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平成小品集(1/3)
2019年5月発行の「平成小品集」。
書籍は完売、再販の予定もないため、内容を抜粋して公開します。
小説とも随想ともとれぬ、ショートショートの数々です。
この回は比較的新しいものが収録されています。
他の小品もよろしければどうぞ。
平成時代の終わりに
「新しい、元号は、令和であります」
と、菅官房長官が会見を開いた時は恐らく、電車内で、上司と新人に挟まれ、他愛もない話題を提供していた。月に一度本社まで赴かなければならない会議の──それは私が出るべく最後のもの、の帰りである。平成三十一年四月一日月曜日はよく晴れた春めいた日ではあったが、まだ沿道の桜は咲いておらず、春の一足手前の日であった。
珍しく、昼食を社員皆でどう、と上司が云う。断る理由もなければ新人の手前、職場最寄駅付近の食事処を探す。しかし私は専らその辺りで外食をすることもなければ、食事という行為に特別感を見出したことのない人間であるために、良い場所の見当もつかない。仕様もないのでおもむろに歩いた先にある蕎麦屋に入れば、そこは以前母と共に入ったことのある店であった。その時は、あんかけ蕎麦というものを、初めて食べたのだ。
昼も少し回れば、狭い店内でも中世帯の私たちを座らせる隙がある。これ幸いと入り込み腰を落ち着ける。先に居る人間たちは皆、連れと何やかやと話しながらも、同じ斜め上空を見ていた。──テレビだ。視線の先は、近頃の常である手元の画面でなく、中型の液晶であった。安倍総理が和歌の解説をしている。そこで私は初めて、次の世の名を知った。
令和。響の綺麗な音だというのが初めの印象で、私はすぐに気に入った。昭和に似た、とも思ったが、まあ使い始めると慣れるものなのだろう。令和の書を掲げる場面は、平成のそれとほぼ同じく、解像度の荒い映像の記憶から、ハイビジョンの鮮やかな映像へと塗り変わる。奇妙な虚構感を有している。
私は世が変わるということを、経験したことがない。今上崩御のための自粛というものも知らない。そこに心血を注ぐほどの興味があるかと問われると嘘であるけれど、普段より通り過ぎた世を、明治・大正の時代やその風俗を、追いかけ回して創作を嗜む身としては、御代が変わるということは、大変に興味深い。私はいつも思うのだ、百年後に生まれていればきっと平成の時代にも浪漫を見出していたに違いないと。令和元年五月一日を迎えたとしても、何一つ今日と変わらぬ日が訪れるだろうけれど、それでも、私の生まれた世が過ぎ去り、ひとつの過去となることが決定づけられる、ということこそが、見知り過ぎた世へと浪漫を付加する。
山菜の天ぷらの乗った、蕎麦を食べながらあたりを見れば、皆が話題と視線を共有していて、まるで幼い頃に家族で外食をしたその時の、当たり前の風景であった。
平成三十一年四月九日
平成小品
おかねについて
おかねがない、ということは、かなしいことです、おかねという価値を定められたものを持っていないと、私たちは生きていかれません。それだけではなく、おかねがないと、私たちはなにもできない。只生きるだけの、それだけの人間になってしまうということは、苦しいことです。
お金がないとなにもできない。ほしいものは手に入らず、見たいものも見れず、今住むところよりほかに、遠出することもかないません。おかねがない、ということはかなしいことです。
世の中はお金が全てだ、とある時私は口にしたことがあります。私は実際その時、その日暮らしをしていたのです。しかしそれが音となって読解できる言葉として耳に届いた途端に、冗談でもそのようなことは言うべきではないと、胃の底がずんと重たくなりました。実際、そのように思わざるを得ない生活をしていたのですが。お金の欠乏は、人をまた賤しくもします。
