【舞台鳩】朝日のような夕日をつれて2024(番外:殴り書き感想編)
一月ほど前の私が、別の舞台を見た時に、目についたチラシからこのチケットを(ちょっと無理して)買っており、先ほど見てきたわけでございます。
きっと有名なんでしょう、私は浅学で全然知りませんでしたから、きっと今、こんなにバカみたいに騒ぐのはおそらく私くらいなのかもしれない。けれどそれでも書かずにはいられなかったので、これは番外編です。鳩は正気を失っている。普段はあれでも考えて、メモを構成し直し感想文に仕立て上げているわけでございますが、今日のこれは、いったいそのまま書き殴りです。もう私はこれを、きれいに清書することもできないでしょう。急にこれが、私の感想文の中にいきなり現れ、異才を放つわけでございます。先に申しておきますが乱文ですよ、そしてきっと周知の事実です。観劇後にいつもつけているメモを、そのまま記載しますから、読みにくいでしょう。きっとまともで有用なことなどひとつも書いていない。ねえあなた、私は正気ではない。
閲覧数なんてどうでもいい、私がただ、どこかにこの感動を発散したいから、こんな時間に出すんです。
面白かった……! このために私は生きている。このために……! このために生きているしこのために金を稼いでいる、このために。こういう体験のために……! これこそが極上の体験、これこそが東京という都市の、最大の利点……。
数年に一度出会えたら僥倖というこの体験、私はこのために生きている。ともかく圧倒された。数年の生活の全てが報われるとは言わないが、この偶然の経験に出会うために生きている。これが私を生かしている。もう何年もやっているプロジェクトのようだから、今更こんなこと言っているのはきっと私だけなんだろうけれども、これこそが極上の観劇体験。このためなら金を積める、このための家賃。
なによりスタンディングオベーションしたかった。誰も立たないから立てなかったけれど、いっそ立てば良かったのかもしれない。
二時間休憩なしというのを劇場に着いてから知り、始まる前には大層びびっていたんですけれど、こんなもの休憩なんて挟んでいられない、ノンストップで熱量でやり通すことこそがこの経験の核だ。どれがいいとか悪いとかって話じゃないけれど、予定調和の透き通ったすっきりした見目のものをいつも好んで見ているから、こういう熱量と泥臭さのようなものをいざ力強く展開されるとそれはもう圧倒される。
劇場についたら水平中央目線のちょうど良い席で驚いたものだけれど、本当に良い席で見られてよかった。この体験は配席の妙もきっとある、席の位置的に、引きでは当然見られなかったが、初体験としてこの没入感は得難い。素晴らしい運の向き、私はこのために生きている……。
この新鮮さ、この新鮮な感動……! 私はこのために生きているんだ……。
フライヤーを見た時は、なんか小難しく哲学的で重たいものを想定していた。色々と小難しいのはそうなんだけれども、時事ネタ盛り込みまくり風刺しまくりの単純にバカ笑ってしまった部分もあったし、やはりなにより大道具もない板の上に役者だけがいる、その力強さに圧倒された。私はあほなので、描かれているいろいろが読み取れているはずもない、恥ずかしながら内容はきっとわかっていないしまともな感想は何度見ても書けないだろうけれど、この感動だけは本物だと言える、もうこのまま何もせずに布団で寝たい。生活に戻りたくない。
一瞬、途中で難しいことを考えてもみたんだけれど、圧倒的にただ面白いという純粋な感情が押し寄せてきて、そんなもったいないことをするのをやめてしまった、というかそんな暇もいただけなかった。素晴らしいな、表現とは、こういう没入感を生み出すものでもあるんだな。
しかしきっと役者さんはものすごく大変だろう、二時間ぶっ通しでほぼ板の上にいる人もいるし、ものすごい台詞量を、常ならざる声量でひたすらやり続けていく。初めからフルスロットル全力で、始まったら終わりまで駆けていくだけの止められない二時間……でもこれは止めちゃあだめだな。客も体力と集中力が必要。
そういえば衣装の早替えがすごかった。この勢いを止めないための工夫が随所にあるんだろう。
始まりのところの暗転の小声から、ばっちり明かりがついて踊り出す身体の美しさで、ああ凄いものを見にきたかもしれないという勘は働いた、これは普段は進行に連れてどんどん萎むこともある勘で、でもその嫌な想定をぶっちぎって裏切っていった、この力強さといったら。
集中線のようなスクリーン投影をされているところの視覚的な面白さが良かったな。目線中央で見たので、ここは妙な視覚的錯覚を得て、没入感の程度が桁違いだった。見ているこちらも宙に浮いているような感覚だった。
あの時思い切ってチケットをとっておいて良かった、有名な人の十年ぶりの同作公演ということで、売り切れそうと思ったので結構無理して買ったのだけれど、正解だったよ先日の私……お前の勘は正しい。
また、この感じでこの規模のホールなんだ?とは思ったけれど、違いますね、この規模でなければならない気がする。広いホールでオペラグラスで見るもんじゃない。これは圧倒的な力を浴びることによる体験だった。
人体から発される声の迫力、音の迫力、役者の身体を実感できる劇場の狭さ、DVDも買うけれども、この体験は、体験しなければ得られないものだ。これこそ本物を見るべきという表現の力、表現による迫力。
私は今日、表現を全身に浴びた……。
今後しばらく、良いものを見たな……と反復するやつですねこれは。先日、赤姫祀りを見た時もしばらくやったけれど、あれは物語の面白さを反復する感じだった、こっちはこの新鮮な感動を、いつまでも思い返していたいという気分。
人間が作り出した空虚な偽物が人間を生かしているんだよ、表現は不要不急だよクソくらえなんだわ。これが必要可及でたまるか。この感動はぶち当たるものなんだ、お膳立てされたらこうはならない。だからこそ素晴らしい。いつまでもこういう感動にぶちあたっていたい。これだけはほんとうは忘れたくないし諦めたくない、ずっとそれが可能な世界であってほしい。
もう数年来、この国や民族が、この感動や表現を不要としているという雰囲気が深まっていることを感じていた。思えばそれはオリンピックのロゴにケチがついたところからだったと思う。最近ではおよそ絶望的で、貧しく美しくない世界がこの先永遠に続くのだと信じざるをえなかったけれど、こういうふとしたところにまだきちんとある、まだあるんだな。表現の力というものが、それを成し得るという場が。風前の灯なのかもしれないが、でも今日はまだそれを確認した、今日はまだ、それがある。
いつまでもあり続けてほしい、ほんとうはそれがあり続けるために、私も何かを作るべきなのだ。作りたいとは思っているよ、何もできていなくて情けないね。でも今だけはそれは置いておく、この感動を得られたことは現時点のすべてにおいて、最も尊重されるべきことです。
数年前にも、こうしてバカほど感動した観劇があった。その際、その核となった役者が、今日私をこうしてここまで連れてきた。あなたを知らなければ私は、演劇をこんなに頻繁には見なかったかもしれない。いやきっと見なかったろう。なぜなら私は、何もなし得ないのに、表現者として嫉妬をするから。
あなた、まったく、罪ですよ。そうして恩人です。