けに押入り、殺人……妄想をするだけならばなんだってできる。


冒頭(廻り路)
その神社の境内には、手紙の生る木があるというので有名であった。山中に打ち捨てられたように獣道の参道を歩いて行った先にある社は、思いがけず手入れが施されていて、いつでも朱塗りの美しい鳥居が待ち構えている。こぢんまりとした社の周りはすぐに森で、それに紛れて一本だけ立っている御神木、育ちきっていない貧弱な銀杏の木がそれだ。その木は葉をつけることも実をつけることも地味で、よく見なければそれが銀杏の木であることにも気がつかないであろう。
 それは一見するとくすんで白くこんもりとしている。重そうに見えるものは夥しい数の結び文で、枝に隙間なく結ばれているのでまるで葉や実のように見えた。それらはいつのまにか生り、そしていつのまにか消えていく。生るところも、朽ちるところも誰も見たことがなかったが、しかし町人たちによって結わえ付けられていることだけは周知の事実だ。皆がその木に手紙を結ぶのは、そうすることで願いが聞き届けられるという古い言い伝えがあるからで、それが事実だと裏付けるような量の供物が、平日にも社にたくさん並んでいる。その由緒がどこにあるのかもはや誰もが知らないのに、神社自体は忘れ去られるはずもないほどに町人たちに慕われていた。
 いつからかそこはお手紙様と呼ばれている。あの木に手紙を結ぶには、誰にも見られてはならないという言説があったけれど、実際に参ったものたちは、どのような時間に参ろうともまるで自分以外はその参道を見失ってしまったのかと思えるほどに、誰にも会うことがない、と囁きあう。今まで神主一人として誰にも見かけられることがない。それであるから、誰もがその獣道を一人で訪れては、文を結わえ付けて、そしてただ一人帰っていった。




そのほかお品書きはこちら!

第一展示場 N-11 にてお待ちしております!


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