しかしながら私は、恐らく一般でいう貧乏の類ではなかった。真面目な両親の元に生まれ、良い大学を出て、ましてや未だ東京などという土地にしがみつきながら、良い部屋を借りています。私は生まれながらにして贅沢に、出来上がっているのです。そうしてそのことに、この歳になるまで気がつけなかった。両親が丁寧に梱包材にまでくるめたその木箱の中にしか、私は生きてこなかったのです。そうしてその箱の老朽化と共に自然と外に出て見たものの、自らの背丈を世間並みにすることができなかったのです。だから私は未だに贅沢でいます。身の程を知らず、自らの身の程となると判断したものには見境もなくお金を使っている。そしてその使えるだけのお金が尽きた今、このようなめめしい文章を書き綴っているのです。
おかねがない、ということは苦しいことです。実際、贅沢に出来上がっている人間が贅沢に使えるだけのお金を失ってしまったら、その人にとっては貧乏なのでしょう。お金を好きに使えないということは、個人の精神の余裕を欠きます。お金がないのならば、稼がねばなりません。しかしながらそう簡単にたくさんのお金を稼ぐことは困難です。たくさん働いたからといって、明日より急激にもらえるものが増えるということはありません。そのように毎日働けども思うようにはお金を得られない生活を、私たちはいつまで続けるのでしょう。頑張り次第で、徐々に状況は良くなると、人は言います。しかしそれは未来の解決であって、決して現在の解決とはならないのです。私たちはその苦しい現在に生きています。現在を生きるよりほかにない私は、一体どうしたらよいのでしょう。
指をくわえて世界を見つめ、かなしい、かなしいと呪詛を垂れることは心をすり減らします。おかねがない、ということは、かなしいことです。
平成二十八年四月二十七日
魚
ピラルクーが泳いでいた。そこはもうもうと温泉の湧き出ている池の端で、ピラルクーは温泉に泳いでいた。ピラルクーの倍程ある幅の水槽の上は、アーケードの天井のようになっている。どこか仄暗く、そして鼠に青い。
ピラルクーの他にも名前も知らないような熱帯の淡水魚が至る所に泳いでいる。極め付けはピラニアで、その姿を私は初めて目にした。魚らしい三角形だ。ピラニアの水槽には、ピラルクーのそれと違って沢山の同士が泳いでいる。ピラルクーはひとりきりである。
アーケードはピラルクーから始まって、二、三の知らない魚が人々を凝視し、突き当たりのピラニアの水槽は三方がコンクリートの壁だった。入口のある一方以外は、コの字型に水槽が並んでいる。ピラニアはその一番右だ。
仄暗いコンクリートの箱に無数の知らない魚がこちらを見ている。あるものは泳ぎ、あるものは眠る。温泉の中。人間は私ひとりきり。いつしかコンクリートの入口は壁となって、私は三遍を魚に囲まれる。あゝ四面楚歌。コンクリートは冷たいはずなのに、その内側はもわりとして私の肺を襲う。まばたくことのない無数の目がこちらを見てる。
瞬間私は檻の中にいる。ピラニアが私を観察する。魚に囲まれる。川底に沈む。数歩後ろに下がると、そこには格子も硝子も壁もない。一目散に私は走る。無数の目が私を追いかけて、ピラルクーと目が合う。ピラルクーの乾涸びた鱗がぼとりと宙空から落ちる。魚の回廊を抜けると、すぐ左手には温泉が湧き出していて、私はすぐさまその白い湯気に全身を充てられた。
平成二十八年六月十六日
ソーダ水
自宅がぺこりとおじぎをすると、私は果たして電車に揺られていた。がたんごとんと揺れるはいいが、車内は人が詰まっている。ぎうぎう。どうしても降りたいのだと後ろの蛙が耳元で潰れた声を出すので、電車が止まるや否や私は仕方がなく途中駅で降りた。扉が開くと電車の中からは人や牛や羊なんかがわんさか出てくる。それはもうわんさか、わんさか出てくるので、いくら引っ張り出してもきりがない。ホームにいた帽子の車掌が数人がかりで、電車の中身にぐいぐいと紙テープを巻きつけた。せーので引きますよ。せーの。まるで大きい蕪を引っこ抜くかのように、紙テープには車掌が生っている。桃色の紙テープが電車の中身をいくらも釣った。それで電車がからになるのかと思いきや、それとは比べ物にならないほど多くの栗鼠や狐やたんぽぽなんかが、出てくる中身の足元からわんわんと入っていく。まるで容赦がない。私も同じく再び入ってしまおうかと思ったけれど、そこまで小さい身なりに出来上がってもいなかったので、中身が出きってしまうまでホームでぼんやりとそれを眺めていた。とすると、発車のベルが鳴る。ドアが閉まります。お荷物お身体をお引きください。ドアが閉まります。──危ないですよ。飛び乗らないでください。挟まりますよ。ねえ、ちょッと。お客さんッたら。──。中身が出きらないうちに扉が閉まりかける。列をなしてドアの外で待っていた私やハムスターや煙草の煙はどうしようもないので、ただそれを眺めている。
「電車を逃してしまいましたね」
「そうですな」
「まア急ぐこともないでせう」
「……ああほら。今度は川が流れてゆきますよ」
「まったくみんなこれを逃したくないんだからこんなにも満員になってしまうんだ」
「溺れやしないのかね」
「なんだ、君は、あれに乗ったことがないのか」
「君は水のものではないようだものな」
初老の星と貝殻が私を挟んで口を利くのでついうッかりと口を出す。そうこうしているうちに得てして閉まりかけたドアから出ている紙テープを伝って、電車に川が流れ込んでいる。ごうごう。しかし彼らも慣れたもので、目をつむっているものもあれば、そのまま寝ているものもあれば、本を読んでいるものもある。金魚と目があった。何処から持ち出したか知らないが、液晶の画面にイヤホンを繋いでゲームをしているらしい。鰭が器用にひらひらしていた。
扉が閉まると川は全て車体の中に乗り込んでいて、車内はきっと私が乗っていた時よりも満員になっている。あれで、川は乗客だったらしい。泡がぶくぶくと天井に向かっていく様は、夏の日のグラスに入ったソーダ水だ。緑色の色がついて、さっきの金魚が赤い。この電車を逃すと約束に遅れてしまうのだったけれど、しかし蛙を降ろす為だけにでも降りておいてよかったのかもしれない。私はあれに乗ったら窒息してしまうのに違いないのだから。
「あれはいつも電車に乗りますか」
「いつも同じ電車に乗って、帰って来ますね」
帽子の車掌が汗を拭きふき私を見遣る。
「お客さんは降りてしまうのが正解だ。べつにあれも苦しくはないがね」
ホームを電車が駆け出すと、ドアに挟まったまま車掌が手を離した紙テープがぴろぴろと舞っている。駆け出した電車はその連れていく紙テープの先から燃え出して、いつのまにか赤札のかかった蒸気機関になっていた。ぽーっと汽笛が腑抜けた声を出す。黒い艶のある車体が厳かに去っていくのを見送った。次の電車も蒸気機関だったらいい。乗ってみたいというただそれだけ。しかしどうしたものだろう。次の電車はいつ来るのだろう。空を仰げば晴れ渡った空に林檎がひとつ浮いていた。
「まア一服でもしていませう」
「あの調子じゃあ次もそう来まいて」
「さて私はちョいと失礼して座ってでもいるかな」
初老の星と貝殻は呑気だ。
「お嬢さんもまア座りなさいな。立って待ち惚けるのは酷でしょう」
コピーペーストしたような車掌が同じ声で揃って私に木の切り株を勧めた。触れば少し湿っぽくて、土の匂いがする。他の車掌たちはすでに懐から各々時刻表と将棋盤を取り出してにらめくらをしていた。これじゃあ仕様がないのだから、私も腰を下ろす。浮いた林檎を手に取ってみれば、次の電車が来る頃にはシナモンのかかったホットアップルパイになっていた。これを手土産に遅刻の詫びをしよう。白い箱に赤いリボンがかかる。
平成二十八年十一月十八日
原稿用紙
全体、何故だか、原稿用紙が好きだ。さして好い思い出があるわけではないけれども、物を書くにはやはりこの、四◯◯字の箱が最適だと思う。現にこれも、四◯◯字詰に書いている。
原稿用紙は、茶色のます目の、縦書きのやつでなくてはいけない。一度だけ必要があって、横書きのそれを使用した時のその書きにくさ。必要の残りである四十何枚かの横書きは、使われることもなくどこだかにうちやってしまった。唯一原稿用紙の難儀な点は、脳内で文章を構成する速さと、それを書き出す手の速さの隔絶である。それは縦書きですら緩和されてはいないというのに、もとより横書きに順応していない日本語を横向きに使うことで、それを常より感じずに物を書けうるはずがない。頭の中と右腕を一致させる為にも、縦書きの原稿用紙が矢ッ張り好ましいのである。
しかし時代は移ろうもので、人間は便利なものをいくらでも発明する。今では物書きはコンピュータが主流だ。うまくすると縦書きよりも頭と身体を一致させることができる。印刷すらしなければ、紙の束が作業机に居座ることもない。なんとも便利、簡易だ。漢字を忘れようとも勝手に変換すらしてくれる。ある程度の言葉遣いの間違いは注意される。何より書き損じや構成の変更を、恰も初めからそう書いてあったかのような顔をしてくれるのだ。全てを許容し、正しきに導いてくれる聖母。
けれども、それは私には完璧すぎる。すぐに書き損じ、言葉を間違い漢字をしくじり、縦書きがどうの横書きがどうのと文句を垂れる。私は一介の人間であった。聖母の導きを甘受する時もあるが、しかしどうしても手元には原稿用紙の紙がないと気が済まない。誤字は指摘されない。構成の変更などは紙をいくらも無駄にする。またそれだけでなく書き損じをすれば二重線を用い、筆が乗れば机の隅にそれはかさばっていく。その白くすべらかな紙の、かさばる質量の、なんと愛おしいことだろう。茶色のます目の四◯◯字は、いつでもそこに存在している。インクが白肌にすべるのを待ち、二重線を待ち望んでひっそりと。私はそれを見つけては、飽きもせずにます目に文字を埋めていくのだ。
やはり、原稿用紙が好きだ。茶色います目で縦書きの、物静かな四◯◯字。
平成二十八年六月二十七日
幼女
いつもとはまったく違う空気の、電車の座席にゆったり座りながら、ゆうらりと優雅なように揺られている。世間様は大型連休だと言って、それで私はいつもと同じようにきっちりとした背広を着込んでいる。人の疎らな電車内の蒸し暑さ。車窓からは青々としたみどりと、眩しいくらいの青空が窺える。取引先に向かうという、優雅などとは無縁の私を置いて世間様は春を流れていった。
目の前で幼い女子が欠伸をしている。あんぐりと大きな口を開けて、その後に僅かな唾液の音とともに口を二、三度開け閉めした。ついでそのやわらかかろう腹を惜しげも無く晒して爪で引き掻く。恐らく周りの人間を見て覚えただろうその一連の動きは、彼女の年齢を何倍にもした。女、というものを一足飛びに超えて、彼女はそれではない何者かになる。あまりの悍ましさに背筋に悪寒が走る。自らの幼さに、未だ女というものの実感すらないのだろう。母親は密やかに注意する。母親は女であるから。然して順当に考えると、母親は女を忘れているのかもしれない。
面白くないものを見た。それは確かに人間的であったけれど、果たして美しくはなかった。鞄を抱え直して目を伏せると、無情にも車掌が降車駅のアナウンスを告げる。電車が止まるのも待たずして席を立ち、ガラスに写った自分の姿の歪んだ白いネクタイをなんともなしに直した。親子はまだ降りないようだ。
平成二十八年四月三十日
潮風
自らの手の中で、自らの血を分けた赤子の最後の呼吸を聞いた時、浩孝はこの海に戻って来ようと決心した。浩孝の初まりの記憶は父親に連れられてきたこの広い海である。日の暮れた直後の浜辺には昼間程の賑わいもあらず、まばらな人のうちに父親の静かな声がよく響いたことを覚えている。宵の明星が空に瞬き、そしてその次の朝に浩孝には妹ができた。そうしてその妹が育ち、自らも年をとって、次にここへ来た時には母親の死を体感した時で、その幾年が過ぎた後に父親も、妹も死んだ。彼らが死ぬ時には皆、潮の匂いがしていたように記憶している。
